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2008年09月29日(月)更新

心友。

先日、一泊で中学校のクラス会がありました。卒業50年となり感慨もひとしお、
皆それぞれいい歳になりました。
会に先立ち、亡くなられた二人の担任の先生と級友8名へ黙祷しました。

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秋の夜長、多くの友人の中から、一人の本当に長いつきあいの「親友」というより、
「心友」のことを考えています。

彼とは小学校一年で同級となり、2度のクラス替えでもそのまま6年一緒でした。
すぐ上の姉同士が同級だった関係もあって仲良くしていましたが、以来60年近く
経った今でもそのまんまの気分です。

「友」とは志を同じくするもの、「朋」は机を並べた学友を指すそうですが、私には
同じこと、「遠方より来る 亦楽しからずや」というより、今でも近所なのですが。

いつも彼が来るのを心待ちにしています。会えば私の方が7割くらいいろいろな
話題を投げかけますが、彼は「それは違う」という言い方をあまりしません。
 「こういう見方もできるかも」「こんな話もあるぞ」という話し方をします。
 要するに私より大人なんですね。

互いに好きな建築、美術の話から、環境、エコ、教育、旅行そして社会問題など
話題はあちこちに飛びます。 あっという間に時間が経ち、彼も時計を見てそぞろ
席を立つのですが、話は尽きず、車のドアを開けながらまだオシャベリ続行の時も
あります。互いに忙しい身、話したいことが山積しているのを久しぶりに放出する
わけです。

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30年前、業種は違いますが、互いに一部出資者となって会社を設立しました。
しかしそのことは全く忘れてしまっています。なんとか共に無事経営を続けてこれ
たからかも知れませんが。(彼は最近身内でない専務に承継しました)。
しかし、仮にどちらかに何かあっても「親友・心友」でいられた自信もあります。

私は会社をスタートしてしばらくして、土地、建物、設備に多額の借入をしました。
カナイに「僕に何かあった時には、全て(権利書、預金通帳、印鑑、帳簿、借金
 の明細など一切合財)を持って彼のところへ相談に行くこと」と命じました。
(彼は知りませんが)。

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この話は私たち夫婦だけの間の約束事として終わるつもりでしたが、事業を承継
して永続させていくと決意した娘たちに「真の友人は心の栄養になり、安心を与え
てくれるもんだよ」と言ってあげたい気がしたものですから。

当時、私の指示を聞いたカナイは「いい友達がいてうらやましいわ」と言ったように
記憶してます。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年09月26日(金)更新

荻須高徳コレクション展を観る。

地元デパートから「荻須高徳 秘蔵のコレクション展」の案内があったので、カナイ
と昼食をかねて観に。
油絵、水彩、リトグラフ、デッサンなど40点あまり、大好きな画家の一人なので、
とてもハッピーな時間を過ごしました。

 “金のかたつむり” 荻須記念美術館蔵  “ノワルムーチェの風車” 荻須記念美術館蔵

 荻須高徳(1901年愛知県稲沢市生れ~1986年パリで死去)は、東京美術
学校(現藝大)へ進み、師は藤島武二、同級生に小磯良平、渡仏後は佐伯祐三
の親友として彼の死にも立ち会ったようです。フォーブ(野獣派)のブラマンク、
ユトリロなどの影響を強く受け、後年は独自の画風を確立しましたが、画業活動の
ほとんどをパリで行い、1956年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を、
1986年(昭和61年)には、文化勲章も受章しました(没時追贈)。

上記した画家たちとその作風は、私の最も好むところですが、中でも荻須の描き
続けたパリやベニスの街角、お店など、建物や街頭の風景には強く惹かれ、趣味
の水彩画を描く時でも頭のどこかでチラチラします。

もう一つ、私の中の荻須高徳は、画家にありがちな奔放な感じがなく、いつも髪を
きちんと分け、仕立ての良いシャツとスーツを身に着けたネクタイ姿やツイードの
オーバーコート姿など、多くはパイプを口にして、とてもお洒落な人、日本人には
少ない大人の男、国際派という印象があります(白洲次郎などもその口ですね)。
長いパリでの生活が醸し出す雰囲気もあるのでしょうが、ちょっと日本人離れした
風貌と寡黙な印象で、そのクールな老ダンディーぶりには憧れてしまいます。

荻須高徳

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コレクションはリトグラフ(石版画)が大半なのですが、中にE.A.(作家保存版)の
サインのものが多いので、売り場の人に尋ねると、先年パリで亡くなられた夫人
の関係筋から出たものが多いとのこと、荻須が制作中に急死したため遺作の
リトグラフ制作は夫人が監督し、番号や署名判、アトリエ印も美代子夫人が押し
たものが多く含まれている、とのことでした。

15号の油彩が2点。パリの街角を描いたとてもいいもので、しばらく立ち止まって
じっくり見せてもらいましたが、お値段はともに3990万円。別世界の話なので
格別驚きもしませんが、クリスティーズなど海外のオークションなどではどれほど
の値がつくのだろうか、と一瞬下世話なことを考えてしまいました。

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この11月22日から12月14日まで、愛知県稲沢市にある「荻須記念美術館」で、
市制50周年・開館25周年を記念して、「荻須高徳展」が開かれるようです。
常設展示品、収蔵品の他に、遺族、所蔵家からも作品が寄せられるようですから、
ぜひ観にいきたいと今からワクワクしています。


横山国男

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2008年09月25日(木)更新

川奈ホテル&ゴルフコース

連休を利用して、かねてから「行ってみたい」との友人夫婦2組と川奈ホテルへ。
毎年米国のゴルフ誌が選ぶ「世界ベスト100コース」の50位前後を常にキープ
しているゴルファー憧れの名コースです。(他には廣野、鳴尾の両コースくらい)。

大島コース(1928開場)富士コース(1937開場)の36ホールで、今年は「大島
コース開場80周年記念」ということで、格安のパックが用意された幸運をキャッチ。
ホテル開業は1936年ですから、ゴルフコースが先にできたわけですが、アリソン
が設計した富士コースは、9年後、ホテルとほぼ同時期に完成したことになります。

創設者大倉喜八郎(男爵)は、大倉財閥の設立者としても、政商としても有名です
が、川奈ホテルの他に、帝国ホテル、ホテルオークラ、大成建設、富士銀行など
名の知れたところでも20数社の設立または設立に関与し、建築関係でも鹿鳴館、
帝国劇場、大倉山ジャンプ競技場など枚挙にいとまがありません。
ただ、喜八郎は1928年4月、大島コースの開場を目前にして90歳で亡くなりまし
たから、さぞ残念だったでしょう。あとは兄の喜七郎が継ぐことになります。

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大島の方は初めて回りましたが、聞きしに勝る難コース。経営が西武グループに
移ってカートを導入したので、今は我々熟年組でも苦にせずプレー出来ますが、
高低差30~50mもあろうかという打ち上げ、打ち下ろしもあり、当時はゴルフと
山登りを同時に味わうことになったのでは、と昔の人の健脚ぶりが偲ばれます。

夕食のあと、支配人と思しき方と「ゴルフ談議」を楽しみましたが、「30年前の若い
頃でも、夏の大島コースのキャディは本当に大変でした。14番Hに“見返り坂”と
愛称がつけられていますが、やれやれやっと14番まできたか、とお客様もキャディ
も見返りましたことから、その名がつけられたと聞いております」。(談)

当時は重機(ブルドーザー)もなく、設計家大谷光明指揮のもと、ほとんどモッコと
荷車くらいで手作りみたいなものでしょうから、山を崩すなどということはどだい無
理だったでしょう。近代ゴルフコースの設計理念では、ピンがティから見えるホール
が18Hのうち少なくとも12~14H、ハザード(バンカー、池)の位置が視認でき、
極端な打ち上げ、打ち下ろしが無いというのが定理でしょうから、そういう観点から
は全く外れています。しかし黎明期の日本のゴルフコースとして、今なおほぼ原型
を維持しているのは日本のゴルフ史上貴重な文化遺産コースだと思われます。

富士コースは本当に素晴らしいものです。相模灘と霊峰富士をのぞむロケーション
にも感動しますが、火山灰地と思われる表土に、こんなに美しい高麗芝のコースが
維持管理され、その設計の巧みさとともにおそらく「東洋一」と評されるのには、
誰も異論がないでしょう。大袈裟でなくゴルファーならここでプレーできる幸せを感じ
ると思います。 同行した友人たちも帰りの新幹線でも感激冷めやらぬといった
風情、あれこれの話題でスコアのことなどは二の次でした。

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川奈ホテルのロビーは、建築当初の面影をそのまま残しているようで、その重厚な
和洋混淆の造りは素晴らしいものですが、ソファーや日本画の大作の傷みもあり、
機能面からもいずれは手を入れることになるでしょう。

また、ゴルフコースのスタートハウスへ通ずる中庭に面した南欧風の「回廊」は、
8c角ほどの木口を見せたウッドブロックが敷き詰められていて、長く続く白い
アーチとマッチして本当に美しく、建築家のどなたかも激賞していましたが、多く
の名選手がここを通って、と思うと自然と今からのプレーへの高揚感みたいな
ものを、帰りには美しいグリーンでのあの難しいパットを思い出し、ウッドブロック
の優しい感触を足裏に感じながら、再び川奈に来れた喜びを感じます。

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70年前、大倉喜七郎が出身地である新潟県妙高高原に作った「赤倉観光ホテル」
はスキーのメッカとして有名ですが、バブル崩壊でやはりここも経営が変わりました。
 昨年9月に訪れたこの「ノスタルジックホテル」、井上誠一設計のゴルフコースも
健在です。シミ一つない純白の本麻のテーブルクロスにナフキン、丁重であっても
慇懃ではない、微笑みを絶やさないプロフエッショナルなウエイターがサーブする
レストランは「超」をつけてもよいと思うほど。静謐さを保った上質のホテルとして
川奈ホテルとともに「古き良き時代」を彷彿させてくれます。

しかし文字通り日本の近代化、西欧文化への憧れを体現したとも言えるこのよう
なホテルも、バブルに翻弄され、ノスタルジーだけで生き残っていくのは容易では
ない時代になったような気がします。

今日は、「日本ゴルフコース設計者協会」の協力会員としての、ウンチクを語って
しまいました。


横山国男

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2008年09月21日(日)更新

年収2000万円の人と600万円の人の時間の使い方の違い。

9月も休日の多い月で、日曜日が5回もある年は、稼働日は20日前後となり、
加工業中心の当社などはグンと売上が減少しますので、社長としては頭の痛い月
の一つです。

そういう連休の明けた出勤日に限って、時々遅刻する人がいるので、(最近採用
した人ですが)、口頭での注意でもなくなりませんので、次のような文章を書いて
渡しました。

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<自己管理>
社会人になったら、学生とは違います。特に最近は、昔と違って休日が非常に増え
「自己管理」をしっかりしないと、日常生活の乱れが仕事にも影響をあたえます。
社長としては、特定の従業員について、出退勤の問題があるのを、他の従業員
から見て「何も注意しない」とみられるのは大変心外です。
休日明けの月曜日などは、特に万全の体調で「さあ、今週もやるぞ!」といった
気構えでないと、仕事に限らず「自分で人生を切り開いていく」ことは出来ないので
はないでしょうか。 特に出勤前日の過ごし方について、よく考えてほしいと思いま
す。「勉強、読書、運動などに充実した生活を送る人」が、この世では高い収入と
豊かな人生を送ることが出来ると思います。                社長

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以前愛読していた「ハイハイQさんデス」のTOMOKOさんのブログ=第72回・
“時は金なり”に、「年収2000万円の人と600万円の人とでは時間の使い方は
どう違うか」という、あるビジネス誌の記事を取り上げて、一度考えてみる値打ち
があると下記のような意見を述べています。孫引きになりますが、私の文章の元
になっているので、ご紹介します。(一部省略しています)

(引用始め)
『面白かったのは休前日の過ごし方です。年収600万円の人は、休前日に深夜、
明け方まで起きている人が多いのに対して、年収2000万円の人はいつもと同じ
時間に寝る人が多いのです。「なるほど!」と思いました。何年か前は、私も金曜
日の夜に遅くまで起きていたことがありました。しかし、休前日に夜更かしをすると
休日は朝寝をしてしまい、昼ごろから活動開始ということになってしまいます。
必然的に休日は短くなりますし、何よりいけないのは生活のリズムが乱れてしまい、
それをひきずったまま月曜日をむかえてしまうのです。(略)
総じて年収2000万円の人は、メリハリのある充実した生活をしているのがうかが
えました。
どうも、能力がずば抜けてある人とか全然ない人というのは、それぞれ人口の1割
くらいで、あとの8割の人の能力は、だいたい似たようなものではないでしょうか?
その中で、年収や地位に差ができるのは、時間の使い方によるところが多いように
思います。
一日24時間は、万人に平等に与えられているのに、ある人は仕事の合間を縫って
勉強・読書・運動に充実した生活を送り、ある人はただ無意味に仕事に追われて
自分の時間もない、というのはどうしてなんでしょう?
一度考えてみる値打ちがありそうです』               (引用終わり)

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省みてえらそうなことは言えないのですが、社長の立場としては放っておくわけに
はいかない事例の一つとして、恥ずかしながら書きました。

横山国男

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2008年09月19日(金)更新

「まだやってんの」

「まだやってんの」とは、1999年4月に初版が出た邱永漢(Qさん)の実用エッセイ
単行本のタイトルです。(久しぶりに読み返しました)

邱永漢著「まだやってんの」
<中経出版 @1400円>

 この本が出たころ、地元銀行の主催でQさんの同名の「経済講演会」があり、
滅多に講演会というものに行かない私ですが、フアンなので拝聴しに参りました。

邱永漢さんを評価するのは、書斎で、あれこれともっともらしい理屈を述べられる
経済・経営評論家と違い、間違えば全財産を失う(実際のところ何度もピンチに
見舞われたそうですが)実業家でもあるからです。85歳を迎えた現在でも、中国、
台湾他、アジア各地などでビジネスを展開、「金、カネ、マネー」の亡者ではなく、
経済を文化として捉え、「直木賞作家」としての読ませる力、特に「人生とお金」に
ついての卓見は、私の金銭哲学にもなっています。

ご著書数百冊の中でも、「まだやってんの」は、ご本人の生の声、風貌を目の当た
りにしたこともあって、“足元が明るいうちに店仕舞いしなさい”の名文句とともに
忘れられないものです。

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グローバル化とかフラット化とか言ってるうちに、構造不況業種の繊維産業界で
仕事をしてきた当社のまわりでも、ジワジワと需要が減り、かって数十社あった
同業者も数えるほどに、それも企業と言えるスケールではなくなってきています。

また、ここへ来ての原油高で当社のお得意先企業の苦悩は一層厳しさを増し、
さらに我々とは関係ないと思っていた「マネーゲームのプレーヤーたち」の破綻、
ほころびが表面化して、悪くすれば「世界同時不況」どころか「恐慌」にまで発展
するのではないかという話を聞くと、「これからどうなるのだろう」と不安を感じて
おられる経営者は私だけではないと思います。

進めてきた企画・デザイン力のアップ、協業・コラボで「マーケットの転換」「限りなく
 顧客(個客)に近づくビジネスへ」を、一層開拓しなければならないと考えています。

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Q先生、足元の明るいうちに店仕舞いできませんでしたが、なんとか後継者ともども
 知恵をしぼって、長年のお客様も大事にしてやっていくつもりです。
これから先でギブアップして、早く土俵から去っていったかっての同業者や友人・
知人から「まだやってたの」と、言われるのは悔しいですから。

横山国男

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2008年09月17日(水)更新

「ポチッと押してね」

この「社長ブログ」を書き始めて2年、195回を終えてアクセス数が20,000回を
超えました。読んでくださる方で私が顔を思い浮かべることができるのは15人足ら
ずですので、正直なところ、どなたがどんな思いで読んでくださるのだろう、という
不安と恥ずかしさに似たものを感じるときもあります。

もちろん、アクセス数ですので実読数ではありませんが、それでも1万回を越えて
2万回になるのはすごく早かったように思います。
超人気ブログ「きっこのブログ」は、今日で訪問者数7269万あまり、それもブログ
ランキング参加の「ポチッと押してね」、すなわち実読数であり、賛同しての数字
とも言えるのですから、すごいの一語です。このくらいになると、立派なオピニオン
であり、他にも数多ある人気ブログ(芸能人などのブログを除いたとしても)が、
世論を動かすツールになりつつあると言っても過言ではない時代になったと思い
ます。

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ブログを日記としている書き手の方も多いようですが、私のカナイの父(義父、10
年ほど前75歳で亡くなりましたが)は、非常に几帳面な人で、中学生の頃から
晩年まで、大学ノートに毎日簡潔に日記をつけていました。

農林技師として満州にわたり、戦後は警察に奉職しましたが、面白いのは毎日の
昼食を記録してあるのですが、「うどん」「そば」たまに「カレーライス」が繰り返され
ていて、私の娘(孫)が大笑いしたこともあります。退職してからは、娘たちとの
花作りや小さな畑の作物のこと、「夏休みの宿題」のために毎日の天気が克明に
記されていたりもしました。

それは数十冊にもおよび、詳しくは知りませんが、家庭的には恵まれなかったの
でしょうか、幼い弟に、皇国臣民としての生き方、心構えなどを中学生時代に話す
記述や、毎日のつましい生活や遊びなどにも触れている文章は涙なくして読めま
せん。
私の長女は、義父が亡くなったとき唯一の形見としてこれを所望し、今この古い
風呂敷包みは長女の手元にあります。

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「社長ブログ」に何を書くか、いつも頭のどこかに「臆面もなく」とか、「できる人は
沈思黙考」とか「巧言令色鮮シ仁」とか、即ち「浅はかなやつ」「底の浅い人物」と
いった言葉が思い浮かぶのです。要するにくだらないことを書き散らして笑われて
いるのではないか、「いい加減にせんかい」と心ある人から思われているのでは、と。

それでも、「経営者会報ー社長ブログ」は、きちんと管理され、ブロガーの皆さんの
まじめな経営観や日常のいろいろな思いが綴られていますので、私の場合は、
通り過ぎてきた零細企業の先輩経営者としての考え方や、これからの日本人と
してどうあるべきかを、そして何より義父の日記には及ばないと思いますが、子や
孫に「私」という人間が何を考えていたのかを知ってほしい、という気持ちでこれ
からも書き綴っていきたい、と思うこの頃ナノダ。(と最後は“きっこ”風)。

横山国男

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2008年09月15日(月)更新

敬老・軽老・啓老。

9月15日は、正確には「老人の日」といい、「敬老の日」というのは9月第3月曜日
なのだそうです。(因みに9月15日から21日までを老人週間と呼ぶそうです)。

「働き過ぎ」というよりも、日本人の労働生産性の低いのが問題で、常々もっと自由
な休日の取り方をした方がよい、というのが私の考えです。
温泉旅館でもゴルフ場でも行楽施設は週末のみ繁忙、平日は閑古鳥が鳴く状況。
でも、設備・人員はそのままで、非効率この上ない(従って週末料金が異常に高く
なる)。このあたりの「平準化」を考えないと、有効利用につながらず、ドンドン関連
業者倒産、廃業を止められないのでは。(時代が変わったのですから、国も国民も
意識改革、ロハスな新しいライフスタイルが必要と思います)

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ところで今日は老人の日であり敬老の日、お彼岸も近いので、午前中は気になっ
ている墓石の「花立て」の修理を友人の石屋に依頼しなけばなりません。
仏壇に線香をあげて両親の写真、特に「おふくろ」を見ると、思い出すことが一杯
あります。両親とも近在の農家から街に出て所帯を構えましたが、母は学問は
ありませんでしたが、「情」の厚い人だったとあらためて思います。

子供のころ(昭和20年代)、休日などのお昼、私の横に、母子連れの「乞食」が
座って一緒にご飯を食べた記憶が何度かあります。まだ貧しい時代、母が「なん
もないけどご飯たべていきね(いきなさい)」と言って招じ入れるのです。

私は嫌だと思った記憶はありませんが、埃まみれ、垢まみれ、髪はボウボウです
から「汚いなァ」と。麦飯と味噌汁、漬物だけぐらいの粗末な食事でも、食べ終えて
何度も何度も子供にも頭を下げさせて家を出て行きました。

またある時は、唐草模様の大風呂敷に、母が使った肌着、おこし(腰巻き)、浴衣、
タオルなどの衣料や、餅、卵、果物などを包んで背負い、地下足袋を履いて2里
(8キロ)ほどの田舎道を父の親類に向かいます。

昔は老人でも死の病とされた肺病(結核)にかかると、母屋を出されて、大きな
敷地内のはずれにある農作業小屋の隅などに、莚(むしろ)を敷き、ふとんなど
一式とともに移されることが珍しくありませんでした。伝染するからということでしょ
うが、むごいことで、「おしんの世界」「昭和版・姥捨て」です。家族は食事を置くと
逃げるように母屋へ帰ってしまうのです。

母は少しも意に介しませんでした。真夏の頃なら羽釜でお湯を沸かし、タライに張
って行水をつかわせてやり、持ってきた古くはあっても清潔なものに着替えさせ、
髪を梳いてやったとのことです。汚れものを洗濯し、元気づけて帰る母に、病人は
ふとんの上に起き上がり、何度も手を合わせ、「おワサさん(母の名はワサといい
ます)ありがとう、ありがとう。悪いコトがないように願うている」と拝んだ、ということ
を後年母から聞いたことがあります。

母は昔からしょっちゅう便器も素手で洗っていましたし、ドブの中に手を入れて
ゴミを始末しました。「手は洗えばきれいになる。放っておくほうがよほど汚い」と
顔をしかめる私に言いました。病人や死人を少しも怖がりませんでした。

このような信心深い両親や、祈ってくれた人のおかげかも知れません。ぐうたらに
過ごしてきた私のようなものでも、今日までなんとかやってこれたのは。

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ともあれ、このブログを大きくなって読むことがあるかも知れない私の孫たちに、
曾祖母(ひいおばあさん)はこんな人だったんだよ、と伝えたかったので、敬老の
日の今日は書いてみました。

*「軽老」とは、最近いろいろなことで軽んじられる老人、はたまた振り込め詐欺に
 コロッと騙される軽ハズミな老人を、「啓老」は、老いをひらく(啓く)という考え方も
 これからの時代大事かな、と考えて連想した私の造語デス。


横山国男

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2008年09月12日(金)更新

「日本女子プロゴルフ選手権大会」初日を観に行ってきました。

パンフレット 表紙

「第41回日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」11日から4日間ー
片山津GCの初日を、昨日観戦に行ってきました。

快晴で気温28度、初秋の片山津GCは、美しい松林を吹き抜ける日本海から
の微風の中、国内屈指の難コースに、131名が今年の「女子プロ日本一」を
決める熱い戦いを繰り広げています。

片山津は90ホール(18ホールコースが5つ)という、関西以西では横綱格の
歴史あるゴルフ場ですが、中でも「白山コース」は、名アマチュアプレーヤー
だった佐藤儀一(広野GC)が設計した、松と深いアリソンバンカーに囲まれた
小さな高い砲台グリーンが、プロ、アマを問わず、技量だけではなくゴルフが
知的ゲームであることを思い知らされる名コースです。(ゴルフ好きの方には
ぜひ挑戦をおすすめします)。

4年前には男子の日本一を決める「日本オープン」も開催されましたが、4日間
で確か2アンダーしか出させなかった(優勝谷口徹)ことは、当時主催者である
「日本ゴルフ協会(JGA)」の委員として、またメンバーとして私のゴルフ人生の
エポック的出来事として永く思い出に残ると思っています。

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ご縁があって、藤田幸希プロの福井後援会を結成したのが昨年の4月。家族
同志お付き合いのあるTさんの呼びかけで、お揃いのターコイズ色のTシャツ
を着た30人ばかりの応援団が熱心に各ホールをついて歩かれたようですが、
私は所用で昼には会社へ戻らねばならなかったし、ひざの具合が悪いカナイ
もいたので、7、8、9の3ホールが見渡せる松の下のラフに腰を下ろして観戦。

初日のペアリングには、福井出身の親友の娘さん山岸陽子さん(1勝)が同組
なので楽しさも倍加しました。陽子さんもすっかり中堅プロの風格になりましたが、
15年ほど前、プロ合格のお祝いのコンペで挨拶した初々しい「元気ハツラツ娘」
を思い出し感慨深いものがありました。


会場では、懐かしい人にも何人かお会いしました。ホール間を移動しているとき
「あら、横山さん」と声がしたのは、奈良の杉本真美プロ。
樋口会長の米国遠征時代とは少しあとになりますが、岡本綾子全盛時代、
小柄ながら「ヨーロッパツアー」で単身戦っていた海外遠征組の草分けのお一人。
早くも5年ほど経ちますが、セント・アンドルースなど10日間スコットランドを案内
してくださいました。相変わらずチャーミングで元気いっぱいの笑顔。
このあと午後の部のスタート係のお役目があるので、とテントの中へ。

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今朝、LPGA(日本女子プロゴルフ協会)のホームページで、昨日のスコアを確認
すると、トップは実力者、今最も強いと思われる、韓国の辛?周(シンヒョンジュ)
選手。一押しのプロ根性を持つ上田桃子選手が2位。(カナイが会場でTさんから
桃子さんのお母さんを紹介されたそうですが、選手の家族も多く一生懸命です)。
多くの若い男性フアンを引き連れていた、人気急上昇の原江里菜選手が3位と
なっていますが、あの「白山」を5アンダーで回る辛さんには驚かされます。


我々注目のお二人、藤田、山岸両プロは仲良く4オーバーで49位タイ。
先週の「ゴルフ5レディス」で3勝目を挙げた藤田幸希さんは、前日からの突然の
蕁麻疹(ジンマシン)で、指などが腫れて体調がよくないとのTさん情報。
優勝すると、スポンサー筋そのほかいろいろと行事があり、まして夏をすぎたあたり
から疲れがドッと出る時期ですので、胃腸にも気をつける必要があります。
ただゴルフはどこか不自由な部分があっても、それを意識して無理のないスイ
ング、頭脳的戦略で勝利をつかんだ例も多いのです。

超難関コース「白山」は無理をしないことが勝利への近道と私は思っていますので
まだまだ期待しています。


横山国男

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2008年09月10日(水)更新

『癌だから死ぬのではない。

生まれたから死ぬのである。すべての人間の死因は、生まれたことである。どこか
違いますかね』(「人間自身 考えることに終わりなく」 池田晶子)。

特に若い人に「本質」を考えることの面白さ、生きることの大切さを分かりやすく、
そして「哲学」というものに無縁だと思っていた私のような老生に「エッ?」と思わせ
てくれた池田晶子さんも、47歳でその癌に倒れてから一年半あまり。

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今日は、37年前、私たち夫婦の「仲人」をしてくださったIさんの告別式に行くのと、
涼しい初秋の朝ということもあって、池田晶子さんのことがフッと頭に浮かびました。

『便利なことは無条件でいいことだと、現代人は思い込んでいます。手間が省ける、
時間が省ける、目的地に早く着く。つまり時間が短縮できるということが、現代人に
とっての価値なのです。時間というのは自分の人生の時間です。現在の時間を
節約することで、将来にそれが貯蓄できるといった感覚なのでしょう。
しかし「将来」なんてものは、どこにも存在していない。現在幸福である以外に、
幸福であることはあり得ない
。(「暮らしの哲学」)

「思い込み」や「固定観念」が人間を不自由にするのです、と池田さんは教えてくれ
たような気がします。

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 高く美しい空、美味しいもの、そして読書の秋も近いですね。
    「生かされている」ことに感謝したいと思います。


横山国男

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2008年09月08日(月)更新

「大統領選」と「首相選」・・あまりの違いに。

民主主義を守る、人権を守る、そのほかいろいろの理由をつけて(自国の)、世界
のあちらこちらで紛争に介入したり、時には大きな犠牲を払う結果になろうとも、
大国の面子にこだわっているように見える米国。

私のような普通の日本人から見ても、昔憧れたような国ではなくなったような気が
しますが、それでも大したものと思う一つは「アメリカ大統領選挙」です。
民主、共和両党のまず候補者指名を得るための、長い期間、広い国土での活動
に驚かされますし、その間、国民の関心はいやが上にも盛り上がります。

大統領に選ばれるまでの仕組みは結構複雑なようですが、それでも両党とも候補
者が決定し、副大統領の指名も終わりました。
正副候補者本人はもとより、家族のプライバシーまで白日のもとにさらされ、とても
ではないですが、並みの神経ではもたないだろうとさえ思わされます。

しかし、これが大統領になるための試練であり、選挙戦を通じてあらゆる問題に
対する解答を用意し、相手陣営からの攻撃に耐え、時には切り返していくことで
成長し、言葉を選ぶことや演説もうまくなり、何より多くの支持者と世界のメディア
を前に何度も「自分こそ大統領にふさわしい」と繰り返すうち、「覚悟と確信」に満ち
た、大統領に「成って」いくのでしょう。

「アメリカ合衆国」の素晴らしい点の一つだと思います。

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政治に詳しくないですが、一日本国民として考えても、最高責任者「日本の首相」
が選ばれる際、「禅譲」とか「密室での決定」とか、時には「棚ぼた」などと評され
るのは本当に違和感があります。マスコミなどにも責任があるような気もしますが、
真剣に国の将来を考えてこなかったと思われる、多くの我々国民の責任が一番
大きいのではないかと思うと同時に、山積する問題を前に、「逃亡」するくらいなら
初めから引き受けるべきではないのでは、と彼我の「覚悟」の違いに暗澹とします。

この7~8年の間に、何度か台湾へ旅行するうち、現地旅行会社のKさんという人
と仲良くなりました。敬虔なクリスチャンで台湾でも有名な大学を卒業したインテリ
でもあります。
バスの中で、自身の軍隊の経験(台湾には徴兵制があります)をユーモアを交えて
 話してくれましたが、驚いたのは台湾には「米軍基地」はありません、という一言。

横にいた初めて同行した私の友人が、「日本は米軍基地だらけ、どっちが立派な
独立国かわからんね」と言われたのが印象的でした。こんなことも知らなかった私
のような者が多ければ「立派な国家」になりようがありません。

「二度と刃向わぬよう」・・その恐怖から徹底的に日本的なるものを解体し、制度を
作り変えた占領政策でしたが、「大統領制度」を持ち込まなかったのにはどんな
理由があったのでしょうか。天皇を象徴としての元首として残す決定と何か関係が
あったのか、情報公開が進んでいますので、解かる日がくるのかも知れません。

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翻って、平たく言えば「首相」とは、一家で言えば「お父さん」。会社で言えば「社長」。
( ウーン、責任重いですナ。)
首相ともあれば、あらゆることにおいて「私」はあとまわし、「公」に身も心も捧げる
覚悟でその重責を果たしてこそ「国父」という言葉もある所以でしょう。

辞意を表明して数日もたたないうち、奥様とデパートに買い物に行き、帰りは高級
中華料理店に入る、あるいはその前の首相だった人もいろいろな場所で、今更の
「持論」をお話になっているのをネットなどで見聞きすると、まだまだ余力があった
のでは・・と、つい考えたくなるこの頃です。

中小零細企業で「どなたか適任の方にあとはよろしく」なんて言えたらこんなに楽
なことはありません。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
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「知るは喜び、調べるは楽しみ、分かるは感動、学ぶは一生」とか。高齢者の仲間入りの年齢ですが、仕事でも趣味でもICT時代の恩恵に感謝しています。趣味・・本好き、水彩画、ゴルフ('05までJGA委員、現在中部ゴルフ連盟ジュニア育成委員ほか。エポック・・還暦のアルバトロス、'06...

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