株式会社横山工藝 代表取締役 横山 国男 の日記 | 経営者会報 (社長ブログ)
「プリント道」45年余。新たな自身の夢と後継者への手紙-(株)横山工藝社長 横山国男のブログ
2006年10月02日(月)更新
木下勝治郎さんと夭折の画家佐伯祐三
本棚に「繊維デザイン創作の実際」という、本というより
100頁あまりの冊子があり、奥付を見ると昭和43年
「(財)日本繊維意匠センター発行(非売品)」とあります。
「はしがき」に、”本書は、当センター木下勝治郎氏の
創作と指導にかかわる多年の経験の成果を基軸として、
繊維デザイン創作の実際的な考え方や制作訓練の過程を
まとめたものであります”と真摯に記されています。
日本の伝統産業である着物については、その意匠(デザイン)
は徒弟制度のような形で連綿と引き継がれてきましたが、
洋服やインテリアのプリントのカラーデザインについては
捺染産業が出来てからのことでしょうから、昭和に入って
からではないかと思います。
木下勝治郎さんは日本のプリントデザイナーの草分け、嚆矢と
される人であり、初の指導者ではなかったかと推測しており
ますが、一度だけご講義を聴いた記憶があります。
印象的だったのは、パリで客死したあの佐伯祐三の親友
だったという話しです。大阪に生まれ、共に画家としての
成功を夢見て渡欧しますが、昭和3年、祐三は30歳の若さで
精神を病み、その才能を惜しまれながら亡くなります。
その後なぜ木下さんは画業を離れ、デザインの道へ進まれた
のか、その経緯は忘れてしまいましたが、「ジョルジュ・オダル
チャンゴ」という難しい名前の繊維デザイナーに師事したと話
されたことを不思議に覚えています。
大好きな画家のひとり「佐伯祐三全画集」の巻末年譜を
見ると、何度か木下勝治郎さんの名前が出てきます。
少年時代から祐三の壮絶な死まで、二人の交友は長いものでは
ありませんでしたが、濃密なものだったと想像されます。
プリントデザインや、型の仕事をするきっかけとして、私が
影響を受けたお一人のように思われる木下勝治郎さんも、
ご存命であれば百歳をとうに超えられたことになります。
横山国男
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2006年09月30日(土)更新
【お題】経営者を志した瞬間
慶應義塾大学 吉井千晴さんの質問
「なぜ経営者を志したか、転機となるきっかけはあったのか」
にお答えします。
私の場合は最初から「経営者を志した」わけではなく、
自分のやりたいことを事業化するために「会社」を
創る、結果「経営者」(というより自営業者といった
方が近いと思いますが)になったと言えそうです。
勿論転機はありました。大手の商社を辞め、一転、町工場で
技術習得している内、「私ならこうする、こうしてみたい」
という事例が嵩じた結果です。
「会社を経営する」以上は、従業員や家族、株主に対する
責任があるのは当然ですが、自力ではどうすることも出来ない
「グローバル化」「フラット化」など、すさまじい産業構造
の転換・変化の時代でもあり、業種によっては限界もある
のではないでしょうか。
いろいろな希望や夢を実現するために起こした会社が、
いつか自分を苦しめるようになるのでは本末転倒です。
そうならないよう「変化の兆候」を探り、後継の育成も含め、
自社の対応力を上げることに努力する以外ないと思います。
それが無理という判断なら、足元の明るい内に清算し、
「再チャレンジ」するのも少しも恥ずかしいことでは
ないと思います。
最近周囲で「決断の遅れ」が招いたと思われる倒産などが
目につくようになり、一層その観を深くしています。
2006年09月19日(火)更新
ゴルファーのスピリット
今朝、郵便受けから新聞を取ろうとしたら、バサッと
小型で厚めの封筒が落ちました。
「?」と思い、差出人を見ると「ゴルフダイジェスト社」
とあります。中は「新書」のようですが、注文の覚えは
ありません。
タイトルは「ゴルファーのスピリット」。帯に”上質ゴルフ人
の紳士道と武士道”とあり、「あー、鈴木さんの新刊だ」と
納得。「謹呈 二〇〇六年秋 著者」のシオリがはさんであり
ます。
「ゴルフダイジェスト新書 定価857円+税」
鈴木さんというのは、鈴木康之さんのことです。おそらくゴルフ
愛好家で、多少なりともゴルフのエチケットやマナーについて
関心を持たれたことがある人は、一度は著作を手にされていること
でしょう。
「職業」はこれもおそらく日本でただ一人、「ゴルフマナー研究家」と
自称されておられますが、往年はコピーライターの第一人者として
広告界で活躍されるかたわら、この30年以上にわたって、
「皆が気持ちよく楽しめるプレー」の普及に取り組んで来られました。
名著「ピーターたちのゴルフマナー」は、十数回の刷りを重ね、
何かとゴルフにまつわるお行儀の悪さが先達から苦言を呈される昨今、
日本人ゴルファー必読の「バイブル」といってもよいでしょう。
9月始めの週末、鈴木さんがこよなく愛し、これぞ日本の”リンクス”
と称える「古河ゴルフリンクス」(茨城県・古河市営)に、招かれて
「ピーターズクラブ・月例会」に参加してきました。
渡良瀬川の広大な河川敷に展開するコースは、ゴルフをするに
必要なものはすべて揃っており、不必要なもの、例えば豪華な
クラブハウスや、庭園、仰々しいスタッフや高級メニューなどと
いうものは一切なく、「本質・スタンダード」がここにはあります。
金田武明さんのコース設計にも感激です。
ボロい(失礼)手引きカートを引っ張り、プレーはゴルフゲームの
原型とも言うべきマッチプレー形式、お仲間には翻訳家の永井淳
さん、敬愛する”オールドマンパー”嶋口信義画伯のほんわか笑顔
も見えます。
前の組の鈴木会長は間もなく70歳というのに、きびきびとフットワーク
も軽く、小柄な人ですが大きいスイングとカッコいいフイニッシュは
さすがです。
楽しい19番ホールの席上、鈴木会長はお隣に私の席を設けてくださり、
「横山さん、冬もう一度いらっしゃい。体がよろけるほどの寒風の
中でやるんですよ。もっとリンクスらしくなって、これがまた最高よ」
とアリガタイ(!)お招きの言葉。どなたかが「鈴木さんはマゾ
ですからネ、やめといた方がいいですよ」と混ぜっ返してにぎやかな
ことでした。
新刊「ゴルファーのスピリット」を贈呈されたのにはワケがあります。
この本は「週刊ゴルフダイジェスト」で150回を超える連載「あざみの
教え」から54編を編んだものですが、そのなかの一遍「聖人君子に
あらず されどゴルファー」は、私のエピソードを書かれたからです。
文中、私のことは「Yさん」としてもらいましたが、鈴木さんは「絶対
実名で。作り話と思われるから」と何度もプレッシャーをかけられました。
シャイな私は「実名はご勘弁」で押し通しました。
ここ一番でO.B.なんぞを出してもニコニコしているほど人間ができて
いませんから。聖人君子、エチケット・マナーの達人にはほど遠い
のです。
そういえば鈴木さんも「あとがき」で書いていらっしゃるじゃないですか。
「私はゴルフマナーの本は著しましたが、ゴルフマナーの師範ではあり
ません。”ゴルフマナー研究家”です。(中略)ミスショットに悪態
ついた後でも、おかげさまで『研究中でーす』とエクスキューズすれば
オッケー」と。
ゴルフ愛好家の経営者のみなさま、どうぞ本棚に一冊。あらためて
「ゴルフって素晴らしい」と思えますよ。
横山国男
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2006年09月18日(月)更新
【今週のお題】何度でも観たい、この1本!
<黄昏>
ニューイングランドの美しい景色と、主人公のエセル
(K.ヘップバーン)が、老いゆく夫ノーマン(H.フォンダ)に
対する、時に優しく、時に励ます愛情あふれた、いろいろな
シーンでの「ノーマン!」という呼びかけが、今でも鮮やかに
耳に残ります。
この映画でのH.フォンダの’81年アカデミー主演男優賞にも
納得しますが、K.ヘップバーンが主演女優賞をとれなかった
ようなのは不運というほかありません。
音楽(デイブ・グルーシン)も映像とともに印象的でした。
【所蔵LD「黄昏」】
「今後も繰り返し観たい」という点では、「日の名残り」と迷い
ました。出演したA.ホプキンス、E.トンプソンが好きなので。
映画は作品としての面白さもさることながら、やはり好きな俳優の
出演が大きいですね。
映画フアンで、戦後すぐのものからかなり観ている方だと思いますが、
「チラシ」が思い出すのに一番いいです。
また1800名の俳優経歴、日本での公開作品14000本の索引がついた
「クインラン版 世界俳優大辞典」も「へえー」と思うことが
沢山あり、けっこう次々とページを繰ってしまいます。
【所蔵本】
2006年09月14日(木)更新
不易流行
明大生との毎週一問百答
・・企業経営上、「変化(適応)すべきもの」と「変化すべき
でないと考えるもの」とは何?とのご質問に対して、
私は「変化」について、ご質問の2つの項目に加え、
「変化するもの」、「変化しないもの」というのがあり、むしろ
これが前段になっているのではないか、と日頃考えています。
即ち
A-「変化するもの」、「変化しないもの」
B-「変化させるべきもの」、「変化させてはならないもの」
です。
企業経営という点で、Aについては深い観察や、洞察が
必要で、そのためにはきっと多くの読書や思索する、といった
自己啓発も要求されるのではないでしょうか。
その結果としてBの解答が導きだされてくるのではないか、と
考えているのですが、いずれにしても膨大な玉石混交の経営
情報の海のなかで、取捨選択、未来予測も含めた的確な判断を
する資質と責任が経営者に求められることは間違いないと考え
ています。
難しいのは、変化が表面的なもので、実際は本質的なものは
変わっていない、とかその逆も当然あるわけで、ホリエモン
とか村上某氏とかは、このあたりの「読み違い」があったのかも
知れない、と考えたりもします。
即ち、あまりに「変化するもの」に気をとられ、「変化させては
ならないもの」をどこかで見失ったのではないか、と。
「変化」という言葉で連想するのは、松尾芭蕉の「不易流行」という
有名な言葉です。
一般的には「不易」は変わらないこと、「流行」とは変わるもの、
うつろうことの意として、私もその程度の理解しかないのですが、
本当は芭蕉の「自然観」を表した言葉で、この二つを単純に対立
したものと捉えるのではなく、深い意味があるようで、ご質問の
解答になるヒントが隠されているかもしれません。
「流され行く」のではなく、21世紀の新しい「不易」をご自身で
発見されるとよいですね。
横山 国男
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2006年09月12日(火)更新
マカラマ大将
東京オリンピック(1964年)をはさんで、前後5年ほど、
私は大手商社の横浜支店におりました。
支店は伊勢佐木町の入口、吉田橋のたもとのビルの5階に
ありましたが、まだ高い建物は少なく、時には大桟橋に
接岸した「豪華客船」の煙突が望めたものです。
このような大きな客船が入港すると、しばらくしてビルの反対側
伊勢佐木町の入口にあるカメラ店の前に、アロハシャツや
派手な花柄プリントのおじさん、
おばさんたち(おそらく裕福なアメリカ人のクルーズ客)
がゾロゾロとウインドウを覗いたり、店に出入りしたり
しているのが窓から見えます。戦勝国のアチラにはこのように
船で世界一周などを楽しむ人がもういたんですね。
支店は「絹織物・生糸の輸出」が主な業務で、’60年代
の初頭が全盛、外貨獲得に大いに貢献しました。
北陸や奥羽産の羽二重や白生地、シルクオーガンジー、
桐生のジャカードやドビー織物、そして横浜の地場産業で
隆盛をきわめたスカーフやマフラーなどです。今は見る影
もなくなってしまいましたが。
支店に毎日のように顔を出す業者さんの中に、「マカラマ
大将」というあだ名をつけられたS山さんという人がいて、
その大きな体、でかい声、支店中にひびく笑い声と童顔で
人気がありました。こまめに女子社員にお菓子の差し入れ
をしたり、まだ自家用車などの少ない頃でしたから、休日に
自社の車をわれわれ独身の連中に気軽に貸し出してくれたり
したので、一層人気があったのでしょう。
「マカラマ」というのは、中近東かアフリカで女性が首に
巻くスカーフのようなもので、主にシルクジョーゼット
のプリント品です。これがある時期大量に輸出され、生産
が間に合わないほどで、商才に長けたS山さんは、生地
が薄くてスケスケなのをいいことに4枚ほど重ねて上から
一遍にプリントする、という禁じ手を使い、「マカラマ
御殿」を建てたというまことしやかな噂が立ったほどでした。
ほどなく絹やこれらの商品は韓国品などに押され、支店は採算
がとれないとの理由で’67年に閉鎖、社員は東京支社や別の
支店に移されるのですが、その後「モーレツ社員」とか、「午前様」
などという流行語が生まれたとおり、時代は一気に日本をGNP世界
第2位に押し上げていきます。
しかしあの「三丁目の夕日」的な、のんびりした支店時代を
懐かしむOB,OGの提案で、廃店から20数年後に同窓会が出来、
この15年毎年旅行会をしてきました。その名も「シルク会」といいますが、
先日最後の会を、我々がことあるごとに利用した横浜中華街の
老舗「華正楼」で開きました。もう幹事をできる人がいなくなった
というのがやめる理由です。私が一番若いのですが、地方におり
ますので無理はいえないということでしょう。
当初40数名の仲間の中には亡くなった人もおり、病床にあったり、
所用と重なったりで14名の集まりとなりました。
「マカラマ大将」S山さんも70歳半ばを越えているはずですが、元気に
ご出席、相変わらずの”ナイスガイ”は例年のごとく幹事にテーブルの
陰から「志」を渡して下さいます。「これをひとつ」、「や、や
これはどうも」おきまりのやりとりが長老幹事のオーさんと交わされます。
それからいつもの思い出話がテープレコーダーのように長時間繰り返
されて、みな頭は真っ白ですが、目は徐々に青年の輝きを取り戻して
いくのです。
我らの「オールウェイズ」です。
2006年08月31日(木)更新
男は強く―可愛い孫には旅をさせよ
小学校2年生の孫(男の子)が、福井から横浜のお父さんの家
(娘婿の家)へ、一人旅をしてきました。彼にとっては夏休み最後の
大きな思い出だったことでしょう。
3日前の朝、元気に小松空港のゲートを通り、機内では希望した
窓側の席、わずか1時間ほどの空の旅をして、羽田で向こうの
祖父母が待っていてくれた、というわけですが、ものおじしない
のできっとスチュワーデスさんとオシャベリも楽しんだことでしょう。
初めての一人旅はどんな感想だったのか、聞きたいと
思っていましたが、ゆうべ私のところへちょっと顔を見せてから、
両親とご飯を食べに行ってしまいました。
快活でものすごく食べますが、お腹はいつもペシャンコ、私から
みると羨ましいくらいですが、新入生の夏の頃、どうやらちょっと
イジメにあっているのでは、と思うことがありました。
ある日、学校から100mほどの田んぼ道を、5,6人のグループで
下校してくるのを生垣の陰から見ていると、孫はグループから
2,3m後ろをふらふらと歩き、ときどきなにか言っているようです。
すると前のグループから一人が孫に近づき、何か言い、孫を田んぼの
方に押したり、他の子もそれを囃したりしているように見えます。
そんなことを2,3度見た後、素知らぬ振りで、しかし単刀直入に
「誰かいじめる子がおるんか?」と聞きますと、はっきりした返事を
しません。「どうだ、空手やるか」「うん、やりたい」。
ずいぶん飛躍した乱暴な話しのようですが、要は男は本能的に
「強くなりたい」のです。姉ばかりの中で育って、ガキ大将が
眩しかった私にはよくわかります。
あれから一年、入門祝いに買ってやったときはダボダボだった
空手着も、度重なる洗濯で縮み、体も少し大きくなって、サマになって
きました。子供の世界もいろいろあるようですが、どうやら
一つの関門をくぐりぬけつつあるようです。
「黒帯まではやめないこと」「乱暴しないこと」が約束です。
生島ヒロシ氏が、アメリカ放浪中金がなくなり、空手の指導で生活費を
稼いだという話しが週間誌に書いてありましたが、「芸は身を助ける」
一例かもしれません。
横山 国男
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2006年08月28日(月)更新
夏休みジュニアゴルフ
夏休みももう終わりですが、8月9日、近くのゴルフ場で
「ジュニアゴルフスクール」が今年も開かれました。
連盟のジュニア育成委員を委嘱されている関係で
開校式で挨拶をしましたが、高校生2名をふくむ
35名ほどの受講生(大半が小学生)は、その前日2日ほど
プロからレッスンも受けたので、真っ黒に日焼けして
嬉しそうに並んでいました。
宮里藍や横峯さくらといったアイドルの登場や、バブル崩壊後の
混乱がようやく一段落して、ゴルフ場も小康状態となり、
低料金となったこともあるのでしょうが、ゴルフが子供たちにとって
身近なものになり、「ジュニアゴルフ」が盛んです。
中には将来はプロにしたい、という親御さんがおられるのかも
知れませんが、そんなことより、広い芝生でボールを打ちながら
最後に小さい穴(ホール)に入れるという一見単純に見えるスポーツが、
やってみるとなかなかうまくいかないという面白さに、
子供たちが熱中しているのがとてもよくわかります。
途中には池や砂場(バンカー)など数々の障害もあり、
それをどう自分の力で乗り越えていくか、レベルの差はあっても
大人も子供も考えていることは全く同じなんだな、と
早くもこのスポーツ、人生ゲームに魅惑されている
子供たちの目をみて思いました。
昔のように道路で遊んだり、里山を駆け回ったりする「外遊び」が
種々の危険で禁じられたも同然の今の子供たちにとって、
「ゴルフ場」はまたとない自然に囲まれた、安全な「遊び場」です。
もっと多くの子供たちをゴルフに親しめるようにするのがこれからの
課題です。私の孫(小2)も来年あたりから、と考えています。
指導するプロが何度も「ゴルフは礼儀を一番大切にするスポーツです」
「芝や施設を大事にしましょう」「危険を避けるためにエチケット、マナー、
ルールを守りましょう」と繰り返し注意するのも、「遊びから学ぶ」大切さを
思い起こさせてくれます。
米国ではUSGA(全米ゴルフ協会)が主導して、2000を超える
「ファースト ティ」というジュニアのためのプログラムがある、と聞いています。
誰もがタイガーウッズになれるとは思っていないでしょうが、少なくとも
彼の「礼儀正しさ」や「敗者への思いやり」など、インタビューのたびに、
うちの子もこんな人間になって欲しい、と思っているに違いありません。
横山 国男
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2006年08月23日(水)更新
はじめまして
はじめまして。
夏にむけてのイベント「よさこい・オリジナル衣装の制作」が
ようやく一段落し、気になっていた「経営者ブログ」を
書かせて頂くことにしました。
時々後継の長女(二児あり、企画・デザイン&サイトの店長
です)も加わって、書き継いでいきたいと考えています。
よろしくお願いします。
「好きなことを仕事にできたら」・・・とても幸せなことでしょう。
しかし、最初からこういう恵まれた人は少ないに違いありません。
多くは長い間やり続けて、そのうち好きになる、あるいは
生活のために好きとか、楽しいとか考える余裕もなかった、
という人も数多くおられることでしょう。
私の父は10歳のころ丁稚奉公に出され、80歳を超えてもずっと
この地で産出する「シャク谷石」の石工・石屋として元気に働き、
96歳まで長生きしました。
大正の初めまで丁稚奉公は珍しいことではなく、子供の多い
小農家では長男以外は外へ出るのは一般的で、本人の意思や
希望は尊重されなかった時代です。
「職業の選択」という言葉すらなかったでしょうが、それでも
職人の父は活き活きとして、幸せそうでした。
<昭和52年9月 福井新聞社から取材をうけたときの父>
私もサラリーマンの経験がありますが、起業して30年、この間
家内と共に会社をどうやっていくかで頭が一杯の日々でした。
人、資金、設備、ライバルとの競争・・・また、この7、8年は
「中国への繊維・関連産業の地すべり的な移転」で、同業者の
縮小・廃業が続き、不安で眠れない夜もありました。
しかしものは考えようで、中国のおかげで「どうしたら生き残れるか」
を毎日考えさせられたとも思うようになりました。
最近になって「この仕事は私に合っている、好きな仕事かな」と
思うことがあります。
友人のほとんどがリタイアする歳になってどうかとも思いますが、
ここで生きていくという覚悟のようなものと、これまでと同じように
「モノつくり」をやっていきたい、という血は生涯職人だった父から
受け継いだものかもしれません。
今、私の周辺で「社業、家業を継がない」というケースをよく
耳にします。
大きな企業は別として、売上の減少や借り入れの返済に苦労して
いる両親を見て、最初からハンディキャップを負いたくない、という
ことでしょうか。
当社も似たようなものですが、私の世代と違い、サイトの手直しや
ブログを書いている娘たちの様子を見ていると、この「経済の大転換
時代」をうまく乗り切って、「仕事を楽しんで欲しい」と願わずには
いられません。
横山 国男
http://yosaoiya.jp
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