株式会社横山工藝 代表取締役 横山 国男 の日記 | 経営者会報 (社長ブログ)
「プリント道」45年余。新たな自身の夢と後継者への手紙-(株)横山工藝社長 横山国男のブログ
2007年02月05日(月)更新
うしろすがたのしぐれてゆくか・・・山頭火とブログ
「書くこと・伝えること」と題し、「経営者会報ブログ」事務局の
吉田さんからブロガーへの示唆に富んだアドバイスを頂きました。
(1月25日付 経営者会報ブログ・コムMAGA VOL.44)
“書くこと”のプロは「“書くこと”より“伝えること”」に全精力
を注いでいる、PR文を書く際の「はひふへほ」の法則、報道する
ニュースの三要素「ワァ!」「ヘェー」「ホォー」など、いずれも
「なるほど」と思いました。
私の場合「ブログは日記」との先入観が頭のどこかにあって、30回ほど
書いてみましたが、なんとなく落ち着かないのは、「ブログ」は半ば
公開されるもので、通常の「日記」・・「書き手が一人、読み手も一人」
で何を書いてもかまわない、とはいかないところとの違和感でしょう。
まして「経営者会報ブログ」は、実名でまがりなりにも「経営者」の
「日記」となると未だに結構プレッシャーを感じています。
・・・・・・・・・・・・
「書くことより伝えること」で「これだな」と思ったのは「俳句」です。
5・7・5、なんと17文字で言いたいことを「伝えて」しまう。
タイトルの「うしろすがたの・・」などはひらがなで14字しかありま
せん。あとは「読み手」の感性がどうかだけ。
百万言を費やしても「伝わらないものは伝わらない」ということでしょうか。
先日TVで自由律俳人「種田山頭火」の俳句を、90年たった現在でも
PR文の「嚆矢」としている、と高名なコピーライターが語っていました。
ご覧になった方もおられると思いますが、山頭火が句作の要領について
述べているのが秀逸と思いましたので、その辺の紙に急いでメモしました。
○ 情に溺るるなかれ。
○ 添えるより捨つべし。
○ 言いすぎは言いたらないよりもよくない。
○ 道として行として句作せよ。
○ ぐっと掴んでぱっと投げる。
「うしろすがたの」でぐっと掴んで、「しぐれてゆくか」でぱっと投げる、
というわけですね。
「道として行としてブログせよ」・・久米さん、参りましたッ。
横山国男
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2007年02月02日(金)更新
“雪吊り”は空振り?
とうとうまったく雪が降らないまま2月に入ってしまいました。
昨日1日から少し雪模様ですが、今冬は記録的な雪の無い冬として
記憶されることになるかもしれません。
実際はそうでもないのですが、福井というと過去に「豪雪」で全国に
知れ渡ったので、大阪などから来社される人は「拍子抜け」した
ような気になるようです。
昨年は全国的に厳冬でしたが、正月休みの間に40センチ程となり、
5日の仕事始めにあたって「除雪車(ショベルカー)」を手配して、
会社の前の道路や駐車場を除雪、道路際の塀沿いに積み上げて高さ3m
ぐらいの雪の山脈が出来ましたが、(その後もう一度除雪)今年は
ご覧のとおり何もありません。
ここ数年、降雪が少なかったので、費用もかかることだし、昨冬は「雪吊り」
をサボったところ、ハズれて大雪となり生垣や一本しかありませんが
社屋を建てた時に父が運んできた「松の木」が被害を受けたので、今冬は
12月早々に「雪吊り」を業者さんにお願いしたのです。
しかし空振りということになりそうです。もう明日は節分ですから。
湿気を含んだ重い雪のときは、「雪吊り」がないと「庭木」が傾いたり、
枝が折れたりして無残な様相となります。
車窓から見える野山の木々も幹が割れて白い肌を見せているのは心痛むものです。
(枝打ちなど里山の手入れをしなくなったからでしょう)
金沢の「兼六園の雪吊り」などは見事なもので、冬の風物詩としてよく写真などで
ご覧になると思いますが、雪国では一般の会社、家庭でも普通の冬支度として
行われてきたものです。
資材に使われる「縄」や「ムシロ」は、昔は農家の冬仕事だったので、子供の頃
いとこの家へ行くとよく囲炉裏のそばで一家で「縄ない」をしている光景に
ぶつかりました。
しかしこの辺の近隣農家でも今は見られなくなりました。ビニールひもや
ブルーシートに置き換えられたのでしょうが、「雪吊り、雪囲い」は
やはり「縄・莚(ムシロ)」の方が風情がありますね。
そんなのんびりした話しより、「雪」は高齢者社会にとって新しい脅威となり
つつあります。
老夫婦ふたり、あるいは老人の一人暮らしの家にとって「雪」は恐怖になり
ます。身体が不都合になると玄関先の30cの雪の始末にも苦労するでしょうし、
ましてやしんしんと屋根に積もる「音なき雪の音」はどんなに不安で心細いこと
でしょうか。
戸建ての家を処分し、マンションに入る知人も増えてきました。
市役所などではこのような家庭の「雪下ろし」などに業者、ボランティアの
手配の仕組みを作っているようですが、多いときは一晩に40c~も降り、
それが何日も続いたのが「38豪雪」、「56豪雪」だったのです。
でもその頃はまだ若い人たちも多く、地域の絆も強いものがありました。
「温暖化」もこの点に関する限り救いとなっているのかも知れません。
横山国男
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2007年01月30日(火)更新
旦那と職人
日本人はそれほどお金持ちでなくても、日常的に「質の高いもの、
丁寧につくられたもの」を身の回りに置く、あるいは身につける
という国民性がつい最近まであったように思います。
「日本人のブランドもの好き」とも関係があるかも知れません。
かっては「目利きの問屋の旦那」が「誇り高いちょっと偏屈な職人」を
気長に見守り、いい仕事をさせるといったシステムも機能していたはず。
とは言うものの、旦那はこれはあのお客さんに、という「買い手」も
チャンと頭に入っていて、したたかな商人(あきんど)ぶりですが、
それでも時には在庫になってしまうものもそれなりにあったでしょう。
昭和43年ごろ、私は絹や麻などの高級な素材を使った婦人服地の手織物、
ジャカード、プリントものなどを扱う小さな問屋を、一緒に商社をやめた
先輩とやっていましたが、あるとき富士吉田市の名門機屋(はたや)であり
問屋さんでもある会社を訪れる機会がありました。
事務所を兼ねた邸宅のバックヤードには、蔵や倉庫がいくつもあり、膨大な
在庫ですが、素晴らしい織物ばかりでした。
中にはデッドストックと思しきものもかなりありましたが、
「旦那(社長)」は鷹揚なものであり、今考えるとこれこそ日本の「問屋」
の「力」、「モノつくり」そのものだったと思います。
今は名の通った「アパレル」でも、「価格」と「納期」だけ指定して、
ほとんどが企画から商社に○投げ、商社もさらに下請けの零細な事務所に
投げて、そこのスタッフが必死で中国と日本の間を飛び回るという構図が
一般的になっているようです。
毎年、「ファッション・服装」を学んで卒業してくる若い人(数万人)も、
今の日本では就職先も少なく、活かされないまま他の仕事に就いていきます。
富士吉田の「問屋」さんは廃業したと聞きましたが、あの鮮やかな服地の
数々は今でも強く印象に残っていて、その後の私のモノつくりやモノを見る
目に少なからず影響を与えたと思っています。
横山国男
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2007年01月24日(水)更新
太字の万年筆・・団塊人からの年賀状
東京でいいお仕事をされている広告・デザイン会社経営の
Kさんからの「年賀状」はペン書きで(そのままを印刷されて
いますが)カッコいいものでした。
賀春
「貫禄」が出てきたら始めよう、と思っていたことがあります。
「年相応」に縛られず続けたい、と思っていることもあります。
という「巻頭言?」のあと、12項目が書かれています。
Kさんは還暦目前だそうですが、私は団塊より5~7歳上の年代、
でも「ボクもやってみたい!」「そうそう同感!」という項目も
あって楽しい年賀状でした。そのうちのいくつかをご紹介して
しまいますが、Kさんお許しを。
*は私の独り言です。
1.太字の万年筆で手紙を書くこと。
*いいですねぇ。ホントかっこいいと思います。何かの雑誌で
魯山人のハガキ(絵入り)や文筆家の太字の万年筆で書かれた
手紙などの写真を目にすることがありますが、文字の巧拙は全く
関係なし。なんといっても青インクのやさしさがいいです。
同じ内容でもボールペンには匂い立つものが無いですね。
2.キューバ産の葉巻をくゆらせること。
*小道具の他、長年愛用のアームチェアーも欠かせませんよね。
3.オープンカーで神宮の森をドライブすること。
*これは私には無理。ところで一人でですか?
5.可能な限り、デニムで出社すること。
*可能な限り、というあたりが団塊ですか、それともやはり
経営者としては、ということでしょうか。ジーンズを穿ける
体型を維持したい、というならそれも納得。
6.四季折々に、旧友と痛飲すること。
*お歳も考えて、痛飲は四季折々ぐらいがいいでしょう。
「団塊世代の子弟教育は間違っていなかったか」なんていうのも
痛飲のネタにふさわしい。
9.アンチエイジングは拒否して、グッドエイジングを心がけること。
*映画「小説家を見つけたら」(2001年・71歳)のショーン・コネリー
ですね。颯爽とした自転車乗りのシーンには家内もしびれた、と言って
ました。
10. 年に10回は、海外でゴルフをすること。
*10回というのは10ラウンドのこと?それなら私にも可能かも。
2月にはタイへ行って3日連続、ティーチングプロと若い人に混じって
レッスンも受けてくる予定。これで3回。どこへでもお供しますョ。
12. 髭をはやすことと帽子をかぶることは、あきらめること。
*あきらめないでください。またショーン・コネリーですが、
髭もハンチングもナイスですよ。誰が「007/危機一発」の頃の
コネリー(不細工といってもよい)がこのようなオシャレな
好々爺になると想像したでしょうか。
Kさん、グッドエイジングを!!
今年もよろしくお願いします。
横山国男
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2007年01月22日(月)更新
子どもたちと邦楽
この週の日曜日に「福井県立音楽堂」小ホールでの催し
「新春を彩る長唄の世界」を聴きに参りました。
唄、三味線、それに前列下段の笛、太鼓の囃子方が黒紋付で
緋毛氈の上に並んだ華やかなステージは、見た目にも「雛人形」
を思い起こさせる「日本の美」でもあります。
勿論演奏と唄がはじまると、能の地謡が始まった時のような
独特の軽い震えが沸き起こって、モーツアルトもいいですが、
これこそ日本人なればこその感興ではないでしょうか。
杵屋一門のご出演で、特に人間国宝杵屋喜三郎さんのどっしり
したそれでいて85歳とはとても思えない艶のあるのびやかな
お声はあまり長唄を聴く機会のない私にもとても感動的でした。
前半が終わったところで「長唄ワークショップ」と称して
高校生一人、中学生3人(男子はひとり)がステージに上がり、
八代目杵屋弥吉さんの軽妙な司会と指導・解説で「三味線」の
ワークショップがありました。
子どもたちもこの3ヶ月ほど練習したそうですが、三味線の音の
作り方などがとてもよくわかり、子どもたちの演奏も形になって
いて、会場からも「ほおー、すごい」などの声もあがり、大拍手
です。
会場の合唱とともに「さくら」を演奏した後、最後に杵屋弥吉さん
が子どもたちに「ぜひ三味線をつづけてください。バイオリンや
ピアノを習う子どもたちは世界中に沢山いますが、三味線は日本
独特のもの、将来海外へ留学などする機会があれば演奏してあげると
とても喜ばれるんですよ」と話していました。
今年のロータリークラブの新年会は私が担当だったので、従来の
料亭での酒宴はやめて、例会場に小さなステージを設えてもらい、
金屏風を背に「小唄」(花菱流)と「琴」(生田流)のめでたい
曲を聴いていただきました。(会員の夫人や娘さんに友情出演して
頂いたので経費の節減にも役立ったのですが、それより演奏の場を
提供したことをとても喜んでくださったのが意外でした)
会員からは「正月らしくとてもよかった」と結構企画にお褒めを
いただきましたが、子どもたちだけでなく大人も邦楽を楽しむ機会
が少なくなっています。
東宝映画の「社長シリーズ」でもおなじみですが、昔は会社で少し
偉くなると「3ゴ」といって、囲碁・小唄・ゴルフを嗜むべし、と
されていたようですね。
学校でも近年「邦楽」が復活しているようですが、指導者がおられ
るのかよく知りません。
私の中学生時代は「茶道」「華道」「筝曲」などの部がありましたが
今はどうなんでしょうか。
ともあれ、元旦には京都で新春大蔵流狂言「福の神」で茂山千作さん
の「ワアッハッハ」の大音声を頭から浴び、昨日は杵屋喜三郎さんの
長唄と二人の人間国宝の至芸を堪能できたことは幸せでした。
横山国男
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2006年12月14日(木)更新
【お題】コンサルタントは役に立つか
<明治大学商学部 布施彰子さん からのご質問>
いわゆる「経営コンサルタント」は、何らかの役に立ちますか。
たとえば、コンサルタントがどんな知識を持ち、
どんなフォローをしてくれると、御社の経営に
貢献できますでしょうか。
にお答えして。
「経営コンサルタント」とは、つまるところ「利益の出し方」
について個々の事業会社の特性を理解した上で、今の問題点、
このままいくと将来想起される問題点について、社長に「計数
の意味を教える」ことではないか、と思います。
小企業の場合、良くも悪くも「社長のパーソナリティ」が経営
に色濃く反映しますから、平たくいえば「どういう社長さん」か
といった「理解」から始まるのではないでしょうか。
若いコンサルタントであれば、この複雑化した「業種・業態の収益
構造」についてシンプルにアドバイスできなくても当然でしょうし、
また社長というものは「自分がこの仕事について一番知っている」
という自負があるものです。
私の経験では、27年間自社のB/S,P/Lを眺めてきましたが、業績が
低迷してきてもどこをどうすればよいのか分からず、非常に不安
に襲われた時期があります。
会社が病気にかかっているわけですから、原因を知り、適切な
療法を「一緒に考えていただける相談相手」が必要です。場合に
よっては今までとは違う会計事務所や人を探さねばなりません。
また後継者にとっても良き指導者であって欲しいとも思い、新たに
御願いしましたが、どうでしょうか。
もつれた糸をほぐし、自社の業態に合った「重要会計指標」を
抜き出し、ベクトルを合わせるといった作業をこの2年ほど共に
やってきて、ようやく明かりが見えてきたところで「税務中心の
制度会計でなく、経営会計を標榜する税理士さん」に感謝しています。
しかし懇意のコンサルタントや会計士、税理士であっても、という
よりだからこそ冷徹な問題点指摘を御願いし、弱点の克服に努力する
よう自戒していきたいと思います。
ご勉学に励まれることをお祈りします。
横山国男
**************************************
こんにちは。
後継者です。
当社がはじまってよりお願いしていた会計士事務所
をやめ、現在の会計士事務所にお願いして2期目を
終わろうとしています。
今担当としてわが社にきている税理士さんは、私と
同年代(30歳前半)で、明るい方です。そして、今の
やり方は経営コンサルティングの分野に入るのだろう
と思っています。
私自身は3年ほど前から経理について勉強をはじめるまで
会計も経営も未知な世界であり、当然ながら不安もありました。
しかし会計士事務所で勉強をはじめて(セミナーや個人指導
に通いましたので)最初に感じたのは、家計も会社の経理も
同じだ、ということでした。
まず赤字にしない方法=月次をきちんと行なうということ
がいかに大事かを教えられました。現在、月次できちんと自分
が数字を把握できるようになって、どれほど物事かクリア
になるのか、また、数字にオシリをたたかれたり、数字に勇気
づけられるというのも大きな発見でした。
また、まだ全体を見るには知識のない私に、税理士さんは
どこをどう見ておけば大丈夫なのか、どこが重要なのか、
を指導してくれています。また、会計士事務所全体としては
経営者のメンタル面でのサポートも信条としていることが
特にセミナー等をうけなくともきちんと伝わってきて、それも
よい結果につながっていると思います。
私は勉強もかねているところですが、会計、経営面の
相談を信頼してできる税理士さん=経営コンサルティング
の存在は、私たち後継者夫婦にとって、色々な問題に
たちむかうきっかけや勇気をくれる、ありがたい存在に
なりつつあります。
横山奈保子
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2006年12月10日(日)更新
京の年中行事―吉例顔見世を観る
幸運にも師走の京の風物詩といわれる「南座の顔見世興行」を
観る機会を頂き、週末夫婦で参りました。
去年から続いている十八代中村勘三郎の襲名披露の掉尾を
飾る興行でもあり、人気役者の勘九郎の雰囲気も手伝って
「南座」も今年は一層華やいだ感じがあるようです。
「中村勘三郎」のまねきが上がるのは20年ぶりとか。
そういえば以前に「顔見世」を観たことがあって、10年ほど
経つような気がしていましたが、家内がそのときのプログラム
を持っていて「當る辰歳」とあるのは19年前の辰年である
ことがわかり、「えーっ、そんなに経つのか」と思わず
“光陰矢の如し”を実感してしまいました。
しかしそれはちっぽけな人間の話。上のパンフを見ても20年間
体裁が変わっていないのにあらためて驚きますが、変化の烈しい
時代に在って「京都」が持っているものにますます多くの人が
惹きつけられるのもよくわかります。
1603年、四條河原で“出雲の阿国”が歌舞伎踊りをして以来
4百年、七座の内ただひとつ発祥の地に生き続ける「南座」は
洛中屈指の名所でもありますが、19年前は座席が狭く、身を
縮めて長時間の観劇に耐えた記憶があります。
それも今は平成の大改装で内部はすっかりラグジュアリーに。
天井の照明なども「和モダン」といった趣です。
新勘三郎の演目(夜の部)は美しい舞踊劇「京鹿子娘道成寺」。
歌舞伎にうとい私でも、あの絢爛豪華な衣装、喜怒哀楽の目の
演技、そして鍛え抜かれた末の柔らかな身体の使い方の素晴らしさ
には興奮して見とれてしまいます。
のけ反ったまま微動だにしない所作のところでは、思わず傍らの
家内に「イナバウアーやね」と言って笑われました。
イナバウアーなどといいましたが、このような自由闊達な物言い
が許されるのも歌舞伎のよいところ。
「口上」でも居並ぶ役者さんが、勘九郎時代の「やんちゃ」を
おもしろおかしく延べられ「・・よろしく御願い申し上げ奉り
まする」などと平伏して、観客をドッと笑わせておりました。
お客とのコミュニケーションの妙が4百年歌舞伎を続けさせて
きたのでしょう。
対して私の大好きな「能楽」は「抑制、そぎ落としの美」。
衣装以外は徹底的に簡略化の極致で、これはこれで見る人、
聴く人の想像力を豊かにさせるもの。
幕間に「狂言」が演じられることも多いので、歌舞伎のように
一杯飲みながらにぎやかに「お弁当」などということもあり
ません。哲学的でいかにも武家の芸能です。
どちらも素晴らしい日本の伝統芸能、特急なら1時間あまりの
「京都」に近い福井に住んでいる幸せを感じるときです。
横山国男
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2006年11月24日(金)更新
中国を楽しむ―その二
世界的なチエーンの立派なホテルも結構ですが、旅行は
国内でも出来るだけクラシックなホテルを選ぶように
なったのはこの10年ほど。
上海では1929年(昭和4年)に出来た「和平飯店」に二泊
しました。
ツインで一泊22000円、上から2~3番目のグレードで
しょうか。
こちらの旅行社で手配しましたが「五星ですが、古いので日本人
の方はあまり・・、水廻りのよくない部屋もあると聞いていま
す」と仰るので「いえ、いえ、少しもかまいません」。
心配はもちろん杞憂でした。
部屋も廊下もやわらかいオレンジ色の照明で満たされ、
8階のフレンチのグリルは素晴らしいアールデコ調の室内、
朝食を頂いた最上階の中華レストランは豪華客船の大食堂風、
対岸の高層ビルと眼下に運河が見渡せる眺望に家内も感激
した様子でした。
夜はこのホテル名物の「オールドジャズバンド&バー」を
楽しみました。
70歳を超えた老ジャズメンが懐かしいスゥイングのナンバーを
ほとんど譜面なしでの演奏。
一曲終わるごとに小休止するのもご愛嬌です。
深作欣二の映画「上海バンスキング」(1984)は、昭和11年の
上海租界が舞台だそうですが、「租界」とか「間諜」とかには
独特の響きがありますね。
今はもう死語化しているようですが。
「租界」とは単なる外国人居留地とは違い、居留する国の軍隊
が駐留し、権益を守るというわけですから、その背景を考えると
緊張感があるのは当然ですし、いろいろなスパイやメロドラマ
の恰好の舞台にもなったのでしょう。
深夜2時ごろになっても、窓をあけると、下の大通り「南京東路」
からは、頻繁な車のクラクション、警官の笛、時折叫び声や怒号
などと一緒に強烈な排気ガスの臭いが飛び込んできます。
2010年の万博を成功させた上海をもう一度訪れてみたいものです。
横山国男
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2006年11月14日(火)更新
中国でビックリ・・その一
日本ではお酒で知られる紹興市(人口450万)の高校と
福井の母校とで2000年から交流をしているので、先生、
代表の生徒さんなどと一緒に初めて訪問してきました。
一行は13名でしたが、校門でバスを降りると、いきなり
ブラスバンドの演奏がはじまり、4階建ての校舎の窓から
生徒さんが手を振り、大きな声で何か言っていますが、
勿論さっぱりわかりません。
おそらく横断幕によくある「熱烈歓迎」ということでしょうが、
そのような経験がないので、横にいた家内も私もちょっと
照れてしまいました。
「中国交流委員長」というお役目の公式な行事が終わったあと、
私たち夫婦は一行から外れて上海へ一足先に戻りました。
上海へは鉄道に乗ってみたかったので切符の手配を御願い
しておきました。
新装の立派な「上海南」駅、改札にいた中年の女性駅員さん
は切符を回収するでもなく、こちらが「タクシー乗り場は
どこ?」「タクシーどこ? タクシー、テキシー・・」と
連呼しても困った顔でそのうち向こうをむいてしまいました。
これが回収されなかった切符。
驚くのはその料金の安さです。50元といえば750円くらい、
私の住む福井と大阪くらいの距離、時間ですからJRの特急・
グリーン8030円に比べると十分の一。
「新空調軟座快速」とあり、グリーン車座席に近いシート
でしたし、他の車両との間に鍵をかけていました。
<花は生花でした。>
車掌さんは若い女性で、もちろん改革解放前のようないか
めしいスタイルではありません。
白いブラウスに紺のズボン、頻繁に乗客に水かお茶の
サービスをしていましたが、友人から「水」はペットボトル
を空港で買うように、と教えられていたので持っていました。
高速道路もドンドン延長され、自動車もかなり増えている
ようですが、広大な中国では移動はまだまだ鉄道とバスが中心、
利用者も多いのでこの料金で採算がとれるのでしょうし、
一般的な国民の収入からみると妥当な料金かもしれません。
お土産としてすごく人気がある、ということでこちらの学校
から「グリコ アーモンドチョコレート」も沢山スーツケース
に入れていきましたが、これが中国では50元するそう。
(日本のスーパーで200円ぐらいでしょうか)
アーモンドチョコ1箱で、楽しい二時間半の中国鉄道を楽し
めたことになります。
横山国男
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2006年11月04日(土)更新
職業は自分でこしらえるもの
豊田自動織機の創業者豊田佐吉翁は
「仕事は自分で見つけるもの、
職業は自分でこしらえるべきもの。
その心がけさえあれば、仕事、職業は無限にある」
と言われたそうです。
発明や発見の動機になるものが、親の労苦をなんとかしてあげたい、
民衆の苦難をなんとか解決してあげたい、ということがスタートで
やがて大きな事業に発展したものも少なくありません。
大事なことは佐吉翁が言われる「心がけ」ということでしょう。
現在の日本では、親の労苦や民衆の苦難などが見えにくく
なっているとは思いますが、仕事や職業はすでにあるものと
思い込み、いかに自分の条件に合ったものを捜すか、という
ある種贅沢なゆるい思考が多くのフリーターや無職者を
生み出しているような気もします。
産業の未発達の国へゆけば、食うためにあらゆる仕事を
工夫して考え出します。私たちの場合、多くは観光客として
訪れるのでその一部しか目にしませんが、それでも「へー、
これで金を稼いでいるのか」と驚いたり、感心することも多くあります。
昔、東南アジアのある国で、現地で仕事をしている友人と
ゴルフをしたことがあります。
クラブハウス(といっても小屋のようなものですが)前に
2,30人いる子どもたちの中から、友人とゴルフ場の支配人と
思しき男性がなにやら話しをし、4人の子どもがこちらへ嬉しそうに
走ってきました。今日のキャデイというわけです。
「僕は二人も要らないよ」と私がいうと、現地に長い友人が、
「いや、いつも二人は使う、三人使うこともある。一人日本円で
400円ぐらいだし、これで今日のあの子の家はハッピーだから」
どうやら不公平にならないよう誰を選ぶか支配人と相談していたようです。
当時でもボールは一個400円ぐらいしましたが、「池ポチャ」などして
騒いでいる我々の横で、キャデイ君はじっとボールの入った地点を
見ているようです。あとで池に入って探し出すのでしょう。
それをロストボールとして支配人に買ってもらうのかも知れません。
ゲームが終わって、ハウスで食事をし、外へ出るとさっきの
四人がキャデイバッグの傍で遊びながら待っています。
友人が「フイーは最後にしかやらないから、ちゃんとバッグの
留守番もしているよ」
帰路の車の中で池ポチャもOBも何かいいことをしたように
思ったことを覚えています。
横山国男
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