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2009年05月08日(金)更新

創業の日・・事業承継について考える

今日5月8日は33年前、友人が世話してくれた古い織物工場の空き工場を借りて
若い男子一人、パートのおばちゃん一人で仕事を始めた日です。
また、39年前結婚した日でもあります。

多少の感慨はありますが、最近の経済環境の激変や、それに伴う会社のかじ取り、
奉仕団体の仕事なども加わって多忙なのでゆっくり考えている時間もありません。

また、それでよいと思います。過去を懐かしんでもしょうがないと思います。
今の日本は「あの豊かで、明日は今日よりもっと良くなる」と誰もが信じていた時代
が終わって「失われた10年」、いや20年とさえ言われる時代です。
少子高齢化もはっきり現実のものとなって、社会全体がうろたえているように見え
ます。

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私が考える「事業承継」というのは・・・という話をときどき娘夫婦にします。それは
「引き継ぐこと」ではなく、「自分の頭で考えた自社像」がまずなくてはならない、もう
10年以上も一緒にやっているんだから考えているはずだと。

それを実現する為に、必要であれば先代の信用、人的ネットワーク、技術や現場
知識など諸々の有形・無形の資産を生かして(利用して)いくべきなのであって、
漫然と同じ事業、同じやり方を引き継いでもこの変化の激しい時代にうまくいく
はずがないし、それでは第一自分の人生を生きたと言えるのかどうか、と話します。

「味方の多い奴が戦争に勝つ」・・そうです、家族、従業員はもとより、友人、知人
取引先、お客様・・・どんどん味方を増やしていくことが成功への道だと思います。
そのためには他人の成功のために味方にもなってあげなくては。

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39年目の結婚記念日か。そういえばアナタが「一番強い味方」でいてくれたなあ、
とあらためて感謝しますよ。


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2009年05月07日(木)更新

国際電信電話いまむかし・・①電話

居間でカナイの声がするので誰と電話をしているのかと思ったらパソコン(PC)に
向かってしゃべっています。
先日、会社のウェブマスターのK君にスカイプ(SKYPE)を設定してもらい、カメラも
つけてもらったのでシカゴにいる次女と顔を見ながら「マスクはあるの?タミフル
送ってあげようか」なんてやっています。

一瞬、「何をのんびりと話しているのか」と焦った気持になったのにはワケがありま
す。「国際電話は金がかかる」というトラウマがあるからですが、それは遠い昔の話。
スカイプはほとんどお金がかからないシステムと聞いていたのに・・。

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東京オリンピック(1964年)のころ、私は商社の横浜支店でサラリーマンをやって
いました。国内にも多くの支店がありましたが、大阪本社、東京支社、神戸そして
横浜支店は輸出入業務で海外の支店との取引が多く、特にニューヨーク支店は
北米向け絹織物輸出先である大きなバイヤーの窓口でした。

1ドルはまだ360円の固定制度時代。国際電話は電話局に「通話申込」をして
順番を待つ、すなわち混んでいればいつ繋がるかわからないので申込者は電話
のそばを離れられない、といったそういう時代でした。

『ニューヨーク繋がりました』と社内交換手の呼び出し(そのころはちょっとした社員
数があるところでは、電話局を退職したようなオバサンが別室の「交換台」という機
械の前に座って、かかってきた電話をそれぞれの担当者へ繋いでいたのです)が
あると、部長や担当者などが電話のところに走ります。

なぜ走るかといえば、「通話料金」が目ん玉が飛び出るくらい高いからです。
「テレックス」はもう設置されていましたから、時差もあるので電話は緊急の用件か
こじれたクレームの話です。

皆「お金がかかる」という頭がありますから、要件をメモしていても早口になるし、
時には日頃落ち着いている部長が噛んだりしますので、今考えるとユーモラスな
風景ではありました。

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今、思い出しましたが、ガールフレンドからかかってくる電話は「交換手オバサン」
にしっかり聞かれていました。ある時、なにかの冗談を言ったら「フッ、フ、フ」という
オバサンの声が入りビックリ。そのことを隣の女子社員に話すと「アラ、知らな
 かったの?」と言われガックリ。
「個人情報」なんて言葉すらなかった「三丁目の夕日」のころのお話。

思えば「スゴイ時代」になったものです。
もう一つの「テレックス」(あの長ーい穴開きテープ「穿孔テープ」)にまつわる思い出
については後日書いてみたい、と思います。


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2009年05月04日(月)更新

ミニクラス会

昨日3日は、中学の同級生10人によるミニクラス会のようなものがあり、近くの
ホテルの中華レストランで昼食。

女性7名男性3名が急な連絡で集まったのは、札幌から法事のために久しぶりに
帰省したOさん(女性)のために開かれたものです。

もうみんないい歳です。卒業して半世紀以上になるわけですから当たり前ですが、
男性3名はそれぞれ事業を後継者に譲ろうという話題、女性は孫の話と、毎日の
過ごし方、他の級友の消息とこういう会の定番の話題になります。

私たちが過ごした中学時代は「戦後」という感覚の残滓がまだありました。
物のない時代、大半の家庭は裕福ではありませんでしたから、いかに貧乏だった
か、という自慢話(?)も出てきて大笑いしますが、それだけ結束が固いようにも
思えるし、またその後の豊かな生活を手に出来たことへの感謝も持ち合わせてい
ると思います。

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Nさん(女性)は、お父さんがフィリピンで戦死、当然顔も覚えていない、写真で
知っているだけだったそうですが、この3月に姉妹3人で生まれて初めてパスポー
トをとり、訪問のツアーに参加してフィリピンに行ってきたの、という話をしました。

それまで現実味のなかった「父」が、彼の地で一気に現実性を帯びて、涙が止ま
らなかった、姉妹3人で大泣きしたあと、ものすごくすっきりしたんだそうです。
意識してなかったけど、どこかで「父」に会いたい、「お父さん」って呼んでみたかっ
たとズーッと心のどこかに60年以上も潜在していたんだなあ、と思いました。

Nさんは2年ほど前まで、20歳のころからの「保母」さんの仕事を続け、今は嫁い
だ農家の仕事に汗を流す毎日とのこと。
これがものすごく新鮮で、野菜や花のことを嬉しそうにしゃべり、それまでできなか
った地域のお世話も楽しくやっているとのこと。

こういう年齢になると、やはりよく言われるように女性の方が「生き甲斐」を見つけ
るのが上手だし、いきいきしているような気があらためてしたミニクラス会でした。



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2009年05月01日(金)更新

エンパイア・ステート・ビル・・78歳の誕生日

今日5月1日は、エンパイア・ステート・ビルデイング(ニューヨーク市マンハッタン)
が1931年に竣工した日だそうです。【地上102階 軒高(ビル本体)381m】

子供のころ、世界一高いビルディングとして何度も「年鑑」などで目にして、アメリカ
ってすごいなァー、と目を輝かせたような記憶があります。
今の若い人にはピンとこないでしょうけれど。

もちろん映画「キングコング」(初作)で怒り狂ったコングがこのビルによじ登り、
軽飛行機をはたき落とすシーンなども忘れられません。

エンパイア・ステート・ビルディング 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 エンパイア・ステート・ビルの夕景 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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1972年にワールドトレードセンターのノースタワーが竣工するまで世界一だった
わけですが、2001年9月11日の「同時多発テロ」でトレードセンターが崩壊した
ため、ニューヨークでの悲しい王座返り咲きとなりました。

Wikipedeiaによると、太平洋戦争が間もなく終わろうとしている1945年7月28
日の午前9時49分、深い霧の中、アメリカ陸軍の中型爆撃機B-25が、79階の
北側に衝突、79階と80階で火災が発生したが、約40分後に消火されたとのこと。

着陸時で燃料搭載量が少なかったこと、ジャンボのような大型機でなかったことが
大惨事にならなかったとありますが、事故後2日で営業を再開しているところを見
ると、ビル自体が非常に堅固なのではないか、また新建材などがまだあまり使用
されておらず、有毒ガスなどの発生も少なかったのではと考えたりもします。

現代のカーテンウオール工法などとは違い、ビル自体の重量を支えるため、低層
階は巨大な柱でかなりのスペースが占められているようなことを建築家の友人から
聞いた記憶があります。

そういえばトレードセンターはじめ最近の高層ビルは外壁はほとんどガラスですし、
1階でも特別に巨大柱ばかりという印象はありません。建物全体で重量を分散して
いるシステムなのでしょうか。建築には素人なので推量ですが。

今の時代とよく似ているのは、竣工当時は「世界恐慌」の真っただ中、1940年代
まで多くが空室のままだったそうです。
80年近く経った今でもオフィスやホテルとして現役で頑張っているようですが、
驚くのは水まわり配管や電機設備などは当然老朽化していくわけで、更新やリニ
ューアルを繰り返しつつ、なお機能を維持し続けているということ。
最近の高層ビルははたしてこのように丈夫で80年も長持ちするのでしょうか。

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誕生時には世界恐慌に見舞われ、続いて大戦、その後未曽有の繁栄を経験、そし
て今また世界同時不況に加えて世界的な流行になるかも知れない新型インフルエ
ンザなどの発生。

奇しくも1931年クライスラービルを抜いて世界一になったこのビルが、今日その
クライスラー倒産のニュースを聞く。2年後(2011年)80歳になるとき、建築中の
フリーダム・タワーが完成すれば、再び「ニューヨークで最も高いビル」の座を明け
渡すことになるようです。

78歳を迎えたエンパイア・ステート・ビルディングに何か特別な感懐をいだくのは
私だけではないかも知れないと今朝は思いました。



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