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2007年03月31日(土)更新

久米さんは私の“灯台”

先日、10年ぶりに「くめさん」の久米繊維工業本社を訪問
させていただきました。

この間、久米社長・ご兄弟とは当社を含め、各所で何度か
お会いしておりますので、「久しぶり」という感じはない
のですが、錦糸町駅から久米繊維さんまでの風景は全く
変わってしまい、大通りの右手にあった「昭和」を感じさ
せた「大時計」の精工舎工場は高層ビルとモールに変わって
おり、強いビル風も吹いておりました。

ちょっと浦島太郎のような気分です。

 久米社長、スタッフの皆さんといろいろな打ち合わせのあと、
近くで「お昼」を頂く事になって、肩を並べて歩いていた
博康専務さんが、「この辺も最近はスーツ族がやたら多くなり
ました。以前はジャンパー姿の人も多かったんですが」という
話や、看板に「本所」という文字を見たりすると、あの
関東大震災で有名になった“本所被服廠”とか、駅名に“糸”
がついているせいか、このあたりが繊維や服と関係が深かった
街だったことを自然に思い起こさせます。

久米繊維さんもその名のとおり、この地域に多くある糸偏企業の
一社だったのでしょうが、反対側の高層ビルを除けば、界隈では
以前から高いビルで、屋上の[KUME][Jentle]のサインも堂々と
していて先代からの経営の立派さが想起されます。


久米社長と私のお付き合いのきっかけは10年ほど前に受賞された、
「日経インターネットアワード」です。

ある日「日経産業新聞」の一面に“アワード受賞”三社の記事が
載り、二社は誰でも知っている大企業でしたが、「久米繊維工業」
という全く知らない企業の名前が、私には特に「光を放って」いる
ように見えました。「繊維」という困難な業界に身をおく者には
何か「灯台」が見えた気がしたのです。

ITという言葉すらまだ一般的でない、特に地方ではインターネット
の黎明期といってもよい頃だったと思います。

 私はすぐ久米信行社長に会いにいくことにしました。
(私の生涯で“自ら出合いを求める”“そのために行動する”
という点で、最も大きなエポックだったと思います。後継者に
どうしても伝えたいことの一つです)

 受賞理由や経歴を読んで、「久米信行さんという人は、きっと
これからの時代をリードするキーマンのお一人」という確信の
ようなものを感じた記憶があります。


今回訪問して素敵なギャラリー併設の事務所に案内していただき
ましたが、前はカラフルな二階の事務所で「くめさん」は今と
同じように、ニコニコ、丁寧な応対で福井から出てきた二回りも
上の「おじさん」に熱くインターネットの将来を語り、膨大な
「Tシャツコレクションルーム」も案内してくださいました。

あれから10年、途中稀代の書家と言ってもよい、級友の「吉川
壽一」も加わって、“日本のTシャツ”を作りたい、という共通の
夢を持たせていただく関係が続くことになりました。


ともすれば危ういITの世界で、「メール道」「ブログ道」などで
日本人が忘れてはならない“道”で血を通わせよう、ご本業の
「Tシャツ」で社会貢献もできる、健全な「プロシューマー」を
生み出そう、という信念はますます強くなっておられるな、と
感じた今回の訪問でした。

いくつかの「楽しい」“共創”のお話もあって、明日からの4月が
明るい新年度になりそうです。
今後とも後継者ともどもよろしくご指導ください。


横山国男
http://www.yosakoiya.jp/
http://www.echi-zen-art.co.jp/

2007年03月27日(火)更新

じいちゃん、ばあちゃん頑張れ!・・能登沖地震

25日(日)朝の「能登半島沖地震」はかなり離れている福井
でも相当の揺れでした。
冷蔵庫の上にあったカップが落ちて割れましたが、家屋に
被害などは全くありませんでした。(福井:震度4)

もっとも我が家は鉄骨2階建ての社屋の中にあり、揺れますが
まず倒壊の心配はありませんので、相当の地震でも外へは飛び
出さないことにしております。

それにしても今回も日曜日の朝9時半すぎ、最少の人的被害
で済んだ時間帯でした。「阪神淡路」の時は早朝でしたが、
これらが平日の通勤・通学時間であったり、都心に人が多く、
火を使う時間帯だったとしたら、と考えると想像するのも
恐ろしいことです。

報道が進むにつれ、かなりの「大地震」であったことが判明
しましたが、TVを見て感ずることがいくつかありました。

画面に登場する人の殆どが高齢者で、地方の「高齢化社会」が
進んでいること、しかしまだ「ご近所の底力」を一部垣間見る
ことも出来、「ほっ」とする場面もありました。
これは「田舎」ならではのことでしょうか。

勿論すべての被災者がそうではありませんし、ひどく「落ち込
んでいる人」はインタビューに応じるどころではないのかも
知れませんが、意外に「怖かったあ、でも相手は自然だもの、
しょうがないね」みたいな口調の人もいて、「そうそう、命が
あってよかったね」といってあげたいようなシーンもありました。

南北に長い日本列島、火山も多く、だからこそ美しい変化に富む
国土が形成されたようですが、時々襲ってくる「大地震」やその
ほかの自然災害が「日本人の気質」とは無関係とは思えません。
「しょうがない、また建てなきゃ」・・ぜひ頑張って欲しいもの
です。


歳をとったせいでしょうか。東京に長く滞在するのはなんとなく
落ち着きません。「今、直下型の・・」なんていつも考えたりは
しませんが、地理も不案内となってしまったし、すっかり風景も
記憶にあるものとは違ってきています。

と言いながら28,29と上京しなければならないのですが・・。
軍手とタオル、帽子ぐらいは常時持っているべきなんで
しょうかね。


横山国男
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2007年03月23日(金)更新

明大生との一問百答への回答

<質問>
自分が、もし現在の会社で一社員の立場だったとしたら、
社長を支えるためにどんなことが必要で、どんなことが
出来ると考えますか?
※社長ご自身がどんなフォローを望んでいらっしゃるかを
お聞きしたく思います

(東洋大学経営学部3年 渡辺麻貴さん)



「社長を支える」「支えて欲しい」という意識は、商社の社員で
あった時代は勿論、社長と呼ばれる現在でもあまりありません。

それより社長を含む「組織(会社・仲間)を支える」という意識を
持ってもらえたら、とは思います。

結局、社長というものは、組織(会社)への忠誠心や参加意識、
創意工夫を強く持った社員がいて、業績が良ければ、「支えて
もらっている」という意識、感謝の念は自然に生まれます。


あえてお答えするなら「人」という字のように、社長も社員も
お互い「支えあう」といった意識・感覚が小規模な事業所では
特に大切なことのように思えます。


横山国男
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2007年03月17日(土)更新

【今週のお題】社長になっていなかったら何をしていますか?

経営者である皆さんは、夢を抱いて事業に打ち込んでおられる
ことと思いますが、もしも、ご自身が社長でなかったら、いまどんな
仕事に就いていたのでしょうか。あるいは、どんな仕事に就きた
かったのでしょうか?



福井を発祥とする元気な「焼き鳥チェーン」があります。
ここではお客さんへの呼びかけは二通りしかありません。
「シャチョーッ」と「センセーッ」です。
この伝でいくと「社長」でなかったら「先生」ということ
になるのですが・・。


若い頃はそういう仕事があることを知りませんでしたが、
「ゴルフコース設計家」になってみたかったですね。
「大地をキャンバスに絵を描く」・・“先生”と呼ばれる
商売です。

土木・建築・造園・景観・美術・心理・気象・農学等など、
名コースは芸術的な要素も含めた「総合建設」ともいわれ、
名建築同様、コース設計者の名前は永く記憶されます。


現実味のあるお答えとしては、
私の場合、「大工さん」か「家具職人」ですね。
とにかく「樹」・「木」が大好きの「木フェチ」ですから。

木造建築か木製家具一本やり。「構造計算」などとは無縁の
伝統工法。・・・一日中でも大工さんの仕事を見ていたい、
木工所に入り浸りになっていたい、という子どもでしたから。

あ、そういえば「木製カヌー」作家などというのもいいですね。
湖畔の工房で、なんて夢のようです。

どのみちサラリーマンは続けられなかったと思います。

横山国男
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2007年03月16日(金)更新

“フラット化”の究極は一物一価

今朝の地方紙に「中国の需要急増で外材(木材)が高騰し、
県産木材に追い風」というローカルニュースが掲載されて
います。

中国の経済発展が消費の増大とともに、多様化、高級化をも
招いているので、先日「ゴルフ場を葡萄畑に」という拙ブログ
を書きましたが、このままいくと金属泥棒の他にもいろいろな
ところに形を変えて影響が出てくることでしょう。

穀物にしても、穀物のまま食すのではなく、「牛肉」がうまい
となれば、膨大な「飼料」としての穀物が何倍も必要になり、
ガソリンやプラスティックなどの原料としての「石油」も、
世界の「アパレル工場」として低価格を武器に大いに稼いだ
豊富な外貨(ドル)でドンドン買うということでしょうから、
国際的に食料や資源の需給バランスが大きく変化することは、
私でも容易に想像がつきます。


つい最近、当社の「よさこい衣装」を縫製して頂いていた
「縫製工場」(ほとんど中国へ移転し、わずかに残っている
工場ですが)から、中国から戻ってきている大手アパレルの
仕事が増えてきて、申し訳ないが手がかかって、数量の小さい
当社の仕事はお断りしたい、価格は中国との比較をすぐ言われ
るので厳しいのですが、従業員もいるし通年の仕事なので、と。

シーズンを前にして青くなりましたが、幸い伝手を頼りいろいろな
「縫製ができる人」を紹介していただいて事なきを得ていますが、
年齢層の高い人たちなので将来の対応を考えておく必要があります。


当社も中国への産業移転の「波」をかぶった業種ですが、この
10年の繊維、染色、縫製産業などの疲弊ぶりをみていると、もう
仕事が戻ってきてもやれる状態ではありません。
一昨日も“信用情報”に長い歴史のある京都の染工場倒産の
ニュースが出ていました。

別な言い方をすれば、これからは中国やそれに続く国からどんな
価格、納期、品質を提示されても「要る」のなら受容しなくては
ならないということです。我々は生産手段を失ってしまい、
主導権はアチラにあるのですから。

地滑り的な「中国への進出、工場移転」を見ながら、早晩そうい
うことになると予想しておりましたので、海外進出できないなら
「どうしたら日本で生き残れるか」をここ数年のテーマとして考
えてきました。。
同様な業態の経営者の皆さんも同じではないでしょうか。


国境やイデオロギーという堤防が決壊し、生産工場だけでなく有り
余る投資資金やサービスまでも「最適地」を求めてダイナミックに
流動する世界の経済。
いずれ“一物一価”が実現するまで、高い所は低くなり、低いところは
高くなって「フラット化」していくのでしょう。


横山国男
http://www.yosakoiya.jp/
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