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2006年08月23日(水)更新

はじめまして

はじめまして。

夏にむけてのイベント「よさこい・オリジナル衣装の制作」が
ようやく一段落し、気になっていた「経営者ブログ」を
書かせて頂くことにしました。

時々後継の長女(二児あり、企画・デザイン&サイトの店長
です)も加わって、書き継いでいきたいと考えています。
よろしくお願いします。


好きなことを仕事にできたら」・・・とても幸せなことでしょう。
しかし、最初からこういう恵まれた人は少ないに違いありません。
多くは長い間やり続けて、そのうち好きになる、あるいは
生活のために好きとか、楽しいとか考える余裕もなかった、
という人も数多くおられることでしょう。


私の父は10歳のころ丁稚奉公に出され、80歳を超えてもずっと
この地で産出する「シャク谷石」の石工・石屋として元気に働き、
96歳まで長生きしました。

大正の初めまで丁稚奉公は珍しいことではなく、子供の多い
小農家では長男以外は外へ出るのは一般的で、本人の意思や
希望は尊重されなかった時代です。
「職業の選択」という言葉すらなかったでしょうが、それでも
職人の父は活き活きとして、幸せそうでした。

石工職人スギタロウ

<昭和52年9月 福井新聞社から取材をうけたときの父>



私もサラリーマンの経験がありますが、起業して30年、この間
家内と共に会社をどうやっていくかで頭が一杯の日々でした。
人、資金、設備、ライバルとの競争・・・また、この7、8年は
「中国への繊維・関連産業の地すべり的な移転」で、同業者の
縮小・廃業が続き、不安で眠れない夜もありました。
しかしものは考えようで、中国のおかげで「どうしたら生き残れるか」
を毎日考えさせられたとも思うようになりました。


最近になって「この仕事は私に合っている、好きな仕事かな」と
思うことがあります。
友人のほとんどがリタイアする歳になってどうかとも思いますが、
ここで生きていくという覚悟のようなものと、これまでと同じように
「モノつくり」をやっていきたい、という血は生涯職人だった父から
受け継いだものかもしれません。


今、私の周辺で「社業、家業を継がない」というケースをよく
耳にします。
大きな企業は別として、売上の減少や借り入れの返済に苦労して
いる両親を見て、最初からハンディキャップを負いたくない、という
ことでしょうか。

当社も似たようなものですが、私の世代と違い、サイトの手直しや
ブログを書いている娘たちの様子を見ていると、この「経済の大転換
時代」をうまく乗り切って、「仕事を楽しんで欲しい」と願わずには
いられません。


横山 国男
http://yosaoiya.jp
http://www.echi-zen-art.co.jp