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「プリント道」45年余。新たな自身の夢と後継者への手紙-(株)横山工藝社長 横山国男のブログ
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2008年09月26日(金)更新
荻須高徳コレクション展を観る。
と昼食をかねて観に。
油絵、水彩、リトグラフ、デッサンなど40点あまり、大好きな画家の一人なので、
とてもハッピーな時間を過ごしました。
荻須高徳(1901年愛知県稲沢市生れ~1986年パリで死去)は、東京美術
学校(現藝大)へ進み、師は藤島武二、同級生に小磯良平、渡仏後は佐伯祐三
の親友として彼の死にも立ち会ったようです。フォーブ(野獣派)のブラマンク、
ユトリロなどの影響を強く受け、後年は独自の画風を確立しましたが、画業活動の
ほとんどをパリで行い、1956年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を、
1986年(昭和61年)には、文化勲章も受章しました(没時追贈)。
上記した画家たちとその作風は、私の最も好むところですが、中でも荻須の描き
続けたパリやベニスの街角、お店など、建物や街頭の風景には強く惹かれ、趣味
の水彩画を描く時でも頭のどこかでチラチラします。
もう一つ、私の中の荻須高徳は、画家にありがちな奔放な感じがなく、いつも髪を
きちんと分け、仕立ての良いシャツとスーツを身に着けたネクタイ姿やツイードの
オーバーコート姿など、多くはパイプを口にして、とてもお洒落な人、日本人には
少ない大人の男、国際派という印象があります(白洲次郎などもその口ですね)。
長いパリでの生活が醸し出す雰囲気もあるのでしょうが、ちょっと日本人離れした
風貌と寡黙な印象で、そのクールな老ダンディーぶりには憧れてしまいます。
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コレクションはリトグラフ(石版画)が大半なのですが、中にE.A.(作家保存版)の
サインのものが多いので、売り場の人に尋ねると、先年パリで亡くなられた夫人
の関係筋から出たものが多いとのこと、荻須が制作中に急死したため遺作の
リトグラフ制作は夫人が監督し、番号や署名判、アトリエ印も美代子夫人が押し
たものが多く含まれている、とのことでした。
15号の油彩が2点。パリの街角を描いたとてもいいもので、しばらく立ち止まって
じっくり見せてもらいましたが、お値段はともに3990万円。別世界の話なので
格別驚きもしませんが、クリスティーズなど海外のオークションなどではどれほど
の値がつくのだろうか、と一瞬下世話なことを考えてしまいました。
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この11月22日から12月14日まで、愛知県稲沢市にある「荻須記念美術館」で、
市制50周年・開館25周年を記念して、「荻須高徳展」が開かれるようです。
常設展示品、収蔵品の他に、遺族、所蔵家からも作品が寄せられるようですから、
ぜひ観にいきたいと今からワクワクしています。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
2008年07月09日(水)更新
写真家・・土門拳の「風貌」。
いないし、第一表現する仕事、例えば画家とか音楽家とか映画監督とかの作品を
生み出すパワーみたいなものは常人の域をはるかに超えていますし、そうでなけ
れば人に感動など与えられるはずもありません。天与の才能は無論のことですが、
両方とも持ち得ないのであれば、プロの仕事を尊敬をもって見させていただくだけ
ということになります。
土門拳という写真家がいて、私達の若いころは木村伊兵衛とか入江泰吉、秋山
庄太郎などとともに大変な人気がありました。晩年脳梗塞から立ち直り、左手で
本業のカメラはもちろん、絵や書、骨董にも才長けた人だったようですが、後年
再び脳血栓に倒れ、11年間昏々と眠り続け、’90年、80歳でこの世を去りました。
出身地の山形県酒田市に全作品を集めた「土門拳記念館」があるそうなので、
いつかは訪れてみたい所の一つです。
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黒澤明が仕事に入ると、当初の予算と製作日数は次々と膨れ上がり、延びて
会社(東宝)と常に悶着を起こしていたのと同様、土門拳も「日本工房」時代、その
後の独立以降も機材、フイルム、スタッフ経費などハンパではなかったようです。
現在のようにモノが溢れ、デジタルでどんなことでもできる時代ではありませんし、
特に戦前は良質なものは高価な輸入品に頼ることになります。しかしこのような
不自由と常に戦いながら自己の表現にこだわり続けた情熱こそ、後世にも残る
作品を生み出した原動力になっていたのも間違いないと思います。何不自由ない
というのは情熱、情動の敵かもしれません。
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土門拳の作品集では「風貌」が好きです。中でも“電力の鬼”松永安佐衛門は素晴
らしいので、時々引っ張り出して眺めます。日本人の顔、明治人の風貌を感じさせ
てくれます。(本当の事業家になるには、4トウ・・闘病、倒産、投獄、放蕩の経験
なくしては事業家とは言えん、と言ったと伝えられ、美の追求者でもあった松永
安佐衛門翁その人に魅力を覚えるせいかも知れませんが。)
昭和57年小学館から発刊されたこの土門拳全集(全13巻)9ー「風貌」には次の
ような編集後記があり、考えさせられます。少し長くなりますがご紹介します。
『本巻の風貌(一)に登場する肖像は、もはや私たちの周囲では見られない顔、
と言うよりは殆ど存在しない顔ではないかと、改めて認識させられました。
明治、大正、昭和の日本文化を支え、リードしてきた先達の風貌に共通するのは、
「素朴」「柔和」「厳格」「孤独」が同居する「人間の顔」です。
不幸にして私たちは、このような巨像に接することはできません。この素晴らしい
顔が消失しつつあるのは、日本から、何か大切なものがなくなりつつあるのでは
ないかと、思うのは私ひとりの感傷でしょうか。
それにしても、「風貌」には様々なエピソードが生まれました。多分それは、土門
先生が、諸国武者修行に旅立つ、剣客の心境からきたものではないでしょうか。
一瞬の立会いの、刃と刃の切り結んだ火花の結晶が、「作品」と言えるのでしょう。
この「風貌」は、まぎれもなく日本肖像写真の傑作です。大変な努力があったにせ
よ、これほど傑出した被写体と多く出会えたことは、写真家冥利につきるでしょう。』
(G)
と、ここまで入力して、「ウーン、こういう文章を書けるというのもカッコいいなあ、
ブログも向上するかも。来世は編集者というのもありか」と思う軽薄な私がおり
ました。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
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2008年03月19日(水)更新
「一心」・・盲目の貫主が書かれた我が座右の銘
この色紙「一心」は、会社の私の仕事部屋に30年架けてきました。
家宝とかその手のものには縁がありませんが、カナイの父より、創業の際に譲り
受けたものとして、最も大切にしてきました。
長い間にかなり黄ばんできましたので、先日懇意の「京表具師」のTさんに「お洗
濯」をしていただいたところ、きれいになって戻ってきました。
額も新しくして気分を「一新」しているところです。
書は大本山永平寺74世貫主佐藤泰舜禅師。昭和50年ごろに岳父が永平寺が
ある町の警察署長に就任した際、戴いたそうですが、この色紙を初めて見たとき、
そのなんとも言いがたい力強さ、迷いの無さに魅かれて、懇望して創業の記念に
譲り受けました。
(因みに今年1月5日、106歳で亡くなられた宮崎奕保(えきほ)貫主は第78世です。)
実は佐藤貫主様は、目が不自由で視力がありませんでした。この書もお側に
おられる禅僧が、筆を持たれた貫主さまの手を置かれた色紙まで導き、そして
一気に書かれた、と面前した岳父より聞きました。
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一心・・・私は「一業専心」と肝に銘じることにして来ましたが、「一心不乱」、社員、
家族と「心を一つに」などとも読める、我が座右の銘でもあります。
盲目であられたが故でしょうか、澄み切った、一点の疑いのない素晴らしい書だと
感じるのですが、どう思われますか。
横山国男
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2007年06月27日(水)更新
<人・モノ・私(2)-アンチックの革トランク>
写真の「革トランク」は、日本製で1930年代大阪のBABAMANというメーカーのラベルが内側に貼ってあります。
ものすごく堅牢な作りで、内張りの生地(綿布)も完璧、今でも使えますが、これが空港のターンテーブルから出てきたら、皆さんきっと驚くでしょう。
これは10数年前、小松市の知り合いの骨董屋さんで見かけて即買いました。ラベルやシールの残った「革トランク」を手に入れたいと念願していましたので、小躍りして言い値で買いました。
持ち主はM.T.さんという大阪市の技師だったことがタグに残された名刺でわかります。トランク自体にもしっかりしたイニシャルの刻印があり、誂えで作ったものかもしれません。
ラベルを仔細に見ると、1938年、39年ごろヨーロッパへ旅行して(おそらく仕事だと思われます。地下鉄の関係者であることが名刺の肩書きにあります)N.Y.K.(日本郵船)のKASIMAMARUで渡欧したこと、しかも1等のキャビンだったようです。
ヨーロッパはナチスドイツの台頭で、戦雲色濃くなる時代、このカバンは持ち主とともに
ベルリン、ブラッセル、パリへ(ホテルのシールから)、そしてクイーン・エリザベス号やクイーン・メリー号を擁したイギリスの客船会社CUNARD LINEのラベルも貼ってありますから、ロンドンにも渡ったことでしょう。(ROYAL ALBERT DOCK LONDONのラベル)
いろいろ夢想は尽きず、楽しいものです。
あきれたカバン好きで、スーツケースだけでも大小7個ほど、その他ボストン、ブリーフケース、キャリーバッグ、ガーメントケース、などなど30個はくだらないと思いますが、
70年も経ているものはこれのみです。
横山国男
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2007年03月13日(火)更新
“魯山人の宇宙展”とダンディズム
日曜日に友人たちが、雪の心配のない滋賀でゴルフをやろう、と
いうことになり、仏像や寺、なだらかな丘陵地、曲がりくねった
街道の湖国「近江路」は、司馬遼太郎、白洲正子ならずともいつ
でも行きたい、走りたい所なので、即「OK」しました。
もう一つちょいと足を延ばして、京都のデパートで開催している
カワシマコレクション、紀尾井町の福田屋所蔵品が公開されると
いう「魯山人の宇宙展」も見たかったので前日から出かけることに
しました。
もうかなり前になりますが、東北新幹線「宇都宮」から、延々と
関東平野を陶芸好きの仲間とレンタカーで走り、「笠間」まで
「日動美術館」と北鎌倉から移設された魯山人の「春風萬里荘」を
観にいったことが思い出されます。
「魯山人」を知ったのは、魯山人が世話になり、またその焼き物
制作に大きな影響を与えたとされる、近くの「山代温泉」須田菁華
さんの店を家内と覗いたときからです。30年も前のことですが、
以来魯山人の作品が気になって仕方ありません。
生涯に、創ったり星岡窯で生産した膨大な焼き物は、一品制作、
床の間の置物とは違った「日用の器」が藝術にまで昇華された例
だと思いますが、類稀な絵や書に対する造詣と創作力、「食」に
対する貪欲な探究心などが相互に絡み合って「とんでもない」作品
の迫力、人間力を世に知らしめた昭和の芸術家の一人でしょう。
人物や作品などについて論評する知識も鑑識眼も持ち合わせて
いませんが、それより「大様な人柄」と言う点に大いなる魅力を
感じますし、作品そのものだと思います。
私には確たる「座右の銘」というものは無かったのですが、最近
ようやく「真善美」でイイカナと考えているところです。
それは「真」か、それは「善」か、それは「美」か、判断時の
フイルターというわけですが、私の小さなモノサシでは計れない、
とてつもなく大きな「真・善・美」を追い求めたのが芸術の魯山人
や山頭火であり、政財の吉田茂や白洲次郎などではないでしょうか。
「孤高」ともちょっと違う、もっと骨太で、対象・本質にぐいぐい
と迫り、「風評」など意に介さず、「美」や「プリンシプル」を
体現したこの「昭和の男たち」こそ、真の“ダンディズム”という
言い方がピッタリ似合うように思えるのです。
果たして「平成」からはどんな「本物の男」が出てくるのでしょうか。
左の展覧会図録から 春風萬里荘
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