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2007年02月06日(火)更新

身土不二・・長生き県“福井”のわけ

暖冬とはいえ寒い季節、ここのところ「お悔やみ」が続いています。

昨夜も友人の母親の通夜に出かけましたが、91歳だったとのこと。
不謹慎かもしれませんが、友人には思わず「大往生やったね」と言い、
奥さんには「長い間、ご苦労さん」とお悔やみを述べました。
 
認知障害もでた晩年の介護を、奥さんのR子さんが一人で奮闘した
ことを知っていたからでもありますが、「息子」には大した反応も
示さず、「嫁のR子さんの言うことには素直に従った」と聞いてもいま
したので、奥さんには「大変だったけど、良かったね」と言いた
かったのです。

我々世代の両親で今日まで生きておられる人は、殆どが80歳台後半
より上になります。
まだ友人知人や取引先の関係の中にも沢山おられるので、これからも
このようなことが続くことになるのでしょうが、それにしても周囲に
長命の方が多くおられます。私の母も82歳、父は96歳での他界でした。


福井県は男女とも2位の長命県として最近はマスコミに頻繁に登場し、
その理由の分析も盛んですが、ひとつは「食」にあるのでは、と
よく言われます。

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 どなたも言及していないのですが、福井は軍需産業でもある繊維
工場が多かったためか「空襲」に遭い、その後「大地震」で数千名が
死亡、その後も「洪水」、「豪雪禍」など災害が相次ぎ、そのせいか
現在でも「共働き日本一」で皆が働くこと、ウマイ水と米が豊富で、
また背景には「浄土真宗王国」として、毎朝仏壇にご飯を供え、経を
読み、ものを粗末にせず、「一物全体(まるごと)」を頂く生活習慣
などは、我々庶民の家でもかってはごく普通に営まれていたことなので、
それも関係しているように思います。

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「身土不二」(しんどふじ)とは、「からだ(身)と環境(土)とは
不可分(不二)のもの」という考え方です。
「医食同源」、「薬食一如」などというのも類語でしょうし、最近
流行語となった「スローフード」、「地産地消」も同義語に近いと
思います。

 国内外から「経済効率」や「美味しいから」、「珍しいから」と言う
理由で沢山の種類の食べ物を金にあかせて調達し、我々の胃腸を通過
するようになってからまだほんの30年ほどしか経っていないでしょう。

季節はずれ、即ち「旬」を無視し、冬でも冷やしたものや本来夏採れる
ものを食べたりするのも「身土不二」、「食養」からは外れるようです。

「癌」という字は「病ダレ」に「品物の山」と書く、とある高僧が何かの
本に書かれていた記憶があって忘れられませんが、ともあれ両親世代は
最晩年、少しの期間介護を要したりしますが、概ね「健康長寿」を全う
されるようです。
人生の大半が「身土不二」だったわけです。


もう一つ、通夜で同席した共通の友人で、幼馴染の建築家のSちゃん
(和辻哲郎の“風土”を愛読書NO.1に挙げるのですが)から青年の頃
聞いた話。

「一番いい家は、その土地の木を使い、その土地の土で壁を塗り、その
土地で焼いた瓦で屋根を葺くことだそうだよ」。

これもまた「身土不二」ですね。「医居同源」(?)という造語を思い
ついてしまいました。
昔は「ハウスシック」などという言葉はありませんでしたから。


これからこのブログで郷土福井の「長生き食」と言われるものを時々
紹介してみたい、と思っています。


横山 国男

http://www.yosakoiya.jp/
http://www.echi-zen-art.co.jp/

2007年02月05日(月)更新

うしろすがたのしぐれてゆくか・・・山頭火とブログ

「書くこと・伝えること」と題し、「経営者会報ブログ」事務局の
吉田さんからブロガーへの示唆に富んだアドバイスを頂きました。
(1月25日付 経営者会報ブログ・コムMAGA VOL.44)

“書くこと”のプロは「“書くこと”より“伝えること”」に全精力
を注いでいる、PR文を書く際の「はひふへほ」の法則、報道する
ニュースの三要素「ワァ!」「ヘェー」「ホォー」など、いずれも
「なるほど」と思いました。


 私の場合「ブログは日記」との先入観が頭のどこかにあって、30回ほど
書いてみましたが、なんとなく落ち着かないのは、「ブログ」は半ば
公開されるもので、通常の「日記」・・「書き手が一人、読み手も一人」
で何を書いてもかまわない、とはいかないところとの違和感でしょう。

まして「経営者会報ブログ」は、実名でまがりなりにも「経営者」の
「日記」となると未だに結構プレッシャーを感じています。

         ・・・・・・・・・・・・

「書くことより伝えること」で「これだな」と思ったのは「俳句」です。

5・7・5、なんと17文字で言いたいことを「伝えて」しまう。
タイトルの「うしろすがたの・・」などはひらがなで14字しかありま
せん。あとは「読み手」の感性がどうかだけ。
百万言を費やしても「伝わらないものは伝わらない」ということでしょうか。


先日TVで自由律俳人「種田山頭火」の俳句を、90年たった現在でも
PR文の「嚆矢」としている、と高名なコピーライターが語っていました。
ご覧になった方もおられると思いますが、山頭火が句作の要領について
述べているのが秀逸と思いましたので、その辺の紙に急いでメモしました。

○ 情に溺るるなかれ。

○ 添えるより捨つべし。

○ 言いすぎは言いたらないよりもよくない。

○ 道として行として句作せよ。

○ ぐっと掴んでぱっと投げる。

「うしろすがたの」でぐっと掴んで、「しぐれてゆくか」でぱっと投げる、
というわけですね。

「道として行としてブログせよ」・・久米さん、参りましたッ。


横山国男

http://www.yosakoiya.jp/
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2007年02月02日(金)更新

“雪吊り”は空振り?

とうとうまったく雪が降らないまま2月に入ってしまいました。
昨日1日から少し雪模様ですが、今冬は記録的な雪の無い冬として
記憶されることになるかもしれません。


実際はそうでもないのですが、福井というと過去に「豪雪」で全国に
知れ渡ったので、大阪などから来社される人は「拍子抜け」した
ような気になるようです。

昨年は全国的に厳冬でしたが、正月休みの間に40センチ程となり、
5日の仕事始めにあたって「除雪車(ショベルカー)」を手配して、
会社の前の道路や駐車場を除雪、道路際の塀沿いに積み上げて高さ3m
ぐらいの雪の山脈が出来ましたが、(その後もう一度除雪)今年は
ご覧のとおり何もありません。

駐車場写真

ここ数年、降雪が少なかったので、費用もかかることだし、昨冬は「雪吊り」
をサボったところ、ハズれて大雪となり生垣や一本しかありませんが
社屋を建てた時に父が運んできた「松の木」が被害を受けたので、今冬は
12月早々に「雪吊り」を業者さんにお願いしたのです。
しかし空振りということになりそうです。もう明日は節分ですから。

雪吊り

湿気を含んだ重い雪のときは、「雪吊り」がないと「庭木」が傾いたり、
枝が折れたりして無残な様相となります。
車窓から見える野山の木々も幹が割れて白い肌を見せているのは心痛むものです。
(枝打ちなど里山の手入れをしなくなったからでしょう)

金沢の「兼六園の雪吊り」などは見事なもので、冬の風物詩としてよく写真などで
ご覧になると思いますが、雪国では一般の会社、家庭でも普通の冬支度として
行われてきたものです。

資材に使われる「縄」や「ムシロ」は、昔は農家の冬仕事だったので、子供の頃
いとこの家へ行くとよく囲炉裏のそばで一家で「縄ない」をしている光景に
ぶつかりました。

しかしこの辺の近隣農家でも今は見られなくなりました。ビニールひもや
ブルーシートに置き換えられたのでしょうが、「雪吊り、雪囲い」は
やはり「縄・莚(ムシロ)」の方が風情がありますね。

そんなのんびりした話しより、「雪」は高齢者社会にとって新しい脅威となり
つつあります。
老夫婦ふたり、あるいは老人の一人暮らしの家にとって「雪」は恐怖になり
ます。身体が不都合になると玄関先の30cの雪の始末にも苦労するでしょうし、
ましてやしんしんと屋根に積もる「音なき雪の音」はどんなに不安で心細いこと
でしょうか。
戸建ての家を処分し、マンションに入る知人も増えてきました。

市役所などではこのような家庭の「雪下ろし」などに業者、ボランティアの
手配の仕組みを作っているようですが、多いときは一晩に40c~も降り、
それが何日も続いたのが「38豪雪」、「56豪雪」だったのです。
でもその頃はまだ若い人たちも多く、地域の絆も強いものがありました。

「温暖化」もこの点に関する限り救いとなっているのかも知れません。

横山国男
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