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2008年06月29日(日)更新

画家とその老母のように・・死ぬまで家で暮らせたら。

光陰矢のごとし・・早いもので今年も半分が過ぎてしまいました。
最近は時々老後の自分あるいは夫婦の暮らし方を想像してみることがあります。

母は82歳のとき脳卒中で倒れ、そのまま3日ほどで亡くなったので、施設の
お世話になることはなかったのですが、父は5年ほどの間、デイケア、短期入所の
あと、特養施設に入れていただき、96歳でこの世を去りました。

父が死んだのは10年ほど前ですが、その当時介護施設では私達が驚くような
十分なケアが行われていて、食事、おやつ、リクリエーションなどの催事まで、明治
生まれの職人で真面目な仏教徒の父は「ありがたい、ありがたい」が口癖でした。

しかし、施設からの帰りの車の中での私達夫婦の会話はいつも「我々が介護を
受ける時代までこんなこと続くわけがないだろうな」といったものでした。
近未来がどのようなものになるか、まだはっきりした形は見えていませんでしたが、
最も確実だったのは、日本は人口が減少するということ、特に生産人口が減り、
非生産者、高齢者が増大すれば、内需は不振になり、税収は伸びないまま国の
借金をこれ以上増やせないとすれば、医療や福祉のサービスは低下せざるを得
ない。この面では予想したとおりに事態は進行しているといってよいでしょう。

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かなり前、TVだったと思いますが、場面はヨーロッパ(ポルトガルだったかな)の
ある初老の画家の家というかアトリエ。(以下も記憶は一部正確ではありません)

画家は仕事をしています。(大きなイーゼルを立てて花か何かの絵を描いている)
アトリエは古いですが、かなり広い部屋です。
ガウンを着た老女がおぼつかない足取りで、杖をつきながら絵に歩み寄り、微笑
みながら画家(息子)に何事か話しかけ、そのあと小鳥にえさを与えているような
シーンがありました。
その大きな部屋には老母と画家のベッドもあります。キッチンやトイレも近く、別の
コーナーには食事のためのテーブルもあったような気がします。

息子は仕事をしながら、高齢の母親の世話もしているのです。別に特別という
感じではなく、当たり前の暮らしをしているといったこの「何気なさ」「親子の静かな
会話」などに深く感動しました。

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脳梗塞で下半身不随になったとはいえ、介護に疲れた多忙な私達は公的な施設
へ父を預けました。しかし十分なケアを受けられたことを喜んでいるかに見えた
父にも寂しさはきっとあったに違いない、と今は思うのです。

どのような老後が待っているのか、想像してもつかめませんが、最近私達夫婦の
おぼろげな近未来想定図は、画家とその老母のような暮らしができたら、と考えは
一致しているようです。どちらが先にお世話になるとしても。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年06月03日(火)更新

感動した謄写版絵師・故助田茂蔵さんの法要記念品

昨年の夏、拙ブログでご紹介した最後の「謄写版アーチスト」とも言うべき、助田
茂蔵さんが過日93歳で亡くなられました。

まだこの春まで、植物細密画(ボタニカルアート)の写生を続けられておられたよう
ですが、素朴な設備・手法ながら、戦後とくに簡易印刷としてどこでも使われた
謄写版印刷をアートの領域にまで持ち上げた稀代の職人(絵師・彫師・刷り師)
でもありました。 私の仕事であるシルクスクリーン(染型)、ステンシルの原形とも
いえます。

残念ながら、お目にかかる機会がありませんでしたが、茂蔵さんの作品を昨夏
インクジェットプリントでTシャツ(オーガニックコットン)にする企画を,ご子息の
篤郎さんに提案し、地方紙にも取り上げられて大変喜ばれる結果になったことを
嬉しく思っています。

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先日、篤郎さんから、満中陰法要記念の品(花の色紙)と、ご挨拶状(ともに謄写
印刷です)をいただきましたが、故茂蔵翁の死を目前にした「いのち」の不思議さ
について書かれた短い文章に感動しました。
薄墨で印刷された定型のご挨拶状をいただくことも多いのですが、美しい色紙と
ともにご紹介したいと思いました。ご冥福をお祈りします。

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『 謹啓 父・茂蔵の葬儀に際し、ご丁重な御香資を賜り厚く御礼申し上げます。
六月一日、故茂蔵の忌明け法要をすませることができました。
思えば、病床の父をお見舞い下さる方々やお世話下さる看護師さん達に、父は
ただ「ありがとう ありがとう」の毎日でした。と同時に、絶食の毎日でもありました。
そんな中で、父が私達に残してくれた短い文章があります。それを記させていた
だき挨拶とさせていただきます。

     私は今までお食事を頂くことは、生活の中でも、いちばん楽しく
     幸せな時間だと思って来ました。
     病気になって、食事を頂くごとに、それは今までに味わったことが
     ない苦痛発生の原因になることもあるという体験をしてみると、
     何が善で、何が悪か、自分で解ったような顔をして、かんたんに
     決めていた愚かさに気がつきました。
     いのちは苦痛の中にも生きています 苦しみをとりのぞく必要の
     ない世界を悠々と生きています。  不思議です。

 法名は「釈 相應」で、生前に自分でつけたものです。ありがとうございました。

                    平成二十年六月一日
                                    助田 篤郎   』

助田茂蔵さんの謄写版絵          合掌


横山国男

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2008年02月21日(木)更新

「酒を飲むのは時間の無駄 酒を飲まないのは

人生の無駄」という中国の諺があるそうです。

なかなか含蓄があるような気もしますが、これなら「酒」のところに、たとえば「ゴルフ」
とか「マージャン」とか、要するに趣味とか、道楽のたぐいを入れてみても成り立つ
とも思えます。

それをしない人から見れば、時間の無駄のように思えることでも、本人にとっては
人生を送る上で大切なもの。「ホットイテちょうだい」といいたいところです。

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「本を読むのは時間の無駄 読まないのは人生の無駄」と言い換えると、
本好き、読書好きにとっては我が意を得たり、となるのですが、「本を読まない人
の強さ」とも言った人がいて、納得する部分、事例もあるのが悔しいところ。

あまり本を読んでいるようには見えないフシがある友人がいるのですが、これが
めっぽう商売がうまいのです。とにかく人に会う、携帯はフル回転、自分の足と目
で掴んだ情報をしっかり持っている、したがってハンパじゃない消息通なので他の
友人とCIA並だな、とても我々には真似できないな、と感嘆、羨望も。
ナイスガイですが、その情報網には捕らえられないようにしなくては、と誰もが思っ
ているかも知れません。

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わが社の近くに小さな居酒屋さんがあって、夕方信号待ちで止まっていると、
女将さんらしい人がのれんを出している光景に時々ぶつかります。
きれいな人なのでちょっと気になっていましたが、一度も行く機会がないまま10数
年たってしまいました。

今日夕方になって古くからの友人がこのお店から電話をかけてきて、「今、横山
さんもよく知っている神主さんと飲んでるから来ない?」とのお誘い。ご近所の
知り合いも一杯いて、1時間ほどお付き合いして帰宅、このブログを書いています。

酒も肴もうまく、女将さんもきれい、おしゃべりも楽しかった。すなわち時間も
人生も無駄ではなかったという稀な例ということでしょうか。


横山国男

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2007年12月11日(火)更新

銀杏(ギンナン)

名古屋に住む家内の友人から、今年も沢山の立派な銀杏(ギンナン)が送ら
れてきましたので、炙るために古い道具も持ち出してきました。


銀杏と炙り器

ものの本によると、「ギンナンは日本全土で生産されているが、特に愛知
県稲沢市が生産量日本一」とあります。名古屋の友人宅もお屋敷の中に
大きな銀杏(イチョウ)の木があるそうで、外皮をとる専用の「洗い機」
もあり、お祖母ちゃんがこの時期せっせときれいなギンナン作りをされる
とか。

子供のころ、ろくなおやつなどの無かった時代は、ギンナンも貴重品。
ただ、時々足の甲に「デキモノ」ができるような体質だった私に、母は
「毒やであんまり食べたらあかん」と注意された思い出があります。

実際に「ギンナン食中毒」というのも、戦後すぐに子供によくあったよう
で、その原因となる成分も今ではよく知られています。

外側の硬い殻の合い口を金槌などで軽く「ポン」と叩いて、すこし開口
させ、(あらかじめ少し割っておかないと、火で炙ると爆発し、肝心の実
まで粉砕してしまうからですが)写真のような「炙り篭」にいれて、七輪
や火鉢(今ならガスコンロ)の上で中のギンナンを時々揺らしながら炙ります。

先日おすそ分けした「鮨屋」の女将さんが、「割らずに茶封筒に入れて、
電子レンジで3分ほどチンすれば簡単よ」というので、やってみましたが、
爆裂してしまいました。もう一度秘訣を聞かねば。

熱いギンナンは独特のちょっとした苦味で、季節と共に郷愁を感じさせ
ますが、今は「茶碗蒸し」の必須アイテムとしてしか若い人は知らない
かもしれません。

なおイチョウの木には「雌雄」があり、ギンナンが実をつけるのは雌の
方、広葉樹ではなく、針葉樹の仲間であることも今回初めて知りました。

横山国男

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2007年12月11日(火)更新

(お)歳暮・・腹の足しになるものか、心の足しになるものか。

私の座右の書の一冊に草柳大蔵著「日本人のお行儀」という本があります。
10年ほど前の本ですが、書かれていることと実態はますます離れていくようで、
かく言う私も思い返してみると、無知なるが故の所業が数々あり、「無かった時
間」にして欲しいと思うことも多いのですが。

歳暮の時期ですが、この本に「贈り物で器量が知れる」という一章があり、
『・・「中元」も「歳暮」も季節をあらわす言葉であるから「御」をつけるのはおかしい
のである。日常会話の中だって、「お秋になりました」とか「今年のお冬は暖かい
ですね」とはいわないであろう。「中元御礼」とか「歳暮御挨拶」と書くべき。・・』と
あります。
しかし、今では百貨店の熨斗も「お中元」「御歳暮」が殆どになっています。

贈り物にはいくつかのタブー(禁忌)があることなども書いてあり、思い出して、
思わず「ヒヤリ」としますが、そういうことを一応知識として知っていたとして、
『・・さて何を贈るかという話になるが、いま日本の家庭はたいていのものが間に
合っているということを念頭においてみる。』として、

『文明とは腹の足しになるもの、文化とは心の足しになるもの』という梅棹忠夫
(文化人類学者)の名言に従うのもいいのではないか。と提言しておられます。
その贈り物の例も挙げておられますが、現代の贈り物は“物”を超えた“遊び”も
大切、とも。

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いろいろ勉強になるわけですが、贈り物の話に加え、私はかねてから「文明と
文化」について、きちんと整理できていない自分をもどかしく思っていましたので、
この梅棹教授の説明には大いに納得しました。

ユーラシア大陸の東端の島国に咲いた花は、ひょっとすると後世の歴史家から
「日本文明」と呼ばれる可能性もあったかも知れませんが、心の足しになるものを
摂らず、腹の足しになるものばかり、それも飽食を続ければ、自ずと結末は明ら
かなようにも自戒をこめて思うこの頃です。

横山国男

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