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「プリント道」45年余。新たな自身の夢と後継者への手紙-(株)横山工藝社長 横山国男のブログ
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2007年06月12日(火)更新
「人・モノ・私」-1。 ”石田縞”と母さんの夜なべ
♪母さんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・・という懐かしい唄がありますね。
夜なべの語源はよく知りませんが、現代でいうと「残業」みたいなものでしょうが、
そういう味気ない言葉ではニュアンスが伝わりません。
私たちの年代で、この唄から連想するのは、季節は冬、外は木枯らしか雪、
場所は囲炉裏端、綿入れの半纏を着た頬っぺたの赤い子供たち。
母親がいるシーンとしては「里の秋」もとても好きですが、今の子供たちにはなか
なかイメージするのは難しいでしょう。
子供の頃、私の家は市街と農村の境目ぐらいにあり、中学校はまわりはすべて
田圃、親戚には農家もありましたので、農家、農作業はなじみ深いものでした。
雪深い土地なので、このあたりの農家は冬はもっぱら家の中で「むしろ」「縄」など、
春になると必要になるものを、時には「夜なべ」までして手作りしたようです。
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福井市に隣接する鯖江市に「石田地区」というところがあります。
ここで昔から織っていたのが「石田縞」といわれる綿の小幅の素朴な織物。
たしか「石田藩」というのも聞いたことがありますから、「小藩」の物産としての
位置付けがあったかも知れません。
詳しくは知らないのですが、おそらく産業とか企業というスケールではなく、
農家の女性の副業として、「いざり機(はた)」と呼ばれる手織り機で織られて
いたものと勝手に想像しているのですが、かなり前に姿を消してしまいました。
高度成長期には、採算のとれる仕事ではなくなったからだと思います。
写真のような柄は子供のころの布団に見覚えがありますから、おもに布団の
側(がわ)、紺無地のものは、このへんでいう「さっくり」という上半身は柔道着
のようなもの、下は股引のような農作業着としてよく見かけました。
昔は結構農家で副業として「機を織った」ようですね。私は工業高校で「紡織科」
でしたから、実習でよく機を織りましたが、小幅のこのような綿織物を織るのも
楽しいものでした。
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このような「手機(てばた)」で織られたものには、「信州紬」や「白山牛首紬」
などが現在も工芸品に近い伝統織物として(その多くは機械式織機)残っては
いますが、「石田縞」のような素朴な織物は以前は各地にありました。
母親は「縞割」といって、その糸の本数や配列を、小布の見本を貼った和紙の
小ぶりの帳面に「覚え」として書きつけました。それが「縞帳」と呼ばれるもので、
娘が嫁入りする時、持たせたという話もあります。
中にはコレクター垂涎のものもあり、美しい「デザイン帳」ともいえるものもあり
ます。
おそらく世界各地にこのような例があり、バティックやマドラスチェックなどもそう
いう形で伝えていったのではないかと思います。
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残念ながら私は若い頃、そのような貴重なものという認識がありませんでした
ので、何も持っていないのですが、写真の織物は最近「謝礼」として2mほど
頂いたものです。
「古い呉服屋さんから、石田縞を一反譲って頂いたので、これを改装するホテル
のロビーに飾りたいが、どんな方法がいいですかね、やってもらえませんか」と
いうご相談があり、当社では経験がないので、パネルに仕立てる工房をご紹介
しました。
「もし、余り布が出たら頂戴できませんか」とお願いしておきましたところ、余りは
ほとんど出なかったので、その呉服屋さんにわざわざお願いして、残っていた別
の柄のものを探し出して届けて下さったものです。
手で撫でると節があり、ちょっとゴワゴワしていますが、「絹もの」とはまた違った
土の匂い、おふくろを思い起こさせる「優しさ」を感じさせていいモノです。
横山国男
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
2007年05月23日(水)更新
リボン図書館
???「リボン図書館」?。リボンに関する書籍が集められた図書館でも、
リボンで作った本がある図書館でもありません。
この5月の半ば、パリ2区・ビクトワール広場、有力メゾンのブティックや、
ギャラリーの集まる一等地に、当社の有力な顧客であるS繊維工業さんが
ショールームを出されたのです。
「図書館」とはプリントリボン、ニットテープ、チロリアンテープ、パイピング、
コード、トリミングテープ、オリジナルスエード調人工皮革などなど私も
知らないないものもありますが、およそ3万4千点をまるで図書館の書架の
ように配列、展示した様を取材した業界紙の記者が「リボン図書館」と
名づけたようです。(繊研新聞5月12日・パリ松井通信員の記事から)
S繊維工業さんは、福井というより日本を代表する「服飾副資材メーカー」
さんです。最近は人工血管など医療分野へも進出されていますが、なんと
いってもアパレル(スポーツも含め)、ファッションになくてはならない
細幅織物、リボン、テープ、ユニフォームなどの袖や裾に使われるフライス
生地などの特殊品メーカーとして年々業容を拡大されてきました。
当社とのお取引も20年になりますが、ラッピングリボンやテープなどへの
「シルクスクリーンプリント製版」をさせていただいております。
クリスマスの金・銀の入ったリボン、オーガンジーなどの薄い生地のリボン、
婦人靴の水玉のリボンなど夢のような美しいプリントリボンは「包装の簡素
化」という逆風もあるのですが、決してなくならないものの一つでしょうし、
フアッションに使用される副資材のレベルは今や世界でも日本がリードし
ているのではないでしょうか。
S社長とはゴルフもご一緒したことがありますが、先日小松空港からの
帰り、お寿司屋さんでばったりお会いし、「ぶんか」という福井県の文化
広報誌でS社長さんが「歌舞伎が大好き」という巻頭コラムを書かれて
いたことをお話しているうち、私が「能楽好き」だということもわかって
大いに盛り上がりました。「いやー、知らなかったなあ。でも能はよう分らん。
歌舞伎がやっぱりいいわ」。
しかし「日本の芸能・伝統文化を大切に守り、その美と心を企業経営に
活かす」という点では完全一致でした。
きっとパリでの「オープニングパーティー」ではそのあたりのイベントも組み
込んだものだったに違いありません。
〈マイリボン〉
家内が趣味のパン・ケーキをラッピングする為に作りました。我が家の
白ネコ「コージー」もモチーフに。
“マイリボン”をお作りになりたい方はご相談ください。
横山国男
【オーダーよさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
2007年05月17日(木)更新
「山道」「間道」「綾錦」・・・伝統織物の今
先週末山登りやハイキングに行ったのではありません。京都の着物問屋さんを
見学しました。(タイトルは絹織物の織り方というか名前です)
「いつ頃からの御商売ですか」「応仁の乱のころには店があったように聞いており
ますが」と著名な問屋の専務さん。この中庭の土もそのころから変わらないのか、
と思うとちょっと裸足で歩いてみたいような気もしました。
(別室での正倉院”名物裂”などの復元品も見せていただき感激)
能衣装や有職織物の織屋さん、帯や紐、お茶事のお菓子司さんにも”超”のつく
老舗のある京都ですから、特別驚きもしませんが、案内していただいたD百貨店の
呉服担当の方も、「手前共も間もなく創業300年となります」とカルく仰られます。
すごいものがありますが、それにしても近年の「着物」の衰退は目を覆うばかり
です。
昨年も「着物販売に新機軸を取り入れた」商社が倒産、マグニチュード7級の激震
が走り、特に象徴的だったのは室町でも有名な老舗の「問屋」さんにも被害が及ん
だことです。以前なら保守的なこのような「老舗」は取引に応じなかったはず。
京都の着物は独特の分業システムで作られ、その間をつなぐ「悉皆」(しっかい)と
いう業者(制度)が制作全般をコントロールしてきたのですが、糸、織、染め、蒸し、
水洗(水元)、仕上げ、縫いや刺繍などの各工程(工場・工房)の足並みも乱れて
きています。
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珍しい織物(着尺地)を見せていただきました。「間道」(かんとう)ですが、織り方に
特別の技巧があり、気の遠くなるような作業の積み重ね、染めの色といい、モダン
な意匠といい「ああこれが間道ですか」と興奮しました。
間道 綾錦(縦糸の見本。尺幅で3千本以上ある。織かけ。)
「山道」というのもありますね? と工房から出張ってこられた方に私が尋ねると
「よくご存じですね、ここにはありませんが」とひとしきり伝統織物の話で盛り上が
り、いろいろなことを教えて頂きました。
建築か絵をやりたかった少年でしたが、工業高校や専門学校で選んだ「染職」の
周辺でその後も仕事をするようになって半世紀、「プリント」はまだ100年 くらいの
歴史しかありませんが、いつも憧れてきた「日本の伝統織物」、この春沖縄では
「芭蕉布」と「紅型」のお店で美しい女店主さんと話に夢中になり、集合時間に
遅れそうになりました。
「日本の伝統織物」 「鐘紡コレクション」
毎年「初詣」に京都の神社へお参りしますが、3年ほど前ですが愕然としました。
八坂神社へ向かう道路は歩道から人が溢れているほどでしたが、この年着物姿の
人を探すのに苦労しました。
「何かが変わった」と思わずにはいられませんでした。
「着物」だけが消えたのではなく、日本人の大切な何かが急速に消えていくような
気がしました。
世界に誇る日本の衣文化の代表「着物」、衰退を嘆くばかりでなく、シナジーネット
代表の坂口昌章さんにならって、私も「男の着物」を愛用するよう心掛けなければ、
と思います。
素晴らしい織物や着物を見せていただいたあとは、南座で「玉三郎」の舞踊劇を
鑑賞。愛らしくも妖艶、美を超越して幽玄・・・・・・。
「美しいもの」が見られた幸せな1日でした。これをして「眼福」というのでしょうか。
感謝!
横山国男
【オーダーよさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
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