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2008年02月29日(金)更新

芭蕉布と紅型(びんがた)に魅かれて。

先週末は友人夫婦3組で沖縄へ。
2月に入っても寒い日が続き、週末は特に列島を襲った大寒波が襲来
しました。

沖縄もタクシーの運転手の話によると、4週間ほど例年に無く天気
が悪く、沖縄らしくない寒い日、雨が続き、ちょうど我々が着いた
前日くらいから暖かくなり、ゴルフをした日などは23度を超えて、
汗ばむ好天気でした。

こうなると、それぞれがいかに自分が「晴れ男」であるか、すなわち
日ごろの精進がナニナニとかの自慢のオンパレードとなるわけですが、
それはともかく、雪のチラつく窓外を見やって、悔しい思いをしている
であろう球友の顔を思い浮かべるのもなかなかイイものです。

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染型屋でもある私の沖縄の楽しみはもう一つ、「琉球の染織」を見ることです。
去年、那覇の国際通り、公設市場の一つ裏通りにある、「よへな商店」
という素敵な「琉球の染めと織り」の専門店を見つけましたが、帰りの
飛行機の時間がせまり、後ろ髪を引かれる思いでお店をあとにしました。

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お店には正面に畳2枚ほどの見事な「紅型」染めのタピスリーがあり、
目をひきますが、紅型のイメージとは少し違う豪快なモチーフ、しかし
地色の藍染といい、挿色した花の鮮やかな色といい、紛れも無い紅型の
逸品。104歳で先年亡くなられたお店の顔だったおばあちゃんの嫁入りに
持ってきたというお染物をタピスリーにしたもの、とか。
どんなにお金を積んでも売られることはないでしょう。

「これが百壽のお祝いにお配りした風呂敷です。これに名前を入れて
記念品にしました」と、娘さんと思える人から、これも見事な紅型染め
の風呂敷を見せていただきましたが、3万円とのことなのでちょっと考えて
我慢しました。額装するとさらにお金がかかりそうでしたので。

お店には、芭蕉布で仕立てた着物も数多く展示されています。昨年
お姉さんと思われる方から、イザリ機と呼ばれる素朴な織機で長い時間
(特に一本の糸長が短いので糸繋ぎに気の遠くなるような時間が必要)
をかけて作られる芭蕉布や、大島紬、宮古島の上布など、琉球の織物と
絣などの染めについてもいろいろ教えてもらいました。

本物が大変高価なのも頷けるというものです。

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日曜日、私たちの搭乗したトランスオーシャン機は、「小松」に向けて
離陸しましたが、途中、機長より「小松周辺の天候がかなり悪く、着陸
は難しいかも」というアナウンスがあり、満席の機内に軽いドヨメキが
起こりました。
小松に近づくにつれ、日本海の冬の風物「波の華」が海岸からおよそ
数キロも白く広がり、海上にも所々白い斑点が散らばっているのが見え
ます。今まで見たことのない光景です。

しかし、夕刻のほんの一瞬の好天を巧みに掴まえ、一発で無事着陸。
珍しく、機内から歓声と拍手が沸きました。


芭蕉布 紅型で染めた着物

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年01月21日(月)更新

恐怖のジャカルタを行く。

先週末、駆け足で「日本インドネシア平和条約締結50周年」を記念して、国営の
ガルーダ・インドネシア航空が主催するイベントに参加してきました。

出発直前、NHKスペシャル「新型インフルエンザの恐怖」-世界流行寸前ーという
ショッキングな番組が二夜連続で放映され、インドネシアが取り上げられたので
正直ビビリました。
番組を見て心配した友人から、「タミフル」と「99.5%の効果があるマスク」を頂い
たのですが、「帰国後一週間は会わないから」などと冗談めかして言われました。

ひょっとするとジャカルタの空港には、防護服に身を固めた特殊部隊が配置され
て、緊張した状況にあるのでは、などと妄想しましたが、全くそのような雰囲気で
はありませんでした。冷静に考えてみれば当たり前のことですが。

20日には秋篠宮ご夫妻がジャカルタを訪問され、「友好年オープニング式典」
にご出席されたとのニュースも昨日の新聞に出ています。
ジャカルタは平穏でしたが、他の東南アジア各国に比べ、また過去2回旅行した時
とでは日本人(観光客も)はかなり少ない印象を受けました。
そうは言っても「鶏インフルエンザ」の患者が12月にも確認され、ジャカルタ市内
の病院に隔離されたという報道も影響しているのかも知れません。

出発日には福井は15センチほどの積雪があり、寒い日でしたが、ジャカルタは
日中は30度近い気温、TシャツでOKというのは身も心も開放されます。

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中国は勿論、東南アジアの各国がすさまじい経済発展を遂げつつあるのは、承前
のことですが、年金や格差問題、少子高齢化など内向きになっているといわれる
日本はこれらの国にあまり関心が無いように見えます。やはり若い人が多い国は
活気があって、投資先としても有望な筈ですが。

バンコクもそうですが、ジャカルタも巨大な空港、中心部の高層ビル群は10年前
にはあまり見られなかったものですし、世界の資金が集まってきていることを実感
させられますが、一部郊外にきれいなニュータウンが造成されつつあっても、
通りに面した店や民家でも10年前同様、貧しいたたずまいのままで、このあたり
は韓国などの都市化とは大分違うように思えます。

特にインドネシアの都市のゴミの多さには辟易させられますが、ジャカルタも世界
の大都市と呼ばれるためには、公衆衛生をなんとかしなくてはならないのでは、
やはり「鶏インフルエンザ」などとも関連付けて考えてしまいます。

もう一つは、交通渋滞の恒常化です。人もバイクも車も一緒くたに動いていて
(自転車はほとんど見かけません)信号は幹線でもほとんど無く、不思議なルール
でなんとかなっているようですが、明らかに限界を超えているように見えます。
子供や老女が道路に飛び出し、直進車を止めて、曲がる車を誘導する(運転手
からなにがしかの小銭をもらう)命がけとも思える光景があちこちで見られます
が、思わず「危ないッ」と声が出てしまいます。

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10数年前、インドネシアのバンドンにある繊維工場に製版技術を指導した縁で、
このオランダ統治時代の面影の濃い高原の美しい都市を訪れたことがありますが、
当時は華僑が経済の実権を握っていて、インドネシア人は工場労働者がほとんど
でした。ただし政府や地方の行政府でも中国人はタッチできない、と聞きました。

面積は日本の約4倍、1万5千とも言われる大小の島々で構成されるインドネシア。
首都ジャカルタの人口は1300万人ほど、東京と並ぶ大都市ですが、日本人に似
てシャイといわれ、小柄でスリムな人たちが多いこの国が、世界有数の資源国で
あることを活かして、まず国民の生活環境が良くなることを願わずにはいられません。

超高層のビルを見上げるでもなく、日中でも多くの働き盛りと思われる男たちが
ただその辺に腰掛けて通りを眺めている風景は、シンガポールや上海では今は
あまり見られなくなったように思います。

10年後に果たしてインドネシア・ジャカルタは変わっているでしょうか。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
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2007年12月04日(火)更新

ニュー台湾・オールド台湾

ここ数年、年に1,2回台湾を訪れるようになりました。きっかけは今から7年ほど前、
高雄の姉妹ロータリークラブのSさんに福井の料亭での歓迎の宴でお会いしたこと
です。

Sさんは李登輝元総統の友人で、李政権時は政府顧問もされていたようですが、
お会いした時は80歳を超えてなおかくしゃくとして、痩身長躯ながらなんともバラン
スのよい正座をされ、ご挨拶をされました。

はっきりした声でウイットを交えたスピーチにも感心しましたが、なによりその
「美しい日本語」に感動しました。戦前日本で教育を受けられたこともあるよう
ですが、当時の日本人(といっても東京で、それなりの立場の人でしょうが)が
話していたであろう「日本語」をそのまま受け継いでいらっしゃるのです。

もちろん今でも一日遅れで日本の新聞も数紙読まれ、戦後の日本人との交友も
多いでしょう から少しずつ変わってきているはずですが、それでも快いテンポ、
今の日本ではあまり聞かれない古風な言い回しなども違和感なく、失礼ながら
「正しい日本人の化石」のように思えたのです。

高雄または近辺にまで行く時は、必ずお会いしておりますが、今回は「アジア野球
選手権」で賑わっている台中と台北の旅、お会いできるのは来年になりそうです。

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「ニュー台湾」の代表は「新幹線」。ようやく開業にこぎつけた、という感じです。
台中から台北まで約1時間ほど乗車しましたが、車両は日本製ですからほとんど
日本の新幹線と同じ。荷物は別送したので手ぶらでしたが、大きな「荷物スペース」
が各車両にあるとのこと。
自動改札ですが、大陸と同じ、出口では「切符」は収受されません。のでこれが「切符」。

切符

665元ですから2250円くらい、ただし団体料金です。駅の設備なども含めすごく快適でした。

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「オールド台湾」の方は、今回も世界四大ミュージアムの一つ、「故宮博物院」へ
行きましたが、足が疲れて毎回少しずつしか見れません。収蔵数65万点、3か月
に一度くらい一部入れ替えもあるようですが全部観るのに23年かかる、とガイドが
笑ってました。近く「嘉儀」に分院が出来るようです。


今回の旅には新たな友人夫婦が加わりましたので、台湾の北東端「九分」(分は
正しくは人偏がつきます)へ初めて行きました。それも暗くなってから。

絵はがきの写真

「九分」は1890年の金鉱脈の発見でゴールドラッシュに沸きましたが、鉱脈が
尽きると街は次第に衰退、その後映画「非情城市」の舞台となって賑わいを
取り戻したとガイドブックにあります。

しかしなんといっても大ブレークしたのは、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の
モデルとなった場所として多くの日本人が訪れるようになったことでしょう。(興収
304億円は現在もトップとか)

山の斜面にへばりついたようなこのミステリアスな古い街は、時にアセチレンガスの
灯りに浮かぶ夜店の風情にも見え、急な石段の両脇に連なる茶藝店や土産物の
店も昭和の初めの日本と統治下の台湾の建物が混在しているようで、タイムスリップ
してしまいます。

食事をしたのは名の知れたレストランでしたが、古い家具や壁のエロチックな
稚拙な絵を見てふっとここは「娼館」だったのでは、と思いました。ゴールドラッシュ
といえば西部劇でも酒場と女は定番ですから。

2時間ほどの散策を終えてチャーターしたミニバンに乗り、山を下りましたが、
遠ざかる街の灯りはすぐ見えなくなり、夢の中の出来事のようでした。

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「台湾」は従来の「中華民国」ではなく「台湾」で国連の加盟申請をしましたが、当然
「中国」の拒否権にあいます。来年の選挙で「親中派」が勝つか、「反中」が勝利する
のか、今のところ「中国」はソフトムードですが、歴史の大きな転換点がいつやって
くるのでしょうか。 「中国」への遠慮から、別会社で就航していた日本のエアライン
も、JAL,ANA本体で来春から運航するようです。少しずつ「台湾」を取り巻く環境
は変化しています。


それでも私は他の外国で多少とも感じる「油断できないな」という緊張感を全く感じ
させることのない、最も親日的で、優しい美味しい「台湾」が大好きです。

横山国男

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2007年07月19日(木)更新

大きな夢もて希望もて・・・佐藤勝彦さんの"日ほん海"

ゆっくりとした横揺れがしばらく続いたので、どこかでまた地震が、と思い
TVをつけると、柏崎の静かな海岸を映していたので、その時は市内にこんなに
大きな被害がでているようには思えませんでした。

連休最後の日、二日間どこにも出かけなかったので、久しぶりに加賀山代温泉の
「九谷美陶園」を覗いて、お昼は近くの苔庭と白木造りの部屋・建物が美しい
和食店「なか尾」へでも、と夫婦で1時間ほどのドライブへ。

車中のラジオで、震源は柏崎のすぐそばの日本海、かなり大きな被害がでている
ようだと報じていました。

昨年の能登といい、大変だなあ、それにしても今回も夏の休日の午前十時すぎで
火がでなかったこと、学校や仕事が休みだったことは、不幸中の幸いとしか思え
ませんが、そういつまでもラッキーが続くとは考えられません。

「福井地震」(1948・6・28夕刻)では、死者3769名、倒壊家屋36184戸、
焼失家屋3851戸と阪神淡路に次ぐ被災、この中には建物の下敷きになり生きたまま
焼死した人も多いのです。
学校も企業も法令で「避難訓練」を義務付け、増やすべきだと思います。

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「九谷美陶園」の店内には、九谷焼の伝統とモダンな感覚がミックスされた
新和風の九谷焼などが素敵にセッティングされて、婦人雑誌、リビング誌など
でもよく紹介されたので、一時は旅行者で大変混雑しました。

九谷美陶園

ここも建物、庭が魅力的で、ろくろや手おこしの作業場も見ることが出来、私は
毎年干支の酒盃を買い求め、ずっと年賀状のモチーフに使わせてもらっています。

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ここでもうひとつ目を惹くのは、書家というか画家、陶芸家としてもフアンの
多い佐藤勝彦さんの作品が手に入ることです。

不揃いですが、二個の大ぶりの「ぐい飲み」が目に入りました。
力強い手の跡、濃い目の呉須の色がなんとも魅力的な、箸休めの器に使っても
おもしろいかな、と思ってつい買ってしまいました。

佐藤勝彦作 ぐい飲み

疲れると、いつも喫茶コーナーでコーヒーをいただきながら、佐藤さんの
画集や図録などを見るのが楽しみです。

美陶園の奥さんから帰りがけにポスターをいただきました。
地元の金沢信金(きんしん)のために描かれた、佐藤さんらしいおおらかで
稚気あふれる元気一杯の絵です。(カレンダーも制作されています)

佐藤勝彦作 ポスター

佐藤さん、この大きな魚でなんとか日本海の“なまず”を遠くへ追いやって
くれませんかね。

横山国男

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2007年04月16日(月)更新

息を呑む美しさ・・台湾故宮の青磁

何度か台湾を訪れていますが、今回初めて世界四大博物館の一つ
「故宮博物院」を短時間ですが、見ることができました。

故宮博物院

この春、リニューアルを終えた記念の企画展だったのでしょうか
北宋時代(960~1127年、日本では平安中期)の僅か20年ほどの
間にだけ作られ、世界でも数十点ほどしか現存していないという
汝窯の青磁が展示され、話題となりました。

週間誌で福田和也さんがレポートし、激賞していて「生きてる間に
観られたことは幸せ」という風なことが書いてありましたが、残念
ながら終了してしまい、あきらめていました。


仲良くしている台北の旅行社のKさんと飯を食っているとき、この
話をすると「故宮の館蔵品の数点は今も展示していますよ」と言う
ので、翌朝タクシーで開館と同時に2階の展示スペースに一目散に
急ぎました。団体が入ってくるとすごく混雑する、と聞いていた
からです。

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その色や形、なんともいえぬ気品ある美しさには「息を呑む」という
表現が当たっていると思いますが、青磁でも汝の青磁にはメノウの
粉末が加えられていたそうで、そのせいかやわらかい緑の色味も感じ
られ独特の温かみがあります。

作り手の美意識の高さ、高潔な生活の姿まで透けて見えるような思い
がして、一気に脳は中世の中国へワープします。
まさに「眼福」とはこのこと。

汝窯の青磁器(蓮花)汝窯の青磁器(水仙)

いくつかの陶磁器や工藝品を見て、あらためて「人間は素晴らしい、
“万物の霊長”とはこのこと」と思いました。

「今あるものに一つとして新しいものはない。すべて昔からある」と
いうような文章を読んだ記憶がありますが、それどころかいにしえの
人間が作り出したものの方が、はるかに力強く、デザインも秀逸で
「美」の根源を感じさせてくれます。

「これいいな」と思って買った「器」など、殆どの原形はこれらの
博物館や美術館にあって「なーんだ」と思わされることも一度や二度
ではありません。

日本の染織「能衣装」だけ例にとっても、その大胆でモダンな意匠と
ともに、織り、染め、刺繍などの気の遠くなる「手仕事」の世界は今
では望むべくもありません。
我々は進歩したのだろうか、と思わされるときです。


もっと陶磁器などの知識を持っていれば、さらに楽しみも深くなった
はずなのでそれが残念。
また「美術・工藝」でのかっての中国の素晴らしさを、あらためて
思い知らされましたが、きっとこのDNAは引き継がれているはず。

超大国を自認するアメリカも、多くの人がこれらの遺産を見たら益々
「中国・中国人」に対する認識が変わるでしょう。それとも近い我々
よりもっと早くから「中国」を識っているのかも知れません。


横山国男
http://www.yosakoiya.jp/
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