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2008年12月15日(月)更新

「結婚するとき、私は女房を食べて・・・

「結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった」 (アーサー・ゴッドフリー)

この格言(?)というか、ジョークにはカナイと大笑いしました。
ことほどさように、年月が経つと「こんなはずでは・・」と。
自分の努力不足には思い至らないのが「凡夫のあさましさ」でしょうか。
こんな気の利いた「パーティージョーク」なら、どっとウケるに違いありません。

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早くも今年もあと半月です。しかしお正月を楽しみに待つ、というような歳でもないし
第一、街や家庭にもそんな風景は年々うすれてきています。

週末土曜日は、今年最後のゴルフ。20度近い暖かいいい日に恵まれて友人夫婦
3組と、全員日頃お世話になっている元ドクターをお誘いして楽しくプレー。

そのあとは、忘年会のようなもので、メンバーのお一人推奨の和食店へ。
古い町の「蔵」が集まっているところを、今はやりの「町おこし」で、土蔵や座敷蔵を
今風に改装して飲食店などに変身。お料理もよく雰囲気も結構でした。

日曜日は、メンバーが全く変わったものの、偶然3夫婦にプラス1名で我が家で
洒落て言えば「ホームパーティー」。
遅くまで飲んで食べて大騒ぎしましたが、皆さんをお送りしたあと、薪ストーブの
火を落としながら、この景気、来年は厳しい冬にならないといいけど、とちょっと
気持ちが沈みます。

「バブル」も経験し、「失われた10年」も乗り越えてきた、いわば戦友のような
50代後半から60代なかばの友人たち。
それぞれの「夫婦」の歩みがあるんでしょう。そしてこれからも。

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「寒い晩だな」
「寒い晩ですね」
妻のなぐさめとは、まさにかくの如きものなり。 (斎藤緑雨)

10年後、こんな感じの夫婦でいられたら、と思います。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年10月31日(金)更新

形見になってしまった赤いセーター

10月最後の日記は悲しいものになってしまいました。
東京の友人Mさんが、つい先日、やはりというか病魔を乗り越えられず亡くなって
しまい、一昨日がお葬式でした。暗澹とはこういうのを言うのでしょうか。

同じ60歳代の友を、しかも私より少し若くて、スキーのインストラクターで、座持ち
の名人、ギターも歌もプロ顔負けだったMさん。
私たちの「佳き仲間の会」は名伯楽を失ってしまいました。

たまたま足のケガでお別れに行けませんでしたが、集まった仲間に見送られて
旅立ったことでしょう。

 私的なことですが、思い出をブログに記しておきたいと思いました。

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Mさんとはアパレル業界の友人を介して知り合いました。そのご縁はその後ドン
ドン広がって「仲間の会」ができ、年に数回、東京周辺や北陸でゴルフや飲み会
をやってきました。

会長を務める私の地元の友人とMさんの人脈や人柄で、中にはアパレル上場企
業の社長さんも数名おられますが、会えば少年に還ったように皆にぎやかに他愛
なく遊びに興じました。

死亡の報を聞いた時、それらの光景は一瞬セピア色となり、Mさんのにぎやかで
ヤンチャな声が耳元でしたように思いました。

今年の春、メンバーの医師S君(同級生。横浜で総合病院を開いています)が
帰郷した際、「Mさん、また入院したらしいね。本人が転移したらしいと言ってる
そうだけど」と聞くと、「よくないな、今年一杯は無理かも」と打ち明けられました。

2回目の手術が成功したので、体力の回復を待って、本人も希望しているから
ということで、この夏、御殿場へみんな集まってゴルフをする計画でしたが、結局
これも実現しませんでした。

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先日、恵比寿のWホテルに泊まったとき、「ああ、そういえばここはMさんの息子
さんの結婚式に来たなあ」、あれは何年前だったかな、などとフッと思いました。

暖かい披露宴で、Mさんの長年の友人である女優の萬田久子さんご夫妻も出席
されておられ、そのあと「佳き仲間の会」の二次会へも顔を出してくれました。
われわれ同様、今は深い悲しみの中におられると思います。

その年の11月、恒例の「北陸シリーズ・かにかも会」のとき、片山津でのゴルフ
はMさんと同組でした。

少しオレンジ味がかった真っ赤なVネックのセーターを着ていたので「その赤いい
なあ、還暦だからくれない?」と言うと「これ、萬田さんのダンナのナントカの記念
品なんですよ。でも還暦祝いならいいか」ということで、終わったあとのお風呂場で
渡してくれたのです。

その後冬のゴルフには愛用のアイテムになりました。
Mさんは巨体だったので少し伸びていますが、この冬、袖を通したらあの時の暖
かいMさんのにおいがするような気がします。

赤いセーター  刺繍のワンポイントはひげのリッキーさん

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Mさんも大好物だった「越前ガニ」は、解禁まであと一週間ほどだったのに。
今年はまだ誰からも連絡はありません。


横山国男

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2008年09月29日(月)更新

心友。

先日、一泊で中学校のクラス会がありました。卒業50年となり感慨もひとしお、
皆それぞれいい歳になりました。
会に先立ち、亡くなられた二人の担任の先生と級友8名へ黙祷しました。

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秋の夜長、多くの友人の中から、一人の本当に長いつきあいの「親友」というより、
「心友」のことを考えています。

彼とは小学校一年で同級となり、2度のクラス替えでもそのまま6年一緒でした。
すぐ上の姉同士が同級だった関係もあって仲良くしていましたが、以来60年近く
経った今でもそのまんまの気分です。

「友」とは志を同じくするもの、「朋」は机を並べた学友を指すそうですが、私には
同じこと、「遠方より来る 亦楽しからずや」というより、今でも近所なのですが。

いつも彼が来るのを心待ちにしています。会えば私の方が7割くらいいろいろな
話題を投げかけますが、彼は「それは違う」という言い方をあまりしません。
 「こういう見方もできるかも」「こんな話もあるぞ」という話し方をします。
 要するに私より大人なんですね。

互いに好きな建築、美術の話から、環境、エコ、教育、旅行そして社会問題など
話題はあちこちに飛びます。 あっという間に時間が経ち、彼も時計を見てそぞろ
席を立つのですが、話は尽きず、車のドアを開けながらまだオシャベリ続行の時も
あります。互いに忙しい身、話したいことが山積しているのを久しぶりに放出する
わけです。

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30年前、業種は違いますが、互いに一部出資者となって会社を設立しました。
しかしそのことは全く忘れてしまっています。なんとか共に無事経営を続けてこれ
たからかも知れませんが。(彼は最近身内でない専務に承継しました)。
しかし、仮にどちらかに何かあっても「親友・心友」でいられた自信もあります。

私は会社をスタートしてしばらくして、土地、建物、設備に多額の借入をしました。
カナイに「僕に何かあった時には、全て(権利書、預金通帳、印鑑、帳簿、借金
 の明細など一切合財)を持って彼のところへ相談に行くこと」と命じました。
(彼は知りませんが)。

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この話は私たち夫婦だけの間の約束事として終わるつもりでしたが、事業を承継
して永続させていくと決意した娘たちに「真の友人は心の栄養になり、安心を与え
てくれるもんだよ」と言ってあげたい気がしたものですから。

当時、私の指示を聞いたカナイは「いい友達がいてうらやましいわ」と言ったように
記憶してます。

横山国男

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2008年09月15日(月)更新

敬老・軽老・啓老。

9月15日は、正確には「老人の日」といい、「敬老の日」というのは9月第3月曜日
なのだそうです。(因みに9月15日から21日までを老人週間と呼ぶそうです)。

「働き過ぎ」というよりも、日本人の労働生産性の低いのが問題で、常々もっと自由
な休日の取り方をした方がよい、というのが私の考えです。
温泉旅館でもゴルフ場でも行楽施設は週末のみ繁忙、平日は閑古鳥が鳴く状況。
でも、設備・人員はそのままで、非効率この上ない(従って週末料金が異常に高く
なる)。このあたりの「平準化」を考えないと、有効利用につながらず、ドンドン関連
業者倒産、廃業を止められないのでは。(時代が変わったのですから、国も国民も
意識改革、ロハスな新しいライフスタイルが必要と思います)

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ところで今日は老人の日であり敬老の日、お彼岸も近いので、午前中は気になっ
ている墓石の「花立て」の修理を友人の石屋に依頼しなけばなりません。
仏壇に線香をあげて両親の写真、特に「おふくろ」を見ると、思い出すことが一杯
あります。両親とも近在の農家から街に出て所帯を構えましたが、母は学問は
ありませんでしたが、「情」の厚い人だったとあらためて思います。

子供のころ(昭和20年代)、休日などのお昼、私の横に、母子連れの「乞食」が
座って一緒にご飯を食べた記憶が何度かあります。まだ貧しい時代、母が「なん
もないけどご飯たべていきね(いきなさい)」と言って招じ入れるのです。

私は嫌だと思った記憶はありませんが、埃まみれ、垢まみれ、髪はボウボウです
から「汚いなァ」と。麦飯と味噌汁、漬物だけぐらいの粗末な食事でも、食べ終えて
何度も何度も子供にも頭を下げさせて家を出て行きました。

またある時は、唐草模様の大風呂敷に、母が使った肌着、おこし(腰巻き)、浴衣、
タオルなどの衣料や、餅、卵、果物などを包んで背負い、地下足袋を履いて2里
(8キロ)ほどの田舎道を父の親類に向かいます。

昔は老人でも死の病とされた肺病(結核)にかかると、母屋を出されて、大きな
敷地内のはずれにある農作業小屋の隅などに、莚(むしろ)を敷き、ふとんなど
一式とともに移されることが珍しくありませんでした。伝染するからということでしょ
うが、むごいことで、「おしんの世界」「昭和版・姥捨て」です。家族は食事を置くと
逃げるように母屋へ帰ってしまうのです。

母は少しも意に介しませんでした。真夏の頃なら羽釜でお湯を沸かし、タライに張
って行水をつかわせてやり、持ってきた古くはあっても清潔なものに着替えさせ、
髪を梳いてやったとのことです。汚れものを洗濯し、元気づけて帰る母に、病人は
ふとんの上に起き上がり、何度も手を合わせ、「おワサさん(母の名はワサといい
ます)ありがとう、ありがとう。悪いコトがないように願うている」と拝んだ、ということ
を後年母から聞いたことがあります。

母は昔からしょっちゅう便器も素手で洗っていましたし、ドブの中に手を入れて
ゴミを始末しました。「手は洗えばきれいになる。放っておくほうがよほど汚い」と
顔をしかめる私に言いました。病人や死人を少しも怖がりませんでした。

このような信心深い両親や、祈ってくれた人のおかげかも知れません。ぐうたらに
過ごしてきた私のようなものでも、今日までなんとかやってこれたのは。

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ともあれ、このブログを大きくなって読むことがあるかも知れない私の孫たちに、
曾祖母(ひいおばあさん)はこんな人だったんだよ、と伝えたかったので、敬老の
日の今日は書いてみました。

*「軽老」とは、最近いろいろなことで軽んじられる老人、はたまた振り込め詐欺に
 コロッと騙される軽ハズミな老人を、「啓老」は、老いをひらく(啓く)という考え方も
 これからの時代大事かな、と考えて連想した私の造語デス。


横山国男

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2008年07月13日(日)更新

タスポとお婆さんと飴玉。

タスポが導入されましたが、平均25%ほどしか利用者がないので、自販機しか
置いていないタバコ屋さんが苦境に陥っているそうです。(コンビニなどへ流れた)
中には、高齢の店主さんが「売り上げは80%も減った。80万円もかけてタスポに
対応したのにもうやってゆけない。年金だけではとても生活できないし」と嘆いてい
るのもTVで見ました。

これを機会に禁煙したり、主目的である未成年者の喫煙防止などにどれだけ効果
が出ているのか現況を知りませんが、建築基準法改正、消費者金融の法改正に
次ぐ「官製不況」・・・「お上もひどいことをする」と、上述のタバコ屋さんなどは思っ
ているに違いありません。自販機大国の日本ですから、もし外国の人がこの問題
を考察するときは一様に「自販機メーカーとそれにからむ利権政治家の仕業」と
考えるのが普通、という論調もあります。

作家の曽野綾子さんが、高齢運転者の“もみじマーク”や“タスポ”を配るなどと
聞くたびに、「いかにもT大アホウ学部の馬鹿が考えそうなことだ」と罵っている、と
ご主人の三浦朱門さんがある総合雑誌で話しているのも最近読みました。

ことの是非は分かりませんが、またひとつ高齢者の働き口が無くなったことだけは
確かなようです。

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私が小学生の低学年のころ、母から夕方時々お使いに出されました。
職人だった父の晩酌用の酒を切らしたので買ってきて、ということでガラス製の
フラスコのようなビンを抱いて、300メートルほど山沿いの暗い道を、怖いので
小走りに行くのです。

途中、2,3軒の民家もありましたが、やがて灯りが点いている「何でも屋」が見えて
きます。(本業は米屋さん。塩、タバコ、ほうきとかざるなどの荒物、せんべい、飴
などの駄菓子、何でもあったように思います。だから近隣の子供は“何でも屋”と
言っていました)。

店に入るといつもの腰が90度くらい曲がったお婆さんが「おう、坊 よう来たな、
酒か」と言って、精米機の前で一升枡で米を袋に入れる作業をやめて、樽から
酒を移してくれました。過酷な農作業で腰が曲がったのでしょうが、それでも70歳
前でしたでしょう。もちろん大店ですから息子もそのお嫁さんも働いています。

それから数年後、このお婆さんはタバコのケースの前にいつも座るようになりまし
た。夏でも毛布のようなものを膝にかけて、日がな一日外を見ていましたが、おだ
やかな印象がかすかに残っています。

このように昔は年金もありませんでしたが、家の者全てが、働ける間はなにかふさ
わしい仕事を与えられて、生涯を全うしたように思います。
勤労を尊ぶ「真宗王国」ならではの背景もあったかも知れません。

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かって「日本の物価が高いのは人件費がかかりすぎる、多段階の流通も無くさな
くてはならない。アメリカのスーパーやSPA(製造ー直販)こそこれからの時代・・・」
この意見に真っ向から異を唱えたフランスだったかの学者が、「そうではない、
沢山の商店や問屋さんなどが雇用を吸収しているのだ。それを壊せばその分は
社会的なコスト(税や福祉の費用)となってはねかえるのだ」というような発言を
していて「こっちの方が正しいんじゃないか」と思ったことがあります。

お金の問題というよりも、「まだ自分は家や地域で必要とされている」という喜びと
誇りが、どれだけ人間をして真っ当な生涯を手にするか、ということと深い関係が
あるような気がしたからです。

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「何でも屋」で父の酒を貰い受ける時、いつもお婆さんは目の前の大きなガラスの
ビンの中から「飴玉」を一つとって「ほい」と言ってくれたものです。
私は飴玉をほおばりながら、また急いで家に帰りました。


横山国男

【染型工房 横山工藝】
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