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2007年09月04日(火)更新

朝青龍問題について考えたこと

TVの「ワイドショー」情報からか、家内は朝青龍については厳しい意見ですが、
私はどちらかといえば朝青龍に「同情的」です。

それはこの問題の引き金になった「モンゴルでのサッカーに興じる朝青龍の
映像」にあります。
なんとも楽しそうで、もっと驚いたのは「相撲取り」とばかり思っていたら、その
動きの素早いこと、見事なヘッディング、なんとアスリートじゃないか、「相撲は
変わったんだ」という現実を見せられたことにあります。

それと同時に、26歳とはいえ、特殊な社会に異国から飛び込んで、最高位の
「横綱」にはなったけれど、異文化を嚥下しきれていない「少年」の部分が垣間
見えて微笑ましいと思ったくらいです。
「おふくろさん」の膝元は、やっぱり暖かくて、嬉しいんですね。

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私の子供の頃の「大相撲」というのは、栃若全盛期(栃錦・若ノ花)ですが、
大起(おおだち)とか、大内山とかの巨漢、巨躯の力士がいて、当然というか
動きはスローモーなので、朝青龍のような栃・若に弱点を攻められて大抵は
土俵に転がされていました。
今でも栃錦が大内山を柔道の背負い投げのような技で決めたときの写真
などは、あの大内山の長い足が、天井に当たるのではないか、と思うほどの
大逆転大技で目に焼きついています。

それでも大起などは、今で言う「キャラが立って」いて、入場してくると館内は
子供たちの大歓声ですごい人気があったものです。土俵上では「壁」のように
突っ立っていただけのような印象がありますが、今とは比べ物にならない
力士の数で層が厚い大相撲でしたから、巨漢だけで幕内が張れたわけでは
ありません。今年ついに「新弟子検査」で合格した日本人は0だったそうです
から、隔世の感があります。 国技「大相撲」はどこへいくのでしょうか。

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それにしても「問題」になって以降の朝青龍の表情は尋常ではありません。
病名はともかく「文化の相違」が、一辺にこの少年のような「横綱」を襲った
背景に、とかく「内向き」になってきている日本人の狭量と「マスコミの弊害」が
あるような気がするのは私だけでしょうか。

関連するブログのコメントにつぎのようなものがありました。

「朝青龍に日本国内で加療を命じていたら、相撲協会は確実に訴えられて
いた。顧問弁護士の意見を参考にして、母国での治療となったのでは。
国内法において“傷病の悪化に関して配慮を怠ると使用者責任を問われる
という大原則がある”」んだそうです。

相撲協会も責任のない“派遣”力士がほしいと思っているかもしれません。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2007年08月23日(木)更新

5年前の今日、アルバトロス(あほうどり)が舞い下りました

還暦60歳の誕生日を目前にした、5年前の今日、8月23日でしたが、
ゴルフではきわめて稀といわれる「アルバトロス」(ホールの規定打数
パー〔PAR〕より3打少なくホールアウトすること)を経験しました。

アルバトロスは27万ラウンドに一度、(ホールインワンは約1万ラウ
ンドに一度)の確率という統計もあるそうですから、四半世紀余りの私の
ゴルフライフでも最大のエポックでした。
また60歳という年齢での達成も、「飛距離」がポイントになりますので
珍しいことかもしれません。

当日は暑い日でしたが、「ロータリークラブ納涼家族大会」を夕刻から
このゴルフ場のクラブハウスで催すことになっており、ゴルフをする人
は昼前にスタートしました。

この週末も例年同様の行事があり、チャリティーバザーやオークションで
奉仕のための資金を集めます。

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同組のプレーヤーは、このFゴルフクラブの支配人Hさん、建材商社社長
のSさんなどでしたが、9番ホール(543ヤード、PAR 5)はゆっくりした
打ち下ろしの、左に少し曲がる実質500ヤード位のロングホール。
私のドライバーショットは追い風にも乗り、硬いフエアーウエイを
バウンドしながら300ヤード程先の左側の平坦な場所に止まりました。

あとで聞いた話ですが、まだ若いキャディのKさんは4度のホールイン
ワンに立ち会ったという“幸運の女神”。
“女神”は8番までの私のゴルフを見て、「残り205ヤード、フォローの
打ち下ろしですから、4番アイアンでしょう」とのご託宣。

ゴルファーならナイスショットの感触はお分かりと思います。ほとんど
当たった感覚のない、スムースな振りぬきの1打はグリーン方向に飛び、
ひょっとすると「乗ったかもしれない」と思いました。

私の位置からグリーンは見えましたが、左奥にあるピンは左サイドの小山
の陰になり、見えませんでした。
少しの静寂のあと「入ったァ」「やったー、アルバトロス!!」という歓声が
あがり、「ホントかな」と思ったのを覚えています。

このゴルフクラブは15年になりますが、今日現在でも9番ホールでのアル
バトロスの記録は私だけのようですので、ちょっと気分がよいものです。

銀のプレートとマグカップ
アルバトロスの祝いに仲間から贈られた純銀のプレートと、その後昨年
ですが、ホールインワンも飛び出しましたので併せて記念に作成しお贈り
したマグカップです。

横山国男

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2007年08月01日(水)更新

「永遠の旅人」・・芭蕉さんとゴルフ

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・」
何かの拍子に名文や名曲のフレーズ、一節などが何度も頭の中を
しばらく駆け巡ることがあります。

この「奥の細道」の冒頭も、最初口にした時、なんともいえない
リズム感と芭蕉の「旅への思い」、曾良を伴う「二人の旅人」が
パーッとイメージされて大好きな「出だし」のひとつです。

旅人二人
以前から好きなイラストのホームページです。(本文とは関係ありません)

「百代の過客」は「はくたいのかかく」と読むそうで、「永遠の旅人」
を意味すると解ってからは、一層心にしみる文章となりました。
いつかは「松尾芭蕉」にのめりこんでみたい、そんな気がします。

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先週末はホームコースの「芦原ゴルフ場」でプレーしました。
この日本海を望む「白砂青松」(大分松枯れ病にやられましたが)の
ロケーション、やがて半世紀にもなる歴史あるクラブ、私のゴルフ
ライフの原点でもあります。

9番ホールの途中、左手の松林からすぐ下の砂浜に、芭蕉が元禄二年
(1689)八月七日、ここで詠んだ「汐越の松」の句碑があり、時々
この石碑と松を訪ねてきた俳句愛好家グループの人影を目にします。
芭蕉が見た松はすでに枯れ、朽ちた大木として横たわっています。

「終宵(よもすがら) 嵐に波をはこばせて 月をたれたる汐越の松」 

五・七・五じゃないんですね。さっと駆け下りて写真を撮ってきました。

芭蕉句碑と地蔵さん 9番Hの案内板

「句碑」と隣の「お地蔵さん」に手を合わせてから、駆け戻って打った
ピッチングでの第三打はピンそばへのナイスショット、バーディーで
久しぶりのパープレー(ハーフ36)。芭蕉さんのご利益かも。
そう言えばゴルフも「永遠の旅人」に似ているようなところがあります。

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「永遠の旅人」といえばS・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」(1968)。

 オープニングのR・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」は物語りの
予感を、ディスカバリー号が月へ向かう場面でのJ・シュトラウスの
「美しく青きドナウ」は宇宙の限りない静謐を感じさせて、40年も前に
見事なSFX世界の“旅情”を演出していました。

音楽や映像は私のいささか古くなった脳にも時々鮮やかに蘇り、一度
去来すると半日ぐらいは頭の中をぐるぐるしてちょっと閉口します。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
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2007年06月05日(火)更新

ウチの石川遼クン・・ジュニアゴルフについて考える

首相官邸にまで招かれ「日本全国を明るくしてくれた」と称賛されたジュニアゴルフ
の逸材「石川遼」君。高校一年生(15歳)でのプロ競技での優勝は、ゴルフという
スポーツ(ゲーム)が、特にトーナメントにおいては、4日間72ホールという長丁場で
行われることを考えると、「体・技・心」どれが欠けても成就されるものではありませ
んから、その実力は本物といえるでしょう。
このまま伸びていって、世界で活躍してくれるとよいのですが。


「ハンカチ王子」こと早稲田の斉藤投手に続いて、低迷する「男子プロゴルフ」の
救世主として期待されているわけですが、早くもマスコミは「ハニカミ王子」などと
ニックネームをつけ、ヨンさまを追っかけていたおばさまは大忙し。ゴルフ場などは
無縁の場所だったはずですが、石川君が出場している昨日の「関東アマ」は前代
未聞のギャラリー数で、「お弁当」500食があっという間に売り切れたということです。


「平和日本」「内向き日本人」を象徴しているような話題ではありますが、それだけ
今の日本が「さわやかさ」を渇望しているということでもあり、ある意味健全とも
言えるかも知れません。

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「ジュニアゴルフ育成」に関わる者として、いろいろな問題や課題も考えさせらて
いますが、(特に親の方に問題があるケースが多いのですが)そういうものを超えて、
なおゴルフには素晴らしい教育効果があると信じて疑いません。

「週刊ポスト」の石川遼君の記事にある、「集中力」「挨拶」「向上心」「笑顔」・・・の
どれをとっても今の子供たちや青年に欠けているものではないでしょうか。


しかし私が考える「ゴルフから学ぶこと」で最も重要視していることは他にあります。

それは
1.フイールドには審判がいないので、すべてルールに基づいて自分がジャッジ
  すること。(公正とはなにか。自分に有利にふるまわないということはどういう
  ことか)
2.プレーに関する「アドバイス」を受けることも、与えることも競技中は禁じられている
  こと。(すなわちあらゆるトラブルも、自分の頭と持っている技術と道具でなんとか
  しなくてはならないこと)

 「君たちがやがて社会に出たときの宝物になると思います」と、いろいろな大会で
挨拶するときの常套文句にしています。

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ところでウチの孫、未来の石川遼クン(ハナカミ王子)はこの4月から小学3年生に
なり、あまりにワンパクなので知合いのプロがやっている「ジュニアゴルフスクール」
に入れました。
家の中でゲームに異常に熱中することも心配でした。

どうやらゴルフが好きなようで、行き帰りの車のなかでも学校のことやゴルフのこと
を会話します。「石川遼君も同じ小三からゴルフをはじめたんだって」と今回の話題
も解説してやりますが、遼君のご両親(大変好感を持っていますが)のようなサポート
は出来ませんし、するつもりもありません。


ジュニアの指導に長い、Sプロにまかせて一切口も出しません。
時々のぞくと、おかしなグリップでブンブン振り回して機関銃のように嬉しそうにボール
をアチコチに飛ばしています。

しかし中学に入る頃には、飛距離でもスコアでもきっと私の方が負けると思います。
アチラはうまくなり、コチラは一層年をとるからですが。

コー君、いつかジジ・ババと3人でゴルフを楽しもう。


みんなのゴルフ
ジュニア基本ゴルフ教本「みんなでゴルフ」(@800円)
※ジュニアどころか、大人の教本としてもすぐれもの。ふだん必要なルールも
書かれていて、もしこの教本をマスター出来れば90点のゴルファーに
なれるでしょう。
(社)日本プロゴルフ協会で入手出来ます。http://www.pga.or.jp


横山国男
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2007年04月10日(火)更新

はるかなるオーガスタ

“ゴルフの祭典”第71回「マスターズゴルフ」が終わりました。
世界では数億人がTVを通じて観ていたことでしょう。

日本でもゴルフ好きの方なら、毎日早朝からTV観戦、最終日の9日
月曜日(現地日曜日)は出勤の途中も気になって、携帯でチェック
されていたサラリーマンの方も多かったかもしれません。

タイガー・ウッズフアンにはフラストレーションのたまる4日間で
したが、優勝したのはほぼ無名と言ってよい、ザック・ジョンソン
(31歳)。ヒリヒリするような重圧に耐えて、頂点に立ちました。


それにしても毎回思うことですが、外国の人はどうしてこのような
席でのインタビューの受け答えが素敵なんでしょうか。
この一見地味な(外見も)選手ザックも感動的な優勝者の弁を語り
ました。

外国人といってもアメリカが多い気がしますが、このような場合
まず主催者、関係者やボランティア、フアンへの感謝の言葉を述べ
ます。

1月に生まれたばかりの長男ウイルちゃんにキスしまくったあと、
「家族、仲間、そして神に感謝したい。夢と思っていたメジャーで
勝つことが出来たが、これからも出身地のアイオワを忘れないプロ
でありたい」と。泣かせますね。

前年度のチャンピオン、フィル・ミケルソンからグリーンジャケット
を着せてもらうと、「ワォ! 着慣れなくちゃね」と飾らない人柄が
よく出ていてほほえましくなりました。

日本では優勝者のインタビューの第一声が「そうですね、今日は・・」
と何を聞いても「ソーデスネ」で始まり「これからも応援よろしく
お願いしまース」で終わるのが非常に気になります。マイクを向ける
側のレベルにも問題があると思いますが。

        ・・・・・・・・・・・・・・・

1995年、生涯に一度はと思っていた「マスターズ」の決勝ラウンドを
観ることが出来ました。ジョージア州アトランタまでの長時間の飛行、
そこからバスでさらに数時間、ゴルフにまつわる私の思い出の中でも、
今でも色鮮やかで褪せることがありません。

本当に夢のような美しいコースでしたが、TVで観ていたのと全く違って
いたのは、実際にはかなりのアップダウンがある「丘陵コース」だった
ことでした。
全米アマで優勝したタイガー・ウッズが初めて招待された年だったと
記憶していますが、身体も細く、まだ少年の面立ちでした。


この年の優勝者は“オネスト”ベン・クレンショー。18番ホール最前列
で観ていましたが、最後の短いパットを沈めると、腰をかがめたまま、
パターから手を離し、両手で顔を覆い肩を震わせ慟哭しました。

あとで知ったのですが、師匠のハービー・ペニック老が大会直前に亡く
なり、共に長年師事したトム・カイトとともに葬儀に参列、棺を担いで
からトンボ帰りでオーガスタに戻ってきたのです。

“ハービーがついていてくれた”、とベンはインタビューで答えていた
ようです。すでに全盛期は過ぎていましたし、優勝者の予想ではかなり
後順位だったと思います。
背景にはいろいろなドラマがあるものですね。

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毎年のように用具の進歩や技術の向上があり、あれから「オーガスタ
ナショナル」も400ヤード以上距離が延びています。

108ミリのカップに向かって必死で考え、風を読み、自制と闘争本能の
間で揺れる心をコントロールしながら、持てる技術を駆使して攻める
マスター(名手)たち。そうはさせじとコースセッティングに叡智の
限りを尽くし、カップを守ろうとするスーパーインテンデントと呼ばれる
グリーンキーパーやコース委員会のマスターたちとの戦いがメジャーと
呼ばれるゴルフです。

今年の優勝スコアが久しぶりの4日間で1オーバーという、マスター達
を苦しめた結果は、ひとまず「コース」の勝ちだったということでしょう。

今ごろ「オーガスタナショナルゴルフクラブ」の面々は、あの美しい、
しかしあまり大きくないクラブハウスで祝杯を挙げているに違いありま
せん。

版画
       当時のNo.11ホール(版画)

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珍しい木製のキャディバッグタグ

横山国男
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