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2008年08月05日(火)更新

孫連れアメリカの旅(3) シカゴ、ボストンの美術館

国としての歴史は日本などと比べれば短いものですが、国富という点ではいくつか
の大戦に常に勝利し、世界の超経済大国の名をほしいままにしてきたアメリカです
から、言い方は悪いですが、分捕ってきた戦利品ともいうべきものも含め、公的,
私的に膨大な世界の芸術作品が数多く存在するのも不思議ではありません。

また音楽でもシカゴ、ボストンともに有名な交響楽団やオペラ劇場を有していますが、
いずれも友の会会員か特別なコネでもなければ旅行者が急に行きたいといっ
てもかなうものではありません。

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シカゴでは子供たちが「アドラー天文台」に行っている間に、娘に「シカゴ美術館」
(THE ART INSTITUTE OF CHICAGO)を案内してもらいました。
有名な青銅の大きなライオン像がデンと階段の両脇を守っているアカデミックな
建物は雰囲気があります。来年ウイングが増築されるようですが、レンツォ・ピアノ
設計とパンフレットにありますので、あの関空の設計者ですね。

シカゴ美術館

しかしアメリカ三大美術館の一つで幅広い収集、特に印象派と20世紀アメリカ美術
に特徴があるといってもルーベンスやドラクロアなどの宗教的な雰囲気の泰西名画
にはあまり関心がないし、このあとボストン美術館へいけば印象派などの名品が
揃っていることが分かっていましたので、しまった「シカゴ現代美術館」へ行けば
よかったかな、と少し後悔しました。

今では古典といわれるものでも、創られた当時は「現代美術」であり「現代音楽」で
あったことは間違いありません。カンジンスキーやジャクソン・ポロック、ラウシェン
バーグなどもいいですが、それでもカラフルなルイ・ビトンのバッグをデザインした
ことでも知られる村上隆の作品が、億円の単位で収集されていくアメリカの現代
美術愛好家たち。古い私にはちょっとついていけません。

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ヨーロッパには6度ほど行く機会があり、時間があれば街の小さな美術館や画廊
でも覗きましたが、アメリカ北東部へいくことがあれば、ぜひ「ボストン美術館」
へは行ってみたいものと思っていましたので、念願がかなったことになりました。

「ボストン美術館(MUSEUM OF FINE ART,BOSTON 略称MFA)は、初代の
東洋美術部長を郷土出身の岡倉天心が勤めたことで、なお関心が深いのかも
知れませんが、しかしやはり中心はヨーロッパのルネッサンスから17~19世紀、
特に印象派の絶品が並んで息もつかせません。フラッシュをしなければ写真撮影
も自由、顔を30cほど近づけて筆跡を見ることすらできるのですから幸せです。

館内作品

二人の孫も最初は退屈そうでしたが、何度も根気よくカナイが説明してやり、少し
興味をもったようにも見えました。いつか再びここに立ち、私達のことを思い出して
くれたら、カメラでなく眼に焼き付けて帰るんだよ、とそんなこともフッと思いました。


横山国男

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2008年08月02日(土)更新

孫連れアメリカの旅(2)  RI本部を訪問。

「経営者会報2007年臨時増刊号「社長の意識と行動全調査」に“会員制勉強会
に比べて低調なロータリークラブへの加入状況”という項目があり、入っている、が
13.9%、興味がある、が8.0%、将来とも入るつもりはない、が78.1%とあり
ました。正直80%近くの50代以下の経営者から「拒否」されているのか、と愕然と
しましたが、これではロータリークラブの会員増強がうまくいかないのも当然です。

これはライオンズクラブなども同様ではないかと推察しますが、成熟し豊かに
なったわが国では、NPO組織などの奉仕、ボランティア団体が増えたのも一因
ではないかと考えています。
どのような名称であれ、奉仕団体がその目的に忠実であればかまわないのですが、
もう一つは必要以上に人間関係、人との繋がりをわずらわしいと考える年代層に
入れ替わってきている、という見方もできるのではないでしょうか。

私もまだ入会して15年ほどですが、常々もう一つ活動方針や理念に疑問や錆付
きを感じている一人です。それでも人との繋がりー多くの異業種経営者と知り合い、
特にお医者さんなどとはゴルフなどを通じ懇意の間柄となったおかげでどれだけ
心強い思いをしているかわかりません。そういう点を今の若い経営者はどう考えて
おられるのかな、と思います。

来年7月より1年間会長を引き受けなければなりませんが、最近やっと逃げずに
何事も「させていただく」という気持ちを大事にしていけばいいんだと思うようになり、
少し不安がなくなりました。

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シカゴへは朝9時ごろ着きました。子供連れでモタモタしていたのですが、オヘア
空港で仕事をしている娘婿が何かと世話をしてくれ、スムースに入国しました。
14歳以下は顔写真も指紋も取られないことも初めて知りました。

昼食をとり、アポイントをとってくれていたシカゴ郊外エヴァンストンの「国際ロータ
 リー(R.I.)本部」を訪問しました。以下は日本の田舎のロータリアンが見たR.I.
見聞記です。

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ミシガン湖畔のエヴァンストンは、大学などの教育機関が多い学園都市のようです。
ここに「国際ロータリー(Rotary International)」の本部One Rotary Center
があります。戦前日本のロータリアンで彫刻家の親子二代が(最初は父が作った
上半身像だった。後にご子息が下半身を)作ったロータリーの父ポール・ハリスと
握手。

RI本部のビル ポール・ハリスの像

ロータリーの創設者、ポール・ハリスの執務室を復元した部屋で。横は今回ご案内
してくださったASA THOMPSONさん。日本語通訳・翻訳部に9年前からお勤め
だそうで本当にご親切にご説明やご案内をしてくださいました。
また、ロータリーは創設時の4名がそれぞれの事務所で持ち回りで会合を開いて
いたのでロータリー(廻る)と名づけられたようですが、取り壊しになる事務所を
このビルに再現しており、訪問者の記帳ができるようになっています。

ASAさんとポール・ハリスのデスクで。 訪問の記念記帳をする。

今年度のRI会長は韓国ソウルRCの李東建氏。毎年決められる会長メッセージ、
今年は「夢をかたちに Make Dreams Real」です。会長、副会長、エレクトの
3名は全く無報酬で世界中を飛び回ることになります。国連事務総長も韓国人と
なり、韓国の国民にとって誇り高い出来事だったに違いありません。

RI会長室の椅子に。 李東建RI会長夫妻

上は会長室で、不在の折には自由に入室してよいことになっており、ASAさんが
「どうぞ、どうぞ 会長の椅子にお座りになって」と言われましたが、ちょっと恐れ多
くて半分ほど腰掛けてみたところです。会長室からは眼下にミシガン湖、遠くに
シカゴの高層ビルがあるダウンタウンが望めて絶景です。

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他にも沢山の写真をとりましたが、これは通訳・翻訳などで働く日本人スタッフの
皆さんで、お土産に持参した福井西RCと福井フエニックスRCのバナー、および
フエニックスRCの会長も勤めた書家吉川壽一さんが団扇に書いてくれた
「夢」「Make Dreams Real」をとても喜んでくださいました。ASAさんが「会長に
もお届けしておきますね」と仰ってくださって、これでRI訪問の土産話を8日の
例会でできるな、とホッとしました。

RI日本語スタッフ お土産のバナーと団扇を贈る

横山国男

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2008年08月01日(金)更新

孫連れアメリカの旅(1)

9歳と5歳の二人の孫(男の子)を連れてシカゴ・ボストン9日間の旅行を終えて昨夜
帰ってきました。屈託なさそうに見えましたが、それでも緊張した旅だったに違いあ
りません。この間シカゴに住む次女夫婦がよく世話をしてくれたので助かりました
が、国土も経済も超大国のアメリカですから、ほんの一端を覗いたといったところ
でしょうか。

それでも中西部の、人口290万、都市圏人口約1000万、白人の郊外流出、有色
人種の旧市街流入、あらゆる面で典型的なアメリカの大都市といわれるシカゴは、
アメリカを知る格好のモデルの一つかも知れません。

1830年ごろのシカゴは、十数個の丸太小屋と雑貨屋が一軒、飲み屋が二軒しか
なかったそうですから、あれからまだ200年も経っていないわけですが、ミシガン湖
とミシシッピ川を結ぶ運河建設を機に一大発展を遂げ、1871年の大火災を機に
不燃住宅を法制化して近代都市へ変貌、有名なデトロイトの自動車産業など周辺
都市同様、主産業の農業以外に工業化にも成功しましたが、重厚長大産業の衰
退を経た今でも商業、金融、流通の一大拠点として不動の地位にあります。

シカゴのダウンタウン。かってこの都市を発展させた運河は今では観光ルートと
して色とりどりの水上バスが摩天楼の間を縫うように行き交い、川風がとても心地
よいのですが、すぐ脇の高層ビルでは世界経済を震撼させている穀物や石油の
取引など、今も変わらぬ人間の熱い営みが渦巻いているんだなあ、と“新感覚”の
旅情を味わったというのが感想です。

シカゴの運河風景 シカゴの市内 

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娘夫婦は中心部からメトラ(メトロポリタンレールウエイの略)という鉄道で北西へ
一時間ほどの郊外PALATINEという街のアパートメントを借りて住んでいます。
中層のクラシックな外観を施した半地下室と3フロアで家賃は月2000ドル近い
そうですが、勿論住宅手当がなければこのようなところには住めないでしょう。

平日だからでしょうが日中あまり人影もなく、ダウンタウンで多く見かける黒人にも
殆ど出会いません。お金持ちはまた違う所に住宅地があるそうで、階層別にそれ
ぞれが住み分かれているようです。それでも宅配便がドアの外に荷物を置いて
いっても失くなったりはしない地域のようです。
やはり日本と一番違うのは土地がふんだんにあり、樹木が多いこと、花壇やアウト
ピアが整備されて美しいことでしょうか。

PALATIN駅 メトラWデッカー

「機関車トーマス」に出てくるような駅には夏休みの子供たちを連れた親子で一杯
でしたが、その日は「カブス」の試合がある日で、“FUKUDOME”のユニフォーム
(レプリカ)を着た子供さんも。シカゴには「ホワイトソックス」もフランチャイズをおい
ているのですが、(滞在中は両チームとも首位)圧倒的にカブスフアンが多いのだ
そうです。泊まっていたホテルにもいかにも近隣の州からカブスフアンと思われる
お父さん・お兄さんが応援にやってきた、という楽しい風体の人にも出会いました。
機中から見たシカゴ付近に野球場が多いのにびっくりしましたが、やはりアメリカは
なんといっても「ベースボール」の国なんですね。

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夏に海外旅行へ行くと主だったところの「冷房の効きすぎ」に参ってしまいますが、
さすがにアメリカでもここのところの原油高でしょうか、想像よりは寒くなかったよう
に思えましたが、それでもダウンタウンに向かう車内は私たちにはジャケットを着て
いてちょうどくらい。しかし彼の地の大人も子供もTシャツに短パンがほとんどです。

娘は日本人より体温が高いせいでは、と言いますが、市内へ行った帰り、ダブル
デッカー(二階建て車両)の冷房の効いた二階席で、タンクトップに短いパンツ、
ビーチサンダルの若い女性が足元にリュックを置き、大きなタッパーウエアに似た
プラスティック容器の中のサラダ様のものをフォークでムシャムシャ食べながら、
恋人かご亭主かわかりませんが、ときどきハグし、おしゃべりを続けるカップルに
はちょっと驚きました。・・「裸に近いのに寒くないの」と。

PALATINEの少し前で降りていきましたが、二人の向こう側に座ってそれまでパソ
コンに向かっていた30代の男性が私の方を見て、ニヤニヤしながら「参ったね」と
いう仕草をしたところを見るとこれは少し変わったカップルのようですが、いずれに
しても昔から冬でもTシャツの外国人をみると「すごいな」と思うのは日本人だから
でしょうか。

ともかく殆どの人が判で捺したように短パンかジーンズにTシャツのスタイル、なる
ほどここは「ギャップ」「LLビーン」「エディバウアー」の国、きれいな長い足、焼けた
小麦色の肌がとてもよく似合っていますが、かなり太っている人も多く、男性は
おなか周りがスッキリしている人を探すのが難しいくらい、女性でも30代以降では
なるほどダイエット産業が繁盛するはずと妙に納得させられるものがあります。

中には「コニシキ」のような人もちらほらいますが、さすがに日本では見かけません。
世界一の長寿国「JAPAN」の食生活が浸透しはじめているのもうなずけます。
日本で長生きしている人をみても痩躯で「鶴」のような足の人が殆どですものね。

マネーの本で高名な本田健さんの本にあったように記憶していますが、アメリカでも
富豪といわれる人の離婚率は極めて低く、長身かどうかは別にして、体型も細身の
人が多いという文章をフッと思い出しました。

しかしそんなことを知ってか知らずか,どこのレストランも今夜もまた超満員、「今を
 楽しむのが人生」とばかり、この巨大な消費大国の大都市シカゴの夏の夜は
緯度がかなり北にあることもあって8時を過ぎてもまだまだ明るいのでした。

横山国男

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2008年07月22日(火)更新

シカゴよいとこ一度はおいで。

明日(23日)から、北米のシカゴ・ボストンへ行くので今日午後成田へ。
留守中、ブログを少し書き溜めて、なんて思っていましたが、出発間際に176回目
を書いている始末で情けないもんです。従って次回ブログは8月に入ってからと
いうことになるわけで、どうもなにかと思いどうりに片付けられなくなってきました。

シカゴには次女夫婦がおり、どうやら日本への転勤も近そうなので、一度来ないか
というので「決心」したのです。決心とは我ながら大げさとも思いますが、歳をとると
何事もテキパキとはいかず、聞けば入出国も、テロ以降最近かなり時間がかかる
ようです。しかし最初に話があったとき、「夏休みだし、二人のワンパクを連れて
いくか」などと不用意に発言したため、すかさず長女から「お願いします」と言われ
て計画は後戻りできなくなりました。

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それでも有意義な旅行になるかも、と思う一つはシカゴ市内エバンストンに「国際
 ロータリー(R.I)」の本部があることです。200カ国、クラブ数3万2千余、会員
総数121万のいわばロータリアンにとって総本山みたいな所ですから、ちょっと
外から眺めるだけでも、と考えておりましたら、娘婿がレターを出したようで、見学
の手筈が整ってしまいました。そうなるとクラブのバナーなども用意し、案内して
下さる方への小さなお土産も、などと考えないわけにはいきません。

来年クラブの会長を予定されているので、帰国後は早速「R,I見聞記」のスピーチ
(卓話)もプログラムに組まれました。あまり熱心なロータリアンではないので機中
でにわか勉強です。

もう一つは、9歳と5歳の孫(長女の男の子)に、「アメリカ」を見せてやれることです。
子供のいない次女のご亭主からメールが来て、夏休みの宿題を心配してくれて
「社会科は“ボストン茶会事件”など解りますかね」と聞かれましたが、私にも解り
ません、と言いました。それより今「鉱石ラジオ」に夢中です、貴兄の趣味の電子
部品でいろいろ遊ぶあれはきっと喜びますよ、と返事しました。近くの大きな森も
最高ですね、と。

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「国に何かしてもらうより、自分はどうしたらいいかを真剣に考える時がきたのです」

と尊敬するQさんの言がありますが、この子たちが成人する時、日本はどうなって
いるでしょうか。高齢化の進行は老害をますますひどくしているかも知れませんし、
日本人としての誇りや自信も今より持ち得ない時代になっているかも知れません。
どちらにしても、肌の色が違う多くの人間(シカゴは人口290万人、ニューヨーク、
ロスに最近抜かれて全米第3位)と高層ビル、ボストンの学校、ダウンタウンなど
を歩いて「世界は広い。頼れるのは自分自身。」とこの旅行で理屈抜きに体感し
たものが僅かでも頭の片隅に残ってくれたら、ジジババからのいいプレゼント
だったと思いたいのです。

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昨夜、ディスカバリーチャンネルから出ているDVD「多忙を極める国際空港」という
シカゴ・オヘア空港の舞台裏を見ました。なんと一日の利用客20万人、年間7千万
人の旅行者、1億5千万個の手荷物、90万回の離発着という巨大空港のようです
が、旅行者の知らないバックヤードで、多くの人間がこの巨大な空港を支えている
ドキュメントは興味深いものでした。

娘婿もこの空港にいるので、「着いたら飛行機のドアのところまで行きますよ」と
メールがきました。英語に自信がないのでお二人さんあとはよろしくお願いします。

横山国男

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2008年03月11日(火)更新

“ちりとてちん”、“OBAMA”の「小浜」

NHK朝の連ドラ「ちりとてちん」も最終章に向かって、大団円の雰囲気に
なっています。視聴率も高かったようで、舞台になった一つ、福井県小浜市
も、お陰で知られることになったのは、素直に県民の一人として、またカナイ
(家内)の生まれたところでもあるので、少々感慨もあるこのごろです。

福井県は福井市のある北部(嶺北)の越前、南西の、もう京都と滋賀に
隣接している、南部(嶺南)の若狭の地方に分かれますが、嶺南の敦賀、
特に小浜は、ほぼ京都など関西の文化圏と言ってもよいところです。

言葉もそうですし、人柄もセカセカしたところがなく、いわゆる「まったりした」
とか「雅」をも感じさせる土地柄。
町名も住吉、貴船、飛鳥、大原、竜田など京や奈良を連想させ、歴史の
繋がりもあることから、「海のある奈良」ともいわれてきました。
古くは大陸や朝鮮半島との交流・交易、近世は「北前船」の重要な寄港地と
して栄え、国宝、それに並ぶ「神社仏閣仏像」の宝庫でもあります。

また、世阿弥が佐渡へ遠島に処せられる際、小浜に数年滞在し、「能」を
広めたことも。

10日ほど前に若狭神宮寺(文字通り神社と寺の合体形式)から、奈良へ
通じているとされる「若狭井」の水を送るーーお水送りは、今日にも「お水
取り」として、韃靼の秘儀と松明が二月堂の回廊を巡る、天平時代からの
行事で、古都奈良に春の訪れを告げます。

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さらに振って湧いたようなアメリカの大統領選でOBAMA氏が有力な民主党
候補として連日日本でも報道されるようになって、小浜市に「勝手に応援する
会」みたいなものができて、内外のメディアにまで登場するようになりました。

単なる語呂合わせで、いささか「悪乗り」みたいにも私には思えましたが、
近年は原発以外にこれといった産業もなく、疲弊していく地方の有様も少し
感じられないわけでもありませんでしたから、注目されることならなんでも
「町おこし」に利用したい、という市長さんや住民の切迫感を笑うことはでき
ません。

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「小浜」はとても良いところ。
海と山、森と川に恵まれ、リアス式の海岸ながら風光は明媚で優しく、27号線
をさらに西へ走ればやがて「天橋立」(京都)。
最近は近江(滋賀)の「仏像めぐり」が人気ですが、もうちょっと足を延ばせば、
すぐ小浜です。沢山の柔和な「天平仏」に会うこともできます。

30数年前、カナイと結婚したころは、秋は「放生会(ほうぜえ)」の祭りを楽しみ、
春は桜、夏は濃い緑の中を自転車で寺社を廻ったことが懐かしく思い出されます。


横山国男
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