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「プリント道」45年余。新たな自身の夢と後継者への手紙-(株)横山工藝社長 横山国男のブログ
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2009年04月06日(月)更新
【明大生との毎週一問百答】 心の整理のつけかた
<ご質問>──────────────────
人生の岐路においてひとつの道を決断したとき、どのような思いで
下したのでしょうか。
(岡崎塾4期生・東京大学経済学部3年 嘉信由紀さん)
<お答>
大企業のサラリーマンから町工場に転じた私ですが、それが人生の岐路で大きな
決断を要したとの思いはあまり強くなく、思うに「やりたいこと、好きなことができる」
という希望の方が強かったように思います。
その時点では、まだ起業まで思い描いていたかどうかはっきりしませんが、モノを
作る仕事ですから、自分のやりたいようにやるにはいずれ独立開業する時期が
くるだろう、と考えていたと思います。
何でも需要が伸びている時代でしたし、友人たちも次々と会社を興すのを見て
いましたから、恐怖感はなかったのですが、やはりなにより若かったということ
でしょう。今から考えると夢中で寝る時間も惜しんでやりましたが、少しもつらいと
は思いませんでした。
多少の苦労や心配もなかったといえばウソになりますが、なにより周囲の人の
おかげで今日までこれたと感謝しています。
ご質問の趣旨と微妙にズレていますが、要は「正しいか正しくないか」よりも、
「好きか嫌いか」の方が重要で、「好き」なら決断の重みもあまり感じないように
思います。要するに「前しか見てない状態」ですから。
ズレついでに、私の友人(建材商社社長)のブログに素敵な言葉がありましたので
ご紹介します。
友人とは同業の社長さんが、毎月1日にハガキをくださるそうです。3月1日の
ハガキには、
『 行く手がふさがったら、それは別の扉が開くサイン』
愛知県にお住いだという同業社長さんの創作かどうか存じませんが、なにか心が
楽になるようなそんな気がしました。
すごく悩んで決断した・・というようなことでもあとで考えると「案ずるより産むが易し」
だった、というケースが私の場合多かったように思います。
株式会社横山工藝 横山国男
:::株式会社横山工藝:::
オリジナル広巾生地の「染の布」 / 布製品へのダイレクトプリント「PriX」
横山国男社長ブログ / はまじい専務ブログ / 制作事例ギャラリー
:::オーダーよさこい屋:::
2008年制作事例 / 簡単オーダーのご紹介 / 「太郎さん・次郎クン」の舞台衣装
よさこい屋店長ものづくり日記 / なおくま店長日記 / 日と月・エチゼンニッキ
人生の岐路においてひとつの道を決断したとき、どのような思いで
下したのでしょうか。
(岡崎塾4期生・東京大学経済学部3年 嘉信由紀さん)
<お答>
大企業のサラリーマンから町工場に転じた私ですが、それが人生の岐路で大きな
決断を要したとの思いはあまり強くなく、思うに「やりたいこと、好きなことができる」
という希望の方が強かったように思います。
その時点では、まだ起業まで思い描いていたかどうかはっきりしませんが、モノを
作る仕事ですから、自分のやりたいようにやるにはいずれ独立開業する時期が
くるだろう、と考えていたと思います。
何でも需要が伸びている時代でしたし、友人たちも次々と会社を興すのを見て
いましたから、恐怖感はなかったのですが、やはりなにより若かったということ
でしょう。今から考えると夢中で寝る時間も惜しんでやりましたが、少しもつらいと
は思いませんでした。
多少の苦労や心配もなかったといえばウソになりますが、なにより周囲の人の
おかげで今日までこれたと感謝しています。
ご質問の趣旨と微妙にズレていますが、要は「正しいか正しくないか」よりも、
「好きか嫌いか」の方が重要で、「好き」なら決断の重みもあまり感じないように
思います。要するに「前しか見てない状態」ですから。
ズレついでに、私の友人(建材商社社長)のブログに素敵な言葉がありましたので
ご紹介します。
友人とは同業の社長さんが、毎月1日にハガキをくださるそうです。3月1日の
ハガキには、
『 行く手がふさがったら、それは別の扉が開くサイン』
愛知県にお住いだという同業社長さんの創作かどうか存じませんが、なにか心が
楽になるようなそんな気がしました。
すごく悩んで決断した・・というようなことでもあとで考えると「案ずるより産むが易し」
だった、というケースが私の場合多かったように思います。
株式会社横山工藝 横山国男
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2009年03月25日(水)更新
日本再生は「零細企業」という呼称をやめること
零細企業の「零細」とは何を指していうのだろうか、と最近考えます。
中小零細企業とか中小・零細企業とか間に・を入れて表示されることもあるようです。
一般には従業員(社員)10名以下の企業や事業所、店舗経営などを「零細企業」
というようです。
思うに従業員数でカテゴリー分けしているようですが、「零細」と言う文字から受け
るイメージは、当然ですがまず零はゼロ、(ゼロです!)、細はホソイ、コマカイ、
→痩せ細る、細々(ほそぼそ)となどロクなイメージが湧いてきません。(細井さん
細田さんゴメンナサイ。苗字のことを言っているわけではありませんので)
いつ頃から使われた言葉か知りませんが、なんとなく戦前の商工省とか、戦後の
通産省あたりが「お上目線」で使い始めたのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、現代では従業員(社員)が5人くらいでも知的な生産活動ですごい売上や
好業績の企業も珍しくありませんし、逆に大企業だってあやしくなってきているとこ
ろも最近は増えてますよね。
「地場産業ルネッサンス」なんていい言葉が生まれてきている時代に、それを支え
再生し発展させようとしている企業に「零細」なんて言葉を使って平気でいるセンス
はおかしいと思います。
これからはますます規模ではなく、企業経営の中身が問われる時代。いいかげん
人の数で分類する「零細」などという言い方はやめたらどうか、と思います。
私も何かの折に「いやー、零細企業ですから」などと言ってしまいますが、人員的
には20名近くいるので「零細」ではないことになります。それよりこの「零細」という
言葉の持つ響きが古くて失礼で嫌だなあ、若い人が敬遠する→大企業志向になる
のに一役かっているのではと思ってしまいます。
まずお役所やマスコミから変えていただけないですかね。
(差別用語として新聞、NHKなどでも一切使用しないようにしてはどうでしょうか。
世の中が明るくなると思います)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これからは自分の口から言うのはやめようと決めました。適当な言葉が今は浮か
びませんのでとりあえず「小企業」でもいいじゃないかと。
コンプライアンスなんて難しい英語もすぐ使う国ですから“スモールカンパニー”
なんてオシャレでいいかも。
自分としては中小企業といわれるより「強小企業」といわ
れるようになりたいと思います。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
中小零細企業とか中小・零細企業とか間に・を入れて表示されることもあるようです。
一般には従業員(社員)10名以下の企業や事業所、店舗経営などを「零細企業」
というようです。
思うに従業員数でカテゴリー分けしているようですが、「零細」と言う文字から受け
るイメージは、当然ですがまず零はゼロ、(ゼロです!)、細はホソイ、コマカイ、
→痩せ細る、細々(ほそぼそ)となどロクなイメージが湧いてきません。(細井さん
細田さんゴメンナサイ。苗字のことを言っているわけではありませんので)
いつ頃から使われた言葉か知りませんが、なんとなく戦前の商工省とか、戦後の
通産省あたりが「お上目線」で使い始めたのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、現代では従業員(社員)が5人くらいでも知的な生産活動ですごい売上や
好業績の企業も珍しくありませんし、逆に大企業だってあやしくなってきているとこ
ろも最近は増えてますよね。
「地場産業ルネッサンス」なんていい言葉が生まれてきている時代に、それを支え
再生し発展させようとしている企業に「零細」なんて言葉を使って平気でいるセンス
はおかしいと思います。
これからはますます規模ではなく、企業経営の中身が問われる時代。いいかげん
人の数で分類する「零細」などという言い方はやめたらどうか、と思います。
私も何かの折に「いやー、零細企業ですから」などと言ってしまいますが、人員的
には20名近くいるので「零細」ではないことになります。それよりこの「零細」という
言葉の持つ響きが古くて失礼で嫌だなあ、若い人が敬遠する→大企業志向になる
のに一役かっているのではと思ってしまいます。
まずお役所やマスコミから変えていただけないですかね。
(差別用語として新聞、NHKなどでも一切使用しないようにしてはどうでしょうか。
世の中が明るくなると思います)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これからは自分の口から言うのはやめようと決めました。適当な言葉が今は浮か
びませんのでとりあえず「小企業」でもいいじゃないかと。
コンプライアンスなんて難しい英語もすぐ使う国ですから“スモールカンパニー”
なんてオシャレでいいかも。
自分としては中小企業といわれるより「強小企業」といわ
れるようになりたいと思います。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
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2009年03月05日(木)更新
「大恐慌」来るなら来てみろ。
今、本屋さんへ行くと「恐慌本」がいっぱい。
その内の一冊「大恐慌入門」(朝倉 慶著 徳間書店)を買って読みましたが、
まえがきにある「ケタ違いのスーパーバブル崩壊を覚悟せよ」「悲劇の幕はまだ
切って落とされたばかり」「デリバティブという“金融ばくち”に熱狂したツケをこれ
から払わされる」などの刺激的な小題が並んでいます。
なんでも彼らがやった「ばくち」の総計は、想定元本で6京円(一億円の一万倍が
一兆円、一兆円の一万倍が一京円)だそうで、これが音を立てて崩れていってる
とのこと。私の勝手な解釈ですが、世界の富の40%くらいが一瞬で吹っ飛んだ
計算になるようです。(もっともそれが「富」だったのかどうか怪しいものですが)
昔「ジャワの東」という映画で、高さ40mくらいの「大津波」が押し寄せてくるシーン
があり、胆をつぶしましたが、まあそんなものではないかとも思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが、あまりにも天文学的な数字のせいか、私自身になにが起こるのか具体的
にイメージできないせいか意外と平静に読了しました。
それより、この間から考えている「何でも60%」になる、する、という思いつきが私を
落ち着かせているのかも知れません。
要するに一度日本人は何でも現在の60%で生きる覚悟をしたらよいのでは、と。
しかもこれはそうトンデモナイコトでもないように思えるのです。
大体が現在の生活は「過剰」ばかりのような気がします。議員の数も行政サービス
も夜間の照明も車の排気量も新聞のページ数も食糧の輸入・廃棄分も休耕田の
面積(農業補助金)も私の摂取カロリーも・・・・・・数え挙げたらキリがありません。
3リッターの車に乗っているのなら1800ccに、1000ccなら600ccの軽に乗る、
十分です。衣食住全般にわたって楽しく4割減を目指したらどうかと思います。
おかげで成人病が減り、国の医療費も60%になるかもしれません。
家だって子供が巣立っていけば日当りのいい40%を文字どおり「ハウス農園」に
すれば野菜などはとても二人では食べきれません。バイオ技術も発達してますし。
とまあ、考えているわけですが、あながち荒唐無稽というわけでもないのです。
日本は南北に長い列島ですし、水もあります。一滴の水もないようにみえる
アラビアの砂漠でもベドウイン族はチャンと暮らしていますから、それに比べれば
恵まれすぎているほどでしょう。
会社の売り上げも現在の60%でやれる体制をつくります。人件費も60%、これは
一見難しいように思えますが、もともと日本人の労働生産性はすごく低いですから
これを1.5倍くらいに高めれば60%にしたことと同じではないでしょうか。
過剰生産するくらいなら、わが社などは駐車場のアスファルトをはがして元の畑に
もどして半農半工、半農半商、社員は家族の食糧を作る、ご近所の高齢者にも分
けてあげる、というのは健康的でグッドアイデアだと思いますが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなことを考えるのは私の世代は食糧難を経験してますし、私などは中学生まで
母親の小さな畑を手伝った記憶がしっかり残っていて、いざとなったら何とかする、
できるという自信がある(と思っている)からかも知れません。
その点都会でお暮らしの皆さんは大変ですぞ。
世界、日本の経済がどうなるかは予想もつきませんが、かって経験したことが
ない場面は一度は避けられないと思っていたほうがよさそうです。
でも、ついこの前まで日本人はそういう暮らしをしていたのです。サラリーマンなど
という職種の就労者は戦前は30%しかいなかったらしいですから。(今は70%)
横山国男
【染型工房 横山工藝】
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その内の一冊「大恐慌入門」(朝倉 慶著 徳間書店)を買って読みましたが、
まえがきにある「ケタ違いのスーパーバブル崩壊を覚悟せよ」「悲劇の幕はまだ
切って落とされたばかり」「デリバティブという“金融ばくち”に熱狂したツケをこれ
から払わされる」などの刺激的な小題が並んでいます。
なんでも彼らがやった「ばくち」の総計は、想定元本で6京円(一億円の一万倍が
一兆円、一兆円の一万倍が一京円)だそうで、これが音を立てて崩れていってる
とのこと。私の勝手な解釈ですが、世界の富の40%くらいが一瞬で吹っ飛んだ
計算になるようです。(もっともそれが「富」だったのかどうか怪しいものですが)
昔「ジャワの東」という映画で、高さ40mくらいの「大津波」が押し寄せてくるシーン
があり、胆をつぶしましたが、まあそんなものではないかとも思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが、あまりにも天文学的な数字のせいか、私自身になにが起こるのか具体的
にイメージできないせいか意外と平静に読了しました。
それより、この間から考えている「何でも60%」になる、する、という思いつきが私を
落ち着かせているのかも知れません。
要するに一度日本人は何でも現在の60%で生きる覚悟をしたらよいのでは、と。
しかもこれはそうトンデモナイコトでもないように思えるのです。
大体が現在の生活は「過剰」ばかりのような気がします。議員の数も行政サービス
も夜間の照明も車の排気量も新聞のページ数も食糧の輸入・廃棄分も休耕田の
面積(農業補助金)も私の摂取カロリーも・・・・・・数え挙げたらキリがありません。
3リッターの車に乗っているのなら1800ccに、1000ccなら600ccの軽に乗る、
十分です。衣食住全般にわたって楽しく4割減を目指したらどうかと思います。
おかげで成人病が減り、国の医療費も60%になるかもしれません。
家だって子供が巣立っていけば日当りのいい40%を文字どおり「ハウス農園」に
すれば野菜などはとても二人では食べきれません。バイオ技術も発達してますし。
とまあ、考えているわけですが、あながち荒唐無稽というわけでもないのです。
日本は南北に長い列島ですし、水もあります。一滴の水もないようにみえる
アラビアの砂漠でもベドウイン族はチャンと暮らしていますから、それに比べれば
恵まれすぎているほどでしょう。
会社の売り上げも現在の60%でやれる体制をつくります。人件費も60%、これは
一見難しいように思えますが、もともと日本人の労働生産性はすごく低いですから
これを1.5倍くらいに高めれば60%にしたことと同じではないでしょうか。
過剰生産するくらいなら、わが社などは駐車場のアスファルトをはがして元の畑に
もどして半農半工、半農半商、社員は家族の食糧を作る、ご近所の高齢者にも分
けてあげる、というのは健康的でグッドアイデアだと思いますが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなことを考えるのは私の世代は食糧難を経験してますし、私などは中学生まで
母親の小さな畑を手伝った記憶がしっかり残っていて、いざとなったら何とかする、
できるという自信がある(と思っている)からかも知れません。
その点都会でお暮らしの皆さんは大変ですぞ。
世界、日本の経済がどうなるかは予想もつきませんが、かって経験したことが
ない場面は一度は避けられないと思っていたほうがよさそうです。
でも、ついこの前まで日本人はそういう暮らしをしていたのです。サラリーマンなど
という職種の就労者は戦前は30%しかいなかったらしいですから。(今は70%)
横山国男
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
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2009年02月23日(月)更新
「撤退」も大事な戦略
『撤退に異常な意味をもたせてしまう何かが、この国(の文化)にはある。と思う』
確かこんな文章をあるブログで読んだ記憶があるのですが、たしかに日本人は
罪ではなく「恥」に重きをおくようなところがあります。
事業を始めたころ、ある政府系金融機関の若手経営者の会があり、その後の
パーティー席上、一人の融資担当者が少し笑いながら話してくれたことを今でも
鮮明に覚えています。
『 「福井は浄土真宗の盛んな土地柄で、人様にご迷惑をかけるのを一番恥と
する。歯をくいしばってでも事業継続、借入返済を一番に考える事業主が多い。
大いに貸付けてもよい」と東京の本部から言われているんですよ』と。
暗に最後はすべてを差し出しても弁済する・・・ともとれる話でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の不況は、第一次石油ショック、ニクソンショックなどを経験済みの私でも
それらとは全然違うと思います。「ガンバロー!!」の精神論などではとても乗り
切れるとは思えません。
いろいろな補助や支援で命脈をつないできた企業が退場を迫られることになり、
否応なく産業構造の転換が起きると思います。
考えてみれば、最後は「竹ヤリ」で国を守ろうとまで真剣に考えた「太平洋戦争」、
精神論がいかに悲劇を長引かせたか、と暗澹とした気持になります。
セフティーネットを張りながら、同時に新しい経済社会へ移行していく決意がそれ
ぞれの事業経営者に求められているのだと思います。
事態が表面化してくるのはこれからだ、と最近周りの経営者と話していてもヒシ
ヒシと感じます。恥だなんて思わず「正しい撤退」も視野に入れて心を落ち着かせ
て対処したいものです。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
確かこんな文章をあるブログで読んだ記憶があるのですが、たしかに日本人は
罪ではなく「恥」に重きをおくようなところがあります。
事業を始めたころ、ある政府系金融機関の若手経営者の会があり、その後の
パーティー席上、一人の融資担当者が少し笑いながら話してくれたことを今でも
鮮明に覚えています。
『 「福井は浄土真宗の盛んな土地柄で、人様にご迷惑をかけるのを一番恥と
する。歯をくいしばってでも事業継続、借入返済を一番に考える事業主が多い。
大いに貸付けてもよい」と東京の本部から言われているんですよ』と。
暗に最後はすべてを差し出しても弁済する・・・ともとれる話でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の不況は、第一次石油ショック、ニクソンショックなどを経験済みの私でも
それらとは全然違うと思います。「ガンバロー!!」の精神論などではとても乗り
切れるとは思えません。
いろいろな補助や支援で命脈をつないできた企業が退場を迫られることになり、
否応なく産業構造の転換が起きると思います。
考えてみれば、最後は「竹ヤリ」で国を守ろうとまで真剣に考えた「太平洋戦争」、
精神論がいかに悲劇を長引かせたか、と暗澹とした気持になります。
セフティーネットを張りながら、同時に新しい経済社会へ移行していく決意がそれ
ぞれの事業経営者に求められているのだと思います。
事態が表面化してくるのはこれからだ、と最近周りの経営者と話していてもヒシ
ヒシと感じます。恥だなんて思わず「正しい撤退」も視野に入れて心を落ち着かせ
て対処したいものです。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
2009年02月04日(水)更新
「目下の一大事」・・禅師の言葉から。
数年前、しばらく講話をお聞きしていた曹洞宗松野宗純老師からいただいた
「近ごろ思うこと」(PHP友の会会員向け)という小冊子を久しぶりに読み返して
いるところです。
「いま、ここ、われ」と題されたエッセイの一部をご紹介します。
『・・「無常を観ずべし」。道元禅師は言われた。世の中のあらゆる現象は、常に
変化している。この事実をしっかり見つめよ、ということだ。
決して人生のはかなさを説いているのではない。むしろとてつもなく前向きな考え
方であり、真理である。
なぜ前向きかといえば、無常を体得するとは、いまをよく生きることにほかならない
からだ。禅の教えをシンプルに表すと「いま、ここ、われ」となるが、それと表裏を
なすのが無常観の体得といえる。
私たちは「いま」を生きていると同時に「ここ」にしか生きられない。そして、こうして
いる間にも、刻一刻と時は過ぎていく。だから昨日を悔い、明日に不安を持つ前に
「いま」を充実させることが先決で、それが実り多き人生の足跡となる。
すなわち、いまとりくまなければならない仕事があれば、それに打ち込むことだ。
食べるときは食べ、眠るときは眠ることを目下の一大事とするのである。
無常の中に生かされていることを知り、「いま、ここ、われ」を楽しむ。それが心を
養う秘訣だ。』
どうでしょうか。頭では理解できてもなかなかこのような心境に達するのは難しい
ものですね。しかしすべてのものが移ろいゆき変化していく、その変化の中から
また新しいものが生れてくる。・・・とゆったり考えればよいのではないでしょうか。
「百年に一度云々」といわれるような、経営する人にも、そこで働く人にとっても
不安な昨今、老年にさしかかるある時期、こういうお話が聞けたことは私にとって
得難いことの一つだったと思っています。
横山国男
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
「近ごろ思うこと」(PHP友の会会員向け)という小冊子を久しぶりに読み返して
いるところです。
「いま、ここ、われ」と題されたエッセイの一部をご紹介します。
『・・「無常を観ずべし」。道元禅師は言われた。世の中のあらゆる現象は、常に
変化している。この事実をしっかり見つめよ、ということだ。
決して人生のはかなさを説いているのではない。むしろとてつもなく前向きな考え
方であり、真理である。
なぜ前向きかといえば、無常を体得するとは、いまをよく生きることにほかならない
からだ。禅の教えをシンプルに表すと「いま、ここ、われ」となるが、それと表裏を
なすのが無常観の体得といえる。
私たちは「いま」を生きていると同時に「ここ」にしか生きられない。そして、こうして
いる間にも、刻一刻と時は過ぎていく。だから昨日を悔い、明日に不安を持つ前に
「いま」を充実させることが先決で、それが実り多き人生の足跡となる。
すなわち、いまとりくまなければならない仕事があれば、それに打ち込むことだ。
食べるときは食べ、眠るときは眠ることを目下の一大事とするのである。
無常の中に生かされていることを知り、「いま、ここ、われ」を楽しむ。それが心を
養う秘訣だ。』
どうでしょうか。頭では理解できてもなかなかこのような心境に達するのは難しい
ものですね。しかしすべてのものが移ろいゆき変化していく、その変化の中から
また新しいものが生れてくる。・・・とゆったり考えればよいのではないでしょうか。
「百年に一度云々」といわれるような、経営する人にも、そこで働く人にとっても
不安な昨今、老年にさしかかるある時期、こういうお話が聞けたことは私にとって
得難いことの一つだったと思っています。
横山国男
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