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2009年08月24日(月)更新

心暖まるお葬式(台湾・高雄)

前回のブログで、大変尊敬しお世話になった台湾のS先生が11日に亡くなられ、
22日(土)の葬儀・告別式に家内と共に、急きょ台湾の南端高雄市まで弔問に
向かうことを書きました。

21日(金)の午前6時に福井駅を立ち、昨23日(日)丁度深夜12時に帰宅し
ました。一直線に南下し、北上して往復5000キロに近いと思われる旅でした。

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S先生(享年86歳)は、10年ほど前、ご子息のおすすめで洗礼を受けられたとの
ことで、お別れの式は高雄市の大きなカトリック教会にて行われました。
10数名のお孫さんたちが次々と「賛美歌」を歌われ、厳粛な中にも「心暖まる」
印象的なお見送りでした。

日本統治時代、少年兵としての凛々しい訓練姿や学生時代(東洋大学哲学科)
のスナップ、戦後台湾復興に高雄市議として7期連続当選を果たし、国政にも
影響を与えたといわれる熱弁を奮うお写真などが式場で流されましたが、なに
よりたくさんのお孫さんに取り囲まれている晩年のご夫妻のおだやかな笑顔が
私には心に残りました。

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「遠く日本からお別れに」ということでしょうか、遺族、ご親戚とともに最後のお顔
拝見もさせていただき、南国の花の一片を棺に入れされていただきました。

続いて階上での盛大な「告別式」の最後には、姉妹クラブ「高雄東南ロータリー
クラブ」の現会長、会員代表数名、地区ガバナーが「ロータリークラブ旗」で棺を
覆う儀式があり、皆さんが初代会長のS先生とお別れしました。

ロータリークラブ旗で棺を覆うロータリアン

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ご多忙中、我々夫婦の参列を喜んでいただき、前夜の夕食会、翌日葬儀後の
昼餐、送迎などお世話いただいた姉妹クラブの多くのメンバーの皆さんからの
「ロータリアンの友情」に感謝しております。

「福井西ロータリークラブ」の現会長としては勿論、個人的にもS先生とのお別れが
できて心に充ち溢れるものがあり、さらに50年ぶりとも言われる南台湾高雄地区
の風水害に対する「お見舞い」の役目も果たせまして、ホッとしているところです。

姉妹クラブへのお見舞い金の贈呈


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2009年08月20日(木)更新

「尊敬する人の死」・・台湾高雄市での告別式へ。

生涯では何人かの「師」と仰ぐ、あるいは「尊敬できる人」にお会いできます。
「我以外みな師」という謙虚な心構えを持てれば最高ですが、なかなか出来るもの
でもありません。凡人のままでいる所以でしょうか。

私の所属するロータリークラブと30年近い姉妹クラブの関係にある台湾高雄市の
ロータリークラブの初代会長を勤められたSさんが亡くなられました。85歳でした。
現在私が会長を務めていることもありますが、訃報に接し、22日に行われる葬儀
に夫婦で参列することを即決めました。

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Sさんとの出会いは10年ほど前、クラブの20周年記念式典への出席招請のため
に来日された際、当時クラブ幹事だった私が設けた宴席でのことでした。

50名ほどが集まった大広間で、Sさんがご挨拶をされた姿、声は今でも強く印象
に残っています。 その後訪台する度親しくしていただくきっかけとなりました。

Sさんは日本で大学教育を受けた台湾人で、戦後は李登輝元総統の側近として
ご活躍されたようですが、驚いたのは「正座の姿の美しさ」と「流暢できちんとした
日本語」を話されたことです。

はじめは最近の我々の周囲で聴く日常の日本語と少し違う感じがありましたが、
「ああ、これが戦前の日本で話されていた日本語なんだ」と気が付きました。
戦後は台湾でずっとお暮らしになっていましたから、日本語の変容とは無縁なの
です。

長身痩躯で古武士の風格、ゆっくりとしたきれいな日本語、ユーモアのセンスに
富んだお話など、どれも私にとっては「衝撃」で、素晴らしい人だな、といっぺんに
「私の尊敬する人」になってしまいました。

その後の何度かの訪台では、Sさんにお会いできることが楽しみで、家内ともども
一緒に食事をさせていただいたこともあり、佳い思い出となりました。
『 一日遅れで日本の全国紙数紙を読んでいますよ 』とおっしゃって、スポーツ
や芸能の話題までジョークを交えてお話になりましたが、政治的なことを話題に
されたことはありませんでした。

折から、50年ぶりとも報道されている南台湾の「台風8号被害」、高雄県の小林村
では500人もの人が土石流で生き埋めになっているとの報道もあり、葬儀参列と
ともに姉妹クラブへの「お見舞い」の役目も加わりました。

晩年まで「高雄市行政府顧問」の肩書をお持ちだったので大きな葬儀が執り行わ
れるのでしょう。

ともあれ、私が知っているSさんは「今の日本人より日本人らしい台湾人」として、
いつまでも私の心に残ると思います。  明21日朝出発の予定です。


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2009年08月17日(月)更新

二人の少年(孫たち)がご帰還

3週間ぶりに小5と小1の二人の孫(男)が、娘婿の実家がある横浜から帰ってきま
した。上は3年生くらいから一人で小松から毎夏一人で飛行機に乗り、羽田で祖父
母に迎えに出てもらっていました。

ものおじしないので「スチュワーデスさんとお話して楽しかったァ」などと、こちらを
うらやましがらせていましたが、今夏から次男も一緒に夏休みに入るとうれしそう
にリュックをかついで出発していきました。

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久し振りに見るとなんだか大きくなったようにも見え、特に次男は途中ちょっと
ホームシックもあったように聞きましたが、心なしかたくましくなったようにも思え
ます。

いろいろ田舎では経験できないところへも連れていってもらったようで、お世話を
かけましたが、長年絵を描いているお祖母さんからいろいろアドバイスをもらって
「夏休みの宿題=絵」を完成した、と言って早速見せてくれました。


長男の絵:ドアがテーマだそう。 次男の絵:遠近・大小・図形がしっかりしている?

どちらも大判の画用紙いっぱいに、絵の具を十分に使っているので「おお、いい
絵を描いたね」と褒めてやりましたが、ジジバカというもんでしょう。

幼児に「遠足の思い出を描いて」と言ったら、画用紙の中央に小さい▲しか描いて
いないので「これは?」と聞くと「おむすび」と答えたという新聞記事があり、「絵」は
子供の心象を現すものとして専門家が分析をしていたものを以前読んだことが
あります。
それでもいつもは仕事でいないお母さんと一緒に食べた「おむすび」が、なにより
この子の心に一番強く残っていたんだろうか、などと想像しました。

何を見ても何をしても、毎日新しい経験が心と身体に吸収されていく少年時代。
のびのびとした記憶に残る「夏休み」をおくらせてやりたいものです。


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2009年08月14日(金)更新

シーマンシップ ・・「鬼畜米英」って誰が作ったの。

「太平洋戦争」というような大きな出来事でも、その時いくつだったか、またどこに
住み、どんな環境にあったかで受け止め方はずいぶん違うものだと、あらためて
思います。

終戦時、私は3歳でしたから、まだ生まれていないに等しく、あの時どうだったか
などという話は聞くか読むか映像で見るしかありません。

昨日からのお盆休みに「くりま 9月号 半藤一利が見た昭和」(文藝春秋増刊)を
読んで、戦時の、特に戦争に関わった人たちについて興味深く読ませてもらいました。

人は過ちを犯すものだということ、ゆえに二度と戦争をしてはならない、と再確認
することは大切ですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日読んだ月遅れの「文藝春秋8月号」。 作家池上 司さんの
『 戦争から六十年あまりが過ぎた今日こそ、あの苦難の時代の中で日本人が
いかに生きたかを、遅まきながら確認するべき時なのだと考える。
私は、そうしたいまだ語られぬ人々の代表のつもりで、三人の艦長について記して
みた。』 と文末にある、“米英を畏怖させた「三人の艦長」・・名指揮官の物語”
を読み、次のエピソードには胸が熱くなり、思わず寝ころんで読んでいたので恥ず
かしい思いをしました。

=================

昭和17年2月27日から3月1日にかけてのジャワ近海での連合軍との激しい
海戦は、日本海軍の圧勝で連合軍艦船はほぼ壊滅の状況(スラバヤ沖海戦)。

海戦が終了した後、工藤俊作艦長指揮する駆逐艦「雷(いかずち)」は、敵潜水艦
の警報のある中、残敵の掃討戦を命じられます。多数の浮遊物が400人以上の
敵兵であるとの報告をうけた艦長は、迷わず「敵兵救助!」の命を下します。

<以下本文引用・一部省略>

『 船が沈むと燃料タンクから重油が漏れ、海は一面真黒になる。当然漂流者は
全身真っ黒だが、厄介なのはそれだけではない。漂流中に重油を飲んでしまう
のだ。そうなると、時には死に至るほどのひどい下痢が待っている。漂流者を引き
揚げた甲板は、重油と排泄物の臭いが充満した。(略)
「雷」の甲板上に揚げられた英国将兵には、直ちに水と食料が与えられた。
また、油や汚物にまみれた彼らを「雷」乗組員は丁寧にアルコールと木綿の布で
拭き、艦内にあった衣類を全員に支給した。

このとき「雷」が救助した英軍将兵は、実に422名に上った。「雷」の乗員が220
名であるから、その倍近い敵将兵を救助したことになる。
(軍艦なので救助用のスペースなどなく、青年士官の一人が「艦長は何を考えて
おられるのだ、俺たちは戦争をしに来ているのだ」と言ったという証言も残っている)

しかし、工藤はそうは考えなかった。救助作業が一段落した後、工藤は英軍士官
を前甲板に集合させるように命じた。 艦橋から降りてきた工藤は、英軍士官に
挙手の敬礼をすると、流暢な英語で語りかけた。
「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本帝国海軍の名誉あるゲストである」

この言葉は、英軍士官の胸を打った。のちにフォール卿は、「私の人生最高の
師は、日本帝国海軍中佐工藤俊作である。私は彼によって命を救われたばかり
か、『武士道』というものを学ぶことができた」と語っている。

海軍の場合、船が沈んでしまえばもうこれ以上戦いようがない。勝ち負けが明快
な分、敗者に対して情けをかける、というのが、古来、シーマンシップとされてきた。
日本海軍では、武士道の精神の延長上として、シーマンシップが伝統的に重んじ
られ、海軍兵学校でも、終戦のその日まで徹底して教えられてきたのである。』

====================

極限状況(戦争)の中で、「人が人であること」を失わずにいられるだろうか・・
自信がありません。

同様の洋画の名作も思い出しました。ドイツ潜水艦(艦長役はクルト・ユルゲンス)
とアメリカ駆逐艦(艦長役はロバート・ミッチャム)との死闘を描いた「眼下の敵」。
素晴らしいラストシーンは、たとえ映画であれ「人としてどうあるべきか」をまだ
中学生だった私に教えてくれた映画の一本でした。

明日8月15日は「終戦記念日」です。


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2009年08月12日(水)更新

「これはだめかもわからんね。」・・JAL123便機長の最後の言葉。

今日8月12日は、24年前、乗員・乗客524名を乗せた日航ボーイング747機が
御巣鷹山に墜落した日。生存者はわずかに4名でした。
現在でも単独では世界の航空事故史上最大の犠牲者数で、胸が痛みます。

「これはだめかもわからんね。」・・墜落10分前に機長が残した言葉がフライトレコ
ーダーに記録され残っています。

離陸12分後の相模湾上空で垂直尾翼を失い、その後の32分間、全知全能を
傾けて機長は524人のためにあらゆる手だてを試みたに違いありません。

パイロットとしての誇りと、何重にも施されている「フェイルセーフシステム」への
信頼、そして何より「飛行機が好き」でこの仕事を選んだ人間として、「恐怖感」と
いうものは無かったのではないかと想像します。

ただただなんとしても「無事に着陸させる」・・それだけではなかったかと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これはだめかもわからんね。」・・機長の無念の思いがこの言葉に凝縮している
ように思えてなりません。
最後の一瞬、去来したのは愛する家族の顔だったのでしょうか。

毎年この日は、全ての犠牲者を追悼し、「人間と科学技術を考える日」にしたいと
思っています。


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