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2008年04月23日(水)更新

「相撲甚句」と「木遣りくずし」それにヒット中「男の偲び酒」

友人のてんぷら屋さんを経営するT君が、お店を会場にして先夜ライブを開きまし
た。 3年前から本格的に「演歌」を猛勉強、今では作詞もやってシンガーソング
ライターというわけです。

当夜の聴衆はほとんどが中高年ばかり、知り合いのご夫婦の顔も多く見えます。
大半は天ぷらを食べに行って、T君から「席を用意しておきますから」と言われて
咄嗟に欠席の言い訳をおもいつかなかった(と思われる?)40名ほどの皆さん。

が、なかなかどうして高音部に独特のサビがあって、「うまいもんだなー」と思い
ました。途中、自作の歌詞を忘れて目の前にいた私が急いでプリントを渡した
のもご愛嬌。その「男の偲び酒」は当地有線でもリクエストが増えているそうです
から、そのうち「文化会館」でのステージを楽しみにしてますよ。

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「前回は12曲も持ち歌を歌って客からヒンシュクを買ったので」(T君本人の弁)
今回は他のプログラムも、ということだそうで、友情出演が3つ。

①「相撲甚句」 ②「三味線と小唄、端唄、俗曲など」 ③今や関西エリアに一人
しかいない(東京でも4人)といわれる「太鼓持(幇間)の芸」。

① 「相撲甚句」を聞くのはなんと半世紀ぶり。小学生のころ大相撲の地方巡業が
近くの公園であると、父が連れていってくれましたが、若い力士6~7人が土俵の
周囲に立って「相撲甚句」(甚句形式とは本来7775の歌詞)を唄いましたが、
あの独特の節回しと手拍子、「ハァー ドスコイ ドスコイ」は今も耳に残っています。

 デーモン小暮閣下は「相撲甚句」のCDまで出しているそうですが、「花づくし」
「山づくし」「出世かがみ」など有名な甚句がある中、「ご祝儀結婚」は歌詞が良く、
先日の当社専務子息の結婚披露宴などでこれを唄ったら、拙いスピーチ(汗)より
よほど拍手喝采だったかも。(歌詞を最後に掲載しておきます)

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② 相撲甚句も邦楽ですが、中高生の頃「民謡」にはまって、全国の正調民謡を
大御所「町田嘉章」さんの解説付「ソノシート(いわばビニール製レコード)」を擦り
切れるまで聞いた記憶があります。その中にはいくつかの甚句もありました。

邦楽といえば、ややお年を召されてはいましたが、美形の三味線のお師匠さんが、
長唄の名曲などをご披露のあと、「ではちょっとくだけてにぎやかに“木遣りくずし”
でも」と言われたので、「おおっ、出たぁ」と嬉しくなりました。

「木遣りくずし」は私が短いサラリーマン生活をおくった商社の横浜支店の「部歌」
だったのです。いつも宴会の始まりに部長の先導で全員で唄うとスイッチが入る
ような感じがしたものです。“部歌”みたいなものは今の時代だからこそいいかも
しれません

あのころは会社のエライサンになると、「3ゴ」といって「小唄・碁・ゴルフ」を嗜むの
が教養というか粋とされていました。  部長もベッピンのお師匠さんのところへ
せっせとお稽古に通われたのでしょう。「木遣りくずし」は俗曲といわれるジャンル
に入るようです。

土曜日は半ドン、袋にいれたゴルフのドライバー1本を片手に持ち(午後は日曜日
のゴルフに備えて練習だったのでしょうか)ニューヨーク帰りでパナマ帽を少し斜め
にかぶり、東横線の綱島あたりからおそいご出勤でしたが、カッコよかったし、なに
より昨今と違ってゆったりとした時代だったんですね。

昭和へタイムスリップしたような一夜でしたが、さらに森繁久弥、三木のり平の
抱腹絶倒コンビが東宝映画「社長シリーズ」などで見せた芸のルーツの一つは
これではないか、という「太鼓持(幇間)」については次回に。

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      相撲甚句 「ご祝儀結婚」 作者不詳

         (ハァー ドスコイ ドスコイ)
     ♪ハァーエー
         (ハァー ドスコイ ドスコイ)
     めでためでたの 若松さま ヨー
        (ハァー ドスコイ ドスコイ)
     ハァー 真砂高砂 御席は
       この度ご縁が ありまして
       00(新郎の姓)00(新婦の姓) ご両家が
       深い契りの ご婚礼
       松竹梅に 彩られ
       00君には 00さん(新郎新婦の名前)
       お若い二人が 結ばれて
       両家も千秋 万々歳
       福寿の宴(うたげ)は ご親族
       お友達やら 皆様の
       心からなる ご祝辞に
       鶴は千年 亀万年
       永い人生 末広の
       いついつまでもの 幸せを
       挙げて お祝い ヨーホホホイ
       ハァー 申します ヨー
           (ハァー ドスコイ ドスコイ)

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2007年12月27日(木)更新

歌謡曲の時代とは。

NHKの年末恒例「紅白歌合戦」をあまり視なくなってどのくらいになるでしょうか。
勿論、私だけでなく、かって60%を超える視聴率を記録した時代から、現在30%
が守れるかどうか、という全国的な傾向ですから、「廃止論」まで出てくるのも
不思議ではありませんが、それでもNHKは記念すべき60回に向けて、「歌力
(うたじから)」と称して挽回に向けて必死のようです。

「歌謡曲」については、昭和と平成で何が変わったのか、という分析でどなたかが、
昭和は「時代」を歌い、平成は「私」を歌うようになった、と仰られてなるほどと思い
ましたが、今年などは「千の風になって」などがヒットしたのをみると、さらに死後の
世界にまで及んで、なにか日本(日本人)が変質しつつあるのだろうか、などと
ひょっとしたら頓珍漢なことまで考えてしまいます。

今年8月、5000曲を超すヒット曲を作詞し、小説、エッセーなどでも類稀な才能を
お持ちだった阿久悠さんが70歳で他界されました。
ヒット曲のタイトルをサラッと見ても、「えっ、これも阿久悠なの?」と、あらためて
驚かされますが、あの頃小さかった娘たちが「ペッパー警部」などを身振り手振り
を交えて歌っていた我が家の光景が思い出され、自身も起業間もなくで猛烈に走
り回っていた時代だったなー、と感慨を覚えます。ともかく日本全体を熱気のような
ものが覆っていたように思います。

「歌謡曲は時代を食って巨大化する妖怪である」と阿久悠さんは述べたそうです
が、来年は平成も20年、元年の頃は想像もできなかた「マルチメディア」の時代
にあって、これからはどのような「歌謡曲」が生まれてくるのでしょうか。

阿久悠著「歌謡曲の時代ー歌もよう人もよう」(新潮文庫 @500-)を注文しま
した。

横山国男

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2007年11月06日(火)更新

ホセ・カレーラスを聴きました

3日(文化の日)金沢の石川県立音楽堂で三大テノールの一人「ホセ・カレーラス」を
聴くことができました。(10・31東京、11・10大阪)
確か3ヶ月ほど前にチケットを買いましたが、この間にパヴァロッティが亡くなりました。

オペラが大好き、オペラに詳しいという方は大勢おられますが、地方に住んでいると
オペラの公演などは極めて少ないもので、私のオペラ原体験は、中学生のころ、
「労音」で市の公会堂で見た(聴いた)藤原歌劇団の「椿姫」(主演大谷きよ子)
だったと思いますが、その後ほとんど鑑賞の機会がないまま今日に至っています。

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それでもあの「ルチアーノ・パヴァロッティ」の魅力はすごいものがあって、いつかCDも
買い、TVのワールドカップ「三大テノール」公演、トリノ冬季五輪の「トゥーランドット」
の歌唱など印象的でしたが、残念ながら今年の9月6日亡くなってしまい、カレーラス、
プラシド・ドミンゴとの「三大」は崩れてしまって、テノールの一つの時代が終わったと
いう方もおられます。

私の尊敬するブロガー(ご趣味は声楽)によりますと、ルチアーノはあの立派な体格が
楽器となってハイCといわれる高音も余裕をもって、しかも美しい声で歌える稀有の
テノールなんだそうですが、私はオペラのアリアより、彼の「カンツォーネ」の方が大好きな
一人です。(3日は東京芝・増上寺大殿内で”パヴァロッティ追悼公演”も行われたようです)

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「ホセ・カレーラス」を一口でいうと、「端正」だと思いました。

ドミンゴと同じスペイン生まれのようですが、見た感じでも三人三様でそこがまた魅力
だったのでしょう。

「ベル・エポック」と題したプログラムで20曲近く、言葉が分かりませんが、「端正」な
声とスタイルで魅了し、満員の聴衆から「スタンディングオベーション」のアンコールが
ナント4回も繰り返されて素晴らしいコンサートでした。

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先ほどのブロガーさんから、「音楽は生で聴くに限ります。生だけが音楽という考え方も
出来ます。よく料理などで手作りを評価しますが、それと相通じる面があります」と
教えていただいて、出来るだけ多くの生で聴く機会をこれからも得たいものと再認識した
一夜でした。

チラシ

横山国男

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2006年12月10日(日)更新

京の年中行事―吉例顔見世を観る

幸運にも師走の京の風物詩といわれる「南座の顔見世興行」を
観る機会を頂き、週末夫婦で参りました。

去年から続いている十八代中村勘三郎の襲名披露の掉尾を
飾る興行でもあり、人気役者の勘九郎の雰囲気も手伝って
「南座」も今年は一層華やいだ感じがあるようです。

まねき

「中村勘三郎」のまねきが上がるのは20年ぶりとか。
そういえば以前に「顔見世」を観たことがあって、10年ほど
経つような気がしていましたが、家内がそのときのプログラム
を持っていて「當る辰歳」とあるのは19年前の辰年である
ことがわかり、「えーっ、そんなに経つのか」と思わず
“光陰矢の如し”を実感してしまいました。

パンフ2冊

しかしそれはちっぽけな人間の話。上のパンフを見ても20年間
体裁が変わっていないのにあらためて驚きますが、変化の烈しい
時代に在って「京都」が持っているものにますます多くの人が
惹きつけられるのもよくわかります。

1603年、四條河原で“出雲の阿国”が歌舞伎踊りをして以来
4百年、七座の内ただひとつ発祥の地に生き続ける「南座」は
洛中屈指の名所でもありますが、19年前は座席が狭く、身を
縮めて長時間の観劇に耐えた記憶があります。

それも今は平成の大改装で内部はすっかりラグジュアリーに。
天井の照明なども「和モダン」といった趣です。

内部座席


南座天井

新勘三郎の演目(夜の部)は美しい舞踊劇「京鹿子娘道成寺」。
歌舞伎にうとい私でも、あの絢爛豪華な衣装、喜怒哀楽の目の
演技、そして鍛え抜かれた末の柔らかな身体の使い方の素晴らしさ
には興奮して見とれてしまいます。

のけ反ったまま微動だにしない所作のところでは、思わず傍らの
家内に「イナバウアーやね」と言って笑われました。

イナバウアーなどといいましたが、このような自由闊達な物言い
が許されるのも歌舞伎のよいところ。
「口上」でも居並ぶ役者さんが、勘九郎時代の「やんちゃ」を
おもしろおかしく延べられ「・・よろしく御願い申し上げ奉り
まする」などと平伏して、観客をドッと笑わせておりました。
お客とのコミュニケーションの妙が4百年歌舞伎を続けさせて
きたのでしょう。

対して私の大好きな「能楽」は「抑制、そぎ落としの美」。
衣装以外は徹底的に簡略化の極致で、これはこれで見る人、
聴く人の想像力を豊かにさせるもの。
幕間に「狂言」が演じられることも多いので、歌舞伎のように
一杯飲みながらにぎやかに「お弁当」などということもあり
ません。哲学的でいかにも武家の芸能です。

どちらも素晴らしい日本の伝統芸能、特急なら1時間あまりの
「京都」に近い福井に住んでいる幸せを感じるときです。



横山国男
http://www.yosakoiya.jp/
http://www.echi-zen-art.co.jp/

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