大きくする 標準 小さくする
前ページ

2008年09月29日(月)更新

心友。

先日、一泊で中学校のクラス会がありました。卒業50年となり感慨もひとしお、
皆それぞれいい歳になりました。
会に先立ち、亡くなられた二人の担任の先生と級友8名へ黙祷しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

秋の夜長、多くの友人の中から、一人の本当に長いつきあいの「親友」というより、
「心友」のことを考えています。

彼とは小学校一年で同級となり、2度のクラス替えでもそのまま6年一緒でした。
すぐ上の姉同士が同級だった関係もあって仲良くしていましたが、以来60年近く
経った今でもそのまんまの気分です。

「友」とは志を同じくするもの、「朋」は机を並べた学友を指すそうですが、私には
同じこと、「遠方より来る 亦楽しからずや」というより、今でも近所なのですが。

いつも彼が来るのを心待ちにしています。会えば私の方が7割くらいいろいろな
話題を投げかけますが、彼は「それは違う」という言い方をあまりしません。
 「こういう見方もできるかも」「こんな話もあるぞ」という話し方をします。
 要するに私より大人なんですね。

互いに好きな建築、美術の話から、環境、エコ、教育、旅行そして社会問題など
話題はあちこちに飛びます。 あっという間に時間が経ち、彼も時計を見てそぞろ
席を立つのですが、話は尽きず、車のドアを開けながらまだオシャベリ続行の時も
あります。互いに忙しい身、話したいことが山積しているのを久しぶりに放出する
わけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

30年前、業種は違いますが、互いに一部出資者となって会社を設立しました。
しかしそのことは全く忘れてしまっています。なんとか共に無事経営を続けてこれ
たからかも知れませんが。(彼は最近身内でない専務に承継しました)。
しかし、仮にどちらかに何かあっても「親友・心友」でいられた自信もあります。

私は会社をスタートしてしばらくして、土地、建物、設備に多額の借入をしました。
カナイに「僕に何かあった時には、全て(権利書、預金通帳、印鑑、帳簿、借金
 の明細など一切合財)を持って彼のところへ相談に行くこと」と命じました。
(彼は知りませんが)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この話は私たち夫婦だけの間の約束事として終わるつもりでしたが、事業を承継
して永続させていくと決意した娘たちに「真の友人は心の栄養になり、安心を与え
てくれるもんだよ」と言ってあげたい気がしたものですから。

当時、私の指示を聞いたカナイは「いい友達がいてうらやましいわ」と言ったように
記憶してます。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年09月26日(金)更新

荻須高徳コレクション展を観る。

地元デパートから「荻須高徳 秘蔵のコレクション展」の案内があったので、カナイ
と昼食をかねて観に。
油絵、水彩、リトグラフ、デッサンなど40点あまり、大好きな画家の一人なので、
とてもハッピーな時間を過ごしました。

 “金のかたつむり” 荻須記念美術館蔵  “ノワルムーチェの風車” 荻須記念美術館蔵

 荻須高徳(1901年愛知県稲沢市生れ~1986年パリで死去)は、東京美術
学校(現藝大)へ進み、師は藤島武二、同級生に小磯良平、渡仏後は佐伯祐三
の親友として彼の死にも立ち会ったようです。フォーブ(野獣派)のブラマンク、
ユトリロなどの影響を強く受け、後年は独自の画風を確立しましたが、画業活動の
ほとんどをパリで行い、1956年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を、
1986年(昭和61年)には、文化勲章も受章しました(没時追贈)。

上記した画家たちとその作風は、私の最も好むところですが、中でも荻須の描き
続けたパリやベニスの街角、お店など、建物や街頭の風景には強く惹かれ、趣味
の水彩画を描く時でも頭のどこかでチラチラします。

もう一つ、私の中の荻須高徳は、画家にありがちな奔放な感じがなく、いつも髪を
きちんと分け、仕立ての良いシャツとスーツを身に着けたネクタイ姿やツイードの
オーバーコート姿など、多くはパイプを口にして、とてもお洒落な人、日本人には
少ない大人の男、国際派という印象があります(白洲次郎などもその口ですね)。
長いパリでの生活が醸し出す雰囲気もあるのでしょうが、ちょっと日本人離れした
風貌と寡黙な印象で、そのクールな老ダンディーぶりには憧れてしまいます。

荻須高徳

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コレクションはリトグラフ(石版画)が大半なのですが、中にE.A.(作家保存版)の
サインのものが多いので、売り場の人に尋ねると、先年パリで亡くなられた夫人
の関係筋から出たものが多いとのこと、荻須が制作中に急死したため遺作の
リトグラフ制作は夫人が監督し、番号や署名判、アトリエ印も美代子夫人が押し
たものが多く含まれている、とのことでした。

15号の油彩が2点。パリの街角を描いたとてもいいもので、しばらく立ち止まって
じっくり見せてもらいましたが、お値段はともに3990万円。別世界の話なので
格別驚きもしませんが、クリスティーズなど海外のオークションなどではどれほど
の値がつくのだろうか、と一瞬下世話なことを考えてしまいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この11月22日から12月14日まで、愛知県稲沢市にある「荻須記念美術館」で、
市制50周年・開館25周年を記念して、「荻須高徳展」が開かれるようです。
常設展示品、収蔵品の他に、遺族、所蔵家からも作品が寄せられるようですから、
ぜひ観にいきたいと今からワクワクしています。


横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年09月25日(木)更新

川奈ホテル&ゴルフコース

連休を利用して、かねてから「行ってみたい」との友人夫婦2組と川奈ホテルへ。
毎年米国のゴルフ誌が選ぶ「世界ベスト100コース」の50位前後を常にキープ
しているゴルファー憧れの名コースです。(他には廣野、鳴尾の両コースくらい)。

大島コース(1928開場)富士コース(1937開場)の36ホールで、今年は「大島
コース開場80周年記念」ということで、格安のパックが用意された幸運をキャッチ。
ホテル開業は1936年ですから、ゴルフコースが先にできたわけですが、アリソン
が設計した富士コースは、9年後、ホテルとほぼ同時期に完成したことになります。

創設者大倉喜八郎(男爵)は、大倉財閥の設立者としても、政商としても有名です
が、川奈ホテルの他に、帝国ホテル、ホテルオークラ、大成建設、富士銀行など
名の知れたところでも20数社の設立または設立に関与し、建築関係でも鹿鳴館、
帝国劇場、大倉山ジャンプ競技場など枚挙にいとまがありません。
ただ、喜八郎は1928年4月、大島コースの開場を目前にして90歳で亡くなりまし
たから、さぞ残念だったでしょう。あとは兄の喜七郎が継ぐことになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大島の方は初めて回りましたが、聞きしに勝る難コース。経営が西武グループに
移ってカートを導入したので、今は我々熟年組でも苦にせずプレー出来ますが、
高低差30~50mもあろうかという打ち上げ、打ち下ろしもあり、当時はゴルフと
山登りを同時に味わうことになったのでは、と昔の人の健脚ぶりが偲ばれます。

夕食のあと、支配人と思しき方と「ゴルフ談議」を楽しみましたが、「30年前の若い
頃でも、夏の大島コースのキャディは本当に大変でした。14番Hに“見返り坂”と
愛称がつけられていますが、やれやれやっと14番まできたか、とお客様もキャディ
も見返りましたことから、その名がつけられたと聞いております」。(談)

当時は重機(ブルドーザー)もなく、設計家大谷光明指揮のもと、ほとんどモッコと
荷車くらいで手作りみたいなものでしょうから、山を崩すなどということはどだい無
理だったでしょう。近代ゴルフコースの設計理念では、ピンがティから見えるホール
が18Hのうち少なくとも12~14H、ハザード(バンカー、池)の位置が視認でき、
極端な打ち上げ、打ち下ろしが無いというのが定理でしょうから、そういう観点から
は全く外れています。しかし黎明期の日本のゴルフコースとして、今なおほぼ原型
を維持しているのは日本のゴルフ史上貴重な文化遺産コースだと思われます。

富士コースは本当に素晴らしいものです。相模灘と霊峰富士をのぞむロケーション
にも感動しますが、火山灰地と思われる表土に、こんなに美しい高麗芝のコースが
維持管理され、その設計の巧みさとともにおそらく「東洋一」と評されるのには、
誰も異論がないでしょう。大袈裟でなくゴルファーならここでプレーできる幸せを感じ
ると思います。 同行した友人たちも帰りの新幹線でも感激冷めやらぬといった
風情、あれこれの話題でスコアのことなどは二の次でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

川奈ホテルのロビーは、建築当初の面影をそのまま残しているようで、その重厚な
和洋混淆の造りは素晴らしいものですが、ソファーや日本画の大作の傷みもあり、
機能面からもいずれは手を入れることになるでしょう。

また、ゴルフコースのスタートハウスへ通ずる中庭に面した南欧風の「回廊」は、
8c角ほどの木口を見せたウッドブロックが敷き詰められていて、長く続く白い
アーチとマッチして本当に美しく、建築家のどなたかも激賞していましたが、多く
の名選手がここを通って、と思うと自然と今からのプレーへの高揚感みたいな
ものを、帰りには美しいグリーンでのあの難しいパットを思い出し、ウッドブロック
の優しい感触を足裏に感じながら、再び川奈に来れた喜びを感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

70年前、大倉喜七郎が出身地である新潟県妙高高原に作った「赤倉観光ホテル」
はスキーのメッカとして有名ですが、バブル崩壊でやはりここも経営が変わりました。
 昨年9月に訪れたこの「ノスタルジックホテル」、井上誠一設計のゴルフコースも
健在です。シミ一つない純白の本麻のテーブルクロスにナフキン、丁重であっても
慇懃ではない、微笑みを絶やさないプロフエッショナルなウエイターがサーブする
レストランは「超」をつけてもよいと思うほど。静謐さを保った上質のホテルとして
川奈ホテルとともに「古き良き時代」を彷彿させてくれます。

しかし文字通り日本の近代化、西欧文化への憧れを体現したとも言えるこのよう
なホテルも、バブルに翻弄され、ノスタルジーだけで生き残っていくのは容易では
ない時代になったような気がします。

今日は、「日本ゴルフコース設計者協会」の協力会員としての、ウンチクを語って
しまいました。


横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年09月21日(日)更新

年収2000万円の人と600万円の人の時間の使い方の違い。

9月も休日の多い月で、日曜日が5回もある年は、稼働日は20日前後となり、
加工業中心の当社などはグンと売上が減少しますので、社長としては頭の痛い月
の一つです。

そういう連休の明けた出勤日に限って、時々遅刻する人がいるので、(最近採用
した人ですが)、口頭での注意でもなくなりませんので、次のような文章を書いて
渡しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<自己管理>
社会人になったら、学生とは違います。特に最近は、昔と違って休日が非常に増え
「自己管理」をしっかりしないと、日常生活の乱れが仕事にも影響をあたえます。
社長としては、特定の従業員について、出退勤の問題があるのを、他の従業員
から見て「何も注意しない」とみられるのは大変心外です。
休日明けの月曜日などは、特に万全の体調で「さあ、今週もやるぞ!」といった
気構えでないと、仕事に限らず「自分で人生を切り開いていく」ことは出来ないので
はないでしょうか。 特に出勤前日の過ごし方について、よく考えてほしいと思いま
す。「勉強、読書、運動などに充実した生活を送る人」が、この世では高い収入と
豊かな人生を送ることが出来ると思います。                社長

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前愛読していた「ハイハイQさんデス」のTOMOKOさんのブログ=第72回・
“時は金なり”に、「年収2000万円の人と600万円の人とでは時間の使い方は
どう違うか」という、あるビジネス誌の記事を取り上げて、一度考えてみる値打ち
があると下記のような意見を述べています。孫引きになりますが、私の文章の元
になっているので、ご紹介します。(一部省略しています)

(引用始め)
『面白かったのは休前日の過ごし方です。年収600万円の人は、休前日に深夜、
明け方まで起きている人が多いのに対して、年収2000万円の人はいつもと同じ
時間に寝る人が多いのです。「なるほど!」と思いました。何年か前は、私も金曜
日の夜に遅くまで起きていたことがありました。しかし、休前日に夜更かしをすると
休日は朝寝をしてしまい、昼ごろから活動開始ということになってしまいます。
必然的に休日は短くなりますし、何よりいけないのは生活のリズムが乱れてしまい、
それをひきずったまま月曜日をむかえてしまうのです。(略)
総じて年収2000万円の人は、メリハリのある充実した生活をしているのがうかが
えました。
どうも、能力がずば抜けてある人とか全然ない人というのは、それぞれ人口の1割
くらいで、あとの8割の人の能力は、だいたい似たようなものではないでしょうか?
その中で、年収や地位に差ができるのは、時間の使い方によるところが多いように
思います。
一日24時間は、万人に平等に与えられているのに、ある人は仕事の合間を縫って
勉強・読書・運動に充実した生活を送り、ある人はただ無意味に仕事に追われて
自分の時間もない、というのはどうしてなんでしょう?
一度考えてみる値打ちがありそうです』               (引用終わり)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

省みてえらそうなことは言えないのですが、社長の立場としては放っておくわけに
はいかない事例の一つとして、恥ずかしながら書きました。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/

2008年09月19日(金)更新

「まだやってんの」

「まだやってんの」とは、1999年4月に初版が出た邱永漢(Qさん)の実用エッセイ
単行本のタイトルです。(久しぶりに読み返しました)

邱永漢著「まだやってんの」
<中経出版 @1400円>

 この本が出たころ、地元銀行の主催でQさんの同名の「経済講演会」があり、
滅多に講演会というものに行かない私ですが、フアンなので拝聴しに参りました。

邱永漢さんを評価するのは、書斎で、あれこれともっともらしい理屈を述べられる
経済・経営評論家と違い、間違えば全財産を失う(実際のところ何度もピンチに
見舞われたそうですが)実業家でもあるからです。85歳を迎えた現在でも、中国、
台湾他、アジア各地などでビジネスを展開、「金、カネ、マネー」の亡者ではなく、
経済を文化として捉え、「直木賞作家」としての読ませる力、特に「人生とお金」に
ついての卓見は、私の金銭哲学にもなっています。

ご著書数百冊の中でも、「まだやってんの」は、ご本人の生の声、風貌を目の当た
りにしたこともあって、“足元が明るいうちに店仕舞いしなさい”の名文句とともに
忘れられないものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

グローバル化とかフラット化とか言ってるうちに、構造不況業種の繊維産業界で
仕事をしてきた当社のまわりでも、ジワジワと需要が減り、かって数十社あった
同業者も数えるほどに、それも企業と言えるスケールではなくなってきています。

また、ここへ来ての原油高で当社のお得意先企業の苦悩は一層厳しさを増し、
さらに我々とは関係ないと思っていた「マネーゲームのプレーヤーたち」の破綻、
ほころびが表面化して、悪くすれば「世界同時不況」どころか「恐慌」にまで発展
するのではないかという話を聞くと、「これからどうなるのだろう」と不安を感じて
おられる経営者は私だけではないと思います。

進めてきた企画・デザイン力のアップ、協業・コラボで「マーケットの転換」「限りなく
 顧客(個客)に近づくビジネスへ」を、一層開拓しなければならないと考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Q先生、足元の明るいうちに店仕舞いできませんでしたが、なんとか後継者ともども
 知恵をしぼって、長年のお客様も大事にしてやっていくつもりです。
これから先でギブアップして、早く土俵から去っていったかっての同業者や友人・
知人から「まだやってたの」と、言われるのは悔しいですから。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
«前へ
<<  2008年9月  >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30