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2008年08月15日(金)更新

「終戦記念日」そして開高健。

 先ほど外出から帰って、玄関のドアーを開けた時、遠くでサイレンが鳴りました。
時計を見ると正午です。なかなか止まないので「おや?」と思いましたが、そうか、
今日は8月15日「終戦の日」なんだと思い、一瞬でしたが遠い記憶の一端が頭を
過ぎりました。

福井も20年の春でしたか空襲を受けました。市街地から少し離れた私の家から
夜空を焦がす真っ赤な炎、逃げ込んだ裏山の石切り場の坑道の冷気、セルの
生地で母が作ってくれた愛用の肩掛けカバンなどを断片的に記憶していると思って
いたのですが、どうやらその殆どは後から聞いた話を自分なりに映像化したよう
で、現実に見たわけではないと思うようになりました。満3歳になっていないのです
から。
(福井も原爆投下のいくつかの候補都市の内の一つだったことを知ったのは随分
 後になってのことです。)

そして、間もなくモスグリーンのジープに乗った進駐軍のアメリカ兵を見ることに
なるのですが、子供ですから車も兵隊さんもカッコいいなぁと思いました。

ほんの500mもない近くに軍需工場(飛行機部品)があったので、当然激しく空爆
され、焼け野原になってしまいましたが、母は戦後この跡地を少しばかり借りて畑
にしました。浴室の跡だったのか夥しいタイルのカケラや、曲がった鉄筋を取り除く
手伝いもさせられましたが、子供心にも戦争が終わり恐怖が去った開放感と高い
入道雲の夏の空を覚えています。

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「戦争についてどうでもいいような一言」 開高健著 【開口閉口】から抜粋。

 祖国の路上で異民族と殺し合いをしたり、しばしば同国同士の兄弟殺しをやらず
にはいられなかったヨーロッパの戦争と、他に思いつけるかぎりのいろいろの血み
どろは演じたけれどそういうことはやらずにすませられたわが国との相違が、あら
ためて膚に食い込んでくるのである。
(中略)
だから、だろうか。他国の戦争の報道を読んで、私たちは、父が殺された、母が消
えた、弟はどこへともなく去り、妹はひとり草むらで泣いているという記事で眼が
熱くなってしまうのだが、そしてそれは“人間”としてまったくふさわしいことである
はずなのだが、その一枚裏にひそんでいる、何のための戦争かという一点にな
ると、にわかに無感覚か、マヒか、テレビ・ドラマなみの“黒か白か”の判断しかは
たらかなくなってしまい、“人間”が気質の部分で持たされているものをついつい
無視して、甘酸っぱく痛切な感傷に走るだけとなってしまうのである。そしてそれが
他国の戦争であってみれば、いよいよ感傷は純粋に感傷としてのみ味わえるから、
涙もろくなればなるだけいよいよ偏狭、倣岸になるという心の事実もまた発生して
くる。そのために、いよいよ私たちの“経験”とはまったく異なる戦争について自身
の体験のみを反射させ、それにおしこめて考えようとする、偽善と感じない偽善に
身をゆだねてはばからないという事態もまた発生してくる。

 右の眼で一方の抑圧を見て見ぬふりをし、左の眼でもう一方の抑圧を見ないの
に見たふりをして“正義”を叫ぶ人があまりに多いのでこんな文章をついつい書い
てしまうハメとなる。その人の右の眼と左の眼とのあいだにどれだけ膨大な数の人
びとがどちらの眼にもかけられることなく右往左往していることかということを考え
ると、とどのつまり、何もいえなくなってしまう。

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「人間と戦争」について、数々のことを教えてくれた開高健も亡くなって20年近くに
なるんですね。

横山国男

【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/
【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
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