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2007年06月12日(火)更新

「人・モノ・私」-1。 ”石田縞”と母さんの夜なべ

♪母さんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・・という懐かしい唄がありますね。
夜なべの語源はよく知りませんが、現代でいうと「残業」みたいなものでしょうが、
そういう味気ない言葉ではニュアンスが伝わりません。


私たちの年代で、この唄から連想するのは、季節は冬、外は木枯らしか雪、
場所は囲炉裏端、綿入れの半纏を着た頬っぺたの赤い子供たち。
母親がいるシーンとしては「里の秋」もとても好きですが、今の子供たちにはなか
なかイメージするのは難しいでしょう。

子供の頃、私の家は市街と農村の境目ぐらいにあり、中学校はまわりはすべて
田圃、親戚には農家もありましたので、農家、農作業はなじみ深いものでした。
雪深い土地なので、このあたりの農家は冬はもっぱら家の中で「むしろ」「縄」など、
春になると必要になるものを、時には「夜なべ」までして手作りしたようです。

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福井市に隣接する鯖江市に「石田地区」というところがあります。
ここで昔から織っていたのが「石田縞」といわれる綿の小幅の素朴な織物。
たしか「石田藩」というのも聞いたことがありますから、「小藩」の物産としての
位置付けがあったかも知れません。

石田縞1 石田縞2

詳しくは知らないのですが、おそらく産業とか企業というスケールではなく、
農家の女性の副業として、「いざり機(はた)」と呼ばれる手織り機で織られて
いたものと勝手に想像しているのですが、かなり前に姿を消してしまいました。
高度成長期には、採算のとれる仕事ではなくなったからだと思います。


写真のような柄は子供のころの布団に見覚えがありますから、おもに布団の
側(がわ)、紺無地のものは、このへんでいう「さっくり」という上半身は柔道着
のようなもの、下は股引のような農作業着としてよく見かけました。

昔は結構農家で副業として「機を織った」ようですね。私は工業高校で「紡織科」
でしたから、実習でよく機を織りましたが、小幅のこのような綿織物を織るのも
楽しいものでした。

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このような「手機(てばた)」で織られたものには、「信州紬」や「白山牛首紬」
などが現在も工芸品に近い伝統織物として(その多くは機械式織機)残っては
いますが、「石田縞」のような素朴な織物は以前は各地にありました。

母親は「縞割」といって、その糸の本数や配列を、小布の見本を貼った和紙の
小ぶりの帳面に「覚え」として書きつけました。それが「縞帳」と呼ばれるもので、
娘が嫁入りする時、持たせたという話もあります。

中にはコレクター垂涎のものもあり、美しい「デザイン帳」ともいえるものもあり
ます。
おそらく世界各地にこのような例があり、バティックやマドラスチェックなどもそう
いう形で伝えていったのではないかと思います。

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残念ながら私は若い頃、そのような貴重なものという認識がありませんでした
ので、何も持っていないのですが、写真の織物は最近「謝礼」として2mほど
頂いたものです。

「古い呉服屋さんから、石田縞を一反譲って頂いたので、これを改装するホテル
のロビーに飾りたいが、どんな方法がいいですかね、やってもらえませんか」と
いうご相談があり、当社では経験がないので、パネルに仕立てる工房をご紹介
しました。

「もし、余り布が出たら頂戴できませんか」とお願いしておきましたところ、余りは
ほとんど出なかったので、その呉服屋さんにわざわざお願いして、残っていた別
の柄のものを探し出して届けて下さったものです。


手で撫でると節があり、ちょっとゴワゴワしていますが、「絹もの」とはまた違った
土の匂い、おふくろを思い起こさせる「優しさ」を感じさせていいモノです。


横山国男

【オーダー よさこい屋】
http://www.yosakoiya.jp/
【染型工房 横山工藝】
http://www.ykougei.jp/

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